<2009年5月12日>

法界応報・・「ほっかいおうほう」です。

法界とは、人界の律法社会のことではありません。

「宇宙法界」のことであり、仏界のことです。

ここには、厳然と因果応報が機能しています。

因果応報には、「罰」とか「許す」とかの概念はありません。

そこにあるのは、ただ「知る」という事実だけです。

己の所業の意味を、とことん知るということです。

口先だけの弁解や反省が通用しないのは勿論です。

とことん、心の底から実感することだけが求められます。

だからそこには「刑罰」も「許し」も、無いのです。

とことん、どこまでも、「己の心で知る」ということです。

己の心で実感するまで、果てしなく旅は続きます。

延々と、「知るための旅」が続きます。

自分が冷酷な非道を行なえば、

自分が他者に残酷な仕打ちを行なえば、

その所業が、他者をどれほどに苦しめたかを、

いずれ自分の心のすべてで知ることになるのです。

たとえ今生で「知る機会」を持てなかったとしても、

未来永劫に亘って「知る旅」が続くのです。

己の行為の意味を、とことん知り尽くすことになるのです。

だから、許すも許さないも無いのです。

誰が裁くわけでも無いのです。

すべては、己自身に懸かっているのです。

己が自分で知るまで、延々と応報の道が続くのです。

それが過酷な旅であることは、言うまでもありません。

なにしろ、「己自身で実感するための旅」なのですから。

罰も許しも、ありません。

すべては、自分自身の心に懸かっています。


かといって、今生で苦しむ命たちが、

その応報の宿業の渦中に居るという見方は、当てはまりません。

私は長い間、このことを考えました。

もちろん、頭の中で考えたところで、分かるはずがありません。

本を読んだところで、分かるはずがありません。

長い年月ののち、華厳禅の中で、ある日分かったのです。

分かったのではなくて、入ってきたのです。

心に言葉が入ってきたのです。

何者からかの、伝言です。

何か不可思議な世界からの伝言です。


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そうじゃあ、ないんだよ。

苦しむ命たちの顔を見てごらん。

苦しむ命たちの心を観てごらん。

分かるだろう、おまえ。

その者の魂の境涯が。

それを、観るのだ。

それを観れば、すべては分かる。

この世に、不条理が、ある。

だがその不条理も、実は、意味がある。

だが意味があるからといって、見て見ぬ振りをしたら、その意味は失われる。

見て見ぬ振りは、何にも増して大きな過ちだ。

おまえ、救うのだ。

おまえの命を賭けて、救うのだ。

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このようなニュアンスが、強烈に伝わった。

私は、泣いた。

その何か不可思議な伝言に、

とてつもない存在の、

とてつもない愛を感じたから、

どうしようもなく心が揺さぶられて、

私は山の中で、慟哭した。

■南無華厳 狼山道院■