<2009年4月28日>
人間は、生きるための全てを、自然界から頂戴してきた。
清らかな空気、水、食べ物、資源、その全てを頂戴してきた。
その自然界を成り立たせてきた者たちは誰か??
微生物たちであり、昆虫たちであり、植物たちであり、
魚たちであり、爬虫類たちであり、鳥たちであり、そして動物たちだ。
その誰が欠けても、成り立たなかったのだ。
彼らの「生」そのものが、調和への献身だったのだ。
だが人間は、頂戴することだけしか眼中に無かった。
自然界を成立させている命への感謝など、ひとかけらも無かった。
その恩義は、推し量ることさえ不可能な、途轍もないレベルだというのに。
それから考えれば、
たとえば「動物の尊厳を世に問う」ことなどは、実に控えめな、実にささやかな提言だ。
これまでの無量の恩義を想えば、
「せめて、尊厳の意識を持ってください・・」と訴えることなど、最低限の嘆願だ。
※「動物の前に、人間のことでしょ!!」と言うならば、
なぜに人間世界は本気で人間を救わないのか??
飢えた子供たちが、ごく少量の「トウモロコシの粉」だけで命をつないでいるという。
「ベジタリアン」どころのレベルではない。
トウモロコシの粉だけで、それもごく少量で、やっと生きている子たちがいる。
「人間のことが大事でしょ!!」と叫ぶのなら、
その子たちに、「パン」を「米」を「野菜」を送ってあげて欲しい・・・・
テレビでは、未だに「グルメ番組」が花盛りの様子だ。
自分たちは美食を堪能しておきながら、なぜ「まずは人間、でしょ!!」と語れるのか??
「動物の尊厳の提唱」は、無理難題でもなんでもない。
それを極論と感じるならば、「恩義」を微塵も感じていないということだ。
■南無華厳 狼山道院■
人間は、生きるための全てを、自然界から頂戴してきた。
清らかな空気、水、食べ物、資源、その全てを頂戴してきた。
その自然界を成り立たせてきた者たちは誰か??
微生物たちであり、昆虫たちであり、植物たちであり、
魚たちであり、爬虫類たちであり、鳥たちであり、そして動物たちだ。
その誰が欠けても、成り立たなかったのだ。
彼らの「生」そのものが、調和への献身だったのだ。
だが人間は、頂戴することだけしか眼中に無かった。
自然界を成立させている命への感謝など、ひとかけらも無かった。
その恩義は、推し量ることさえ不可能な、途轍もないレベルだというのに。
それから考えれば、
たとえば「動物の尊厳を世に問う」ことなどは、実に控えめな、実にささやかな提言だ。
これまでの無量の恩義を想えば、
「せめて、尊厳の意識を持ってください・・」と訴えることなど、最低限の嘆願だ。
※「動物の前に、人間のことでしょ!!」と言うならば、
なぜに人間世界は本気で人間を救わないのか??
飢えた子供たちが、ごく少量の「トウモロコシの粉」だけで命をつないでいるという。
「ベジタリアン」どころのレベルではない。
トウモロコシの粉だけで、それもごく少量で、やっと生きている子たちがいる。
「人間のことが大事でしょ!!」と叫ぶのなら、
その子たちに、「パン」を「米」を「野菜」を送ってあげて欲しい・・・・
テレビでは、未だに「グルメ番組」が花盛りの様子だ。
自分たちは美食を堪能しておきながら、なぜ「まずは人間、でしょ!!」と語れるのか??
「動物の尊厳の提唱」は、無理難題でもなんでもない。
それを極論と感じるならば、「恩義」を微塵も感じていないということだ。
■南無華厳 狼山道院■