<2009年5月8日>

4月28日は、太郎の命日だった。

我が子、狼、太郎が、

今生の幕を閉じ、別の世界へと旅立った日だ。

その日、私もまた、一度死んだ。

彼の亡骸を抱きながら、私も死んだのだ。

死んで、そして生きた。

彼の魂を胸に刻み、もう一度、生きた。

あまりの悲しみに心が張り裂けそうで、

もう、どうやって生きればいいのか分からないほどだったが、

太郎の魂に励まされて、新たに決意した。


いつも数日前に、太郎が夢に現われる。

今年も彼は、来てくれた。

夢と呼ぶには、あまりに鮮明だ。

彼の毛並みを、その肌触りまでも、ありありと感じる。

彼のその、狼独特の匂いまでも、ありありと感じる。

太郎の首を抱きしめた。

その荒々しい毛並みの太い首を、巨きな顔を、強く抱きしめた。

太郎!!! 夢の中で呼びかけた。

彼はいつも、満面の微笑で、私に答えてくれる。


お前も忙しいだろうに、こうして俺に逢いに来てくれるのか・・・

太郎、その世界はどうなんだい??

お前なら、きっと大丈夫だろうけど、

でもいつも、お父さんは祈っているよ、お前のことを・・・

一日だって、忘れたことはない・・・

お前のことを、一日だって忘れたことはない・・・

祈っているんだ、お前のこと・・・

お前の旅の無事を、心の底から、祈っているんだよ・・・

お前と、いつかゆっくりと逢いたい・・・

その日が、いつになるかは分からないけれども・・・・・


赤ちゃんのとき、

お前の乳歯のあまりの巨大さに、心底驚いた。

口移しの食事のとき、

お前があまりに夢中になって食べるから、

お父さんの舌も咬まれて、口の中に血が溢れてしまった。

でもお前はだんだんと、ゆっくり食べてくれるようになったね・・・

遊ぶとき、その鋭い乳歯で、

お父さんの腕が何十本と注射を打たれたように、穴だらけになってしまった。

でもお前はだんだんと、加減をしてくれるようになったね・・・

お前はどんどん大きくなって、もの凄い力になったね・・・

毎日毎日何時間も何時間も、山の奥に運動に行ったね・・・

お前があんまり凄い力だから、

お父さんは身体に寒気が走るほどに疲れたけれども、

お前はだんだんと、お父さんの歩調に合わせてくれるようになったね。

お父さんが頼んだわけじゃあなかった・・・

お前は自分で、お父さんに合わせてくれるようになったね・・・・


狼からすれば、人界は魔界だ。

赤ちゃんの狼が、そこに来た。

どれほどの不安か・・・どれほどの孤独か・・・

だが彼は、ただの一度も、不安の姿を見せなかった。

幼い赤ちゃんなのに、彼は狼の誇りの塊だった。

その孤高の姿に、私は衝撃を受けた・・・・

我が家に来た夜、

太郎は母狼に別れを告げた。

夜空を仰ぎ、別れのホウルを歌ったのだ。

未練の歌ではなかった。

それは、覚悟の歌だった。

それは、狼の誇りの歌だったのだ・・・・

彼の渾身のホウルは、私の魂の一番奥まで響き渡った。

赤ちゃん狼のその歌を、私は今も忘れない・・・・


狼界と人界の狭間で、お前は激しく葛藤していた。

さぞかし、辛かっただろう・・・・

その葛藤の大きさは、痛いほど俺に伝わった。

俺も哀しくなった。

どうしていいのか分からなくなってしまった。

お前が物凄い怒りの形相になったとき、

それが深い葛藤から来るものだと分かったから、

お父さんは、お前と一緒に、泣いた。

そのような日々の果てに、

俺とお前は、互いに未踏の世界に入ったのだ。

そこは狼界でも人界でもなかった。

俺とお前で一緒に踏み込んだ未知の世界だった・・・・


山の中腹、いつも小高い丘の上で我々は腰を下ろした。

眼下に山麓を見渡し、我々はしばし、はるかを眺めた。

太郎は私の横に座り、じっと、いつまでも彼方を見つめていた。

ずっと、ほんとうにずっと、はるか彼方を見つめていたのだ。

その姿を、忘れない。

忘れることなどできはしない・・・・


スミ・ジョーの「アヴェ・マリア」を聴く。

スミ・ジョーの渾身の、「カッシーニ : アヴェ・マリア」を聴く。

お前と一緒に聴いているんだ、太郎・・・・・

昔、お前と一緒に、プッチーニを聴いたね。

プッチーニの、切なく突き上げるアリアを聴くと、

お前はだんだんたまらなくなってきて、ホウルを歌ったね。

心の琴線に触れる音楽を聴くとき、お前は魂の歌を歌いだす。

お前のホウルが、今もこの胸を離れない。


俺が狼舎で寝れない夜、

お前は無言で暗闇の中に佇んで、じっと俺の部屋を見つめていた。

部屋の中にいても、それが分かる。

心の目に、お前が静かに立っている姿が浮かぶのだ。

俺は太郎の名を呼ぶ。

「太郎、もう寝んねだよ・・・」

彼はそっとそっと、小さな小さな、抑えたホウルで俺を呼ぶ。

俺はもう一度、太郎の名を呼ぶ。

「太郎、もう、寝るんだよ・・・・」

彼はまだしばらく部屋を見つめて、そしてそっと寝小屋に戻る。

その遠慮した、小さな小さなホウルが、俺の魂を揺さぶる。

太郎のその声が、今も胸にこだまする。


人は、野獣と呼ぶ。

人は、猛獣と呼ぶ。

だがその野獣の心の奥底に、

果てしなく深い純情が隠されている。

狼の猛き純情を想うとき、俺は偲び泣く。

俺は心の中で、「狼の山の魂」を歌う。

■南無華厳 狼山道院■