<2009年4月4日>
仕事を終え、犬たちの世話を終え、山を降りて街に来た。
今日も仕事だが、寝ずにこれを書く。
人からアドバイスも戴いたが、
俺はパソコンに疎いので、サッパリ分からない。
ネット言葉の「魚拓」の意味も全く分からない。
だから、こうして書くしかないのだ。
右手の人差し指一本で打つから、なかなかはかどらないが。
「A12」よ。
返信を読んだ。
貴様なりの苦労を理解した。
貴様の言わんとすることも理解した。
だがA12よ。
犬は、自らを抑えて「咬まない」時もある。
防衛本能の中でも、攻撃態勢の中でも、興奮の中でも、
自らを抑える時もある・・・・・
俺は強力な犬の底力の物凄さを知っている。
何度も、腕に穴を開けられた。
いつもは医者になど行かずに自分で治したが、傷口が大きい場合には縫った。
今もこの身体が動くことには、感謝している。
もし強力な大型犬に攻撃されれば、「怪我」程度では済まない。
もし「ある程度の力」で咬まれたとしても、腕は一瞬に動かなくなる。
(「怪我」程度で済めば、それは犬が「加減」しているということだ。)
だから彼らに、戦闘モードから脱してもらわなければならない。
そのために修行を積んだ。
尋常では、彼らに鎮静を求めることは至難だ。
だがなんとしてでも、鎮静してもらわねばならない時がある。
たとえば群れの中での闘いを分ける時。
たとえばトラウマを背負う犬と対峙する時。
「咬まれて当然!!」の状況の中で、
しかしそこに踏み込まなくてはならない時、もはや「無我夢中」だ。
己の非力をいやというほど知ってはいても、何とかしなければならない時、無我夢中になる。
「神頼み仏頼み」ではない。それどころではない。
咬まれるか咬まれないか??もはやそんなことは頭にない。
怖くないわけが無い。恐怖で背中が凍る。
自分が一瞬に倒されることが、ありありと分かるからだ。
だが、その恐怖心のままでいたら、微塵も対応できなくなる。
だから自分の恐怖を鎮めるために、修行を積んだ。
犬がトラウマを抱える背景には、相当な悲惨が隠されている。
そこに至るには、人知れぬ理由が隠されている。
それまでに、大きな葛藤と忍耐が刻まれている。
だから、対峙には「時間」が不可欠だ。
「ハイ、大丈夫ですよ!! いい子ですね、大丈夫ですよ!! おお、よしよし・・・」
などと一方的宣言が通用することはない。
それはテレビの中だけの話だ。
「時間」もまた、重大な要素なのだ・・・・・
たとえこちらの気持ちを犬が察していたとしても、
それと犬の「行動」とは別問題だ。
「分かってはいても・・・」の状態だ。
人間だってそうだろう。
「分かってはいても・・・」の時があるはずだ。
犬を手当てしたり、伸び過ぎた爪を切ったりする時、
時には何人がかりで取り巻いて「拘束テーブル」の上で施療する。
その時の犬の気持ちはどうだろうか??
身体を固定されて、何人もの人間に上から見下ろされて、
これから何をされるのかも知れない状況で、
犬の不安と恐怖はどれほどだろうか??
だからいつも一人で対応した。
人に頼まれたので、
テーブルも使わずに次々と8頭のハスキーの爪切りをやったこともある。
リードを外し、抱きながら諭しながら切っていった。
もちろん、猛烈に嫌がる。
当たり前だ。痛いのだ。
犬の爪の根元は指の延長とも言えるから、
たとえ先端を切ったとしても、切る感触がありありと伝わる。
ましてや伸び過ぎた爪の場合には、中の血管も相応に伸びている。
だから爪を切れば出血し、大きな痛みを伴う。
だからつまり、とても怖いのだ。
だが環境的な事情で伸びすぎた爪を放っておけば、歩行と姿勢に支障が生じる。
指にも肢にも背中にも、身体全体の筋肉にも腱にも支障が起こる。
身体感覚にも、そして精神にも、影響が及ぶ。
だから彼らのために切った。
だが、咬まれない保障など、どこにも無い。
咬まれても当たり前だ。
だが、その時は咬まれなかった。
だから感謝した。彼らに感謝した。幸運に感謝した。
これまで、その幸運が、一杯あった。
だがこの先のことは分からない。
いつだって、「分からない・・」のだ。
だからこの先もずっと修行が続く。
毎日毎日、ずっと修行だ。
※血が出る程度では、俺の場合には「咬まれた」とは言わない。
A12よ。
貴様がそこまで努力してきたのなら、
その心を、その経験を、そのエネルギーを、
貴様本来の道に注ぎ込め。
その道に集中して、さらなる学びを得るべきだ。
これまでのせっかくの努力を、もっともっと活かすべきだ。
学びは無尽で、今生の時間は限られている・・・・・
魑魅魍魎の情報に惑わされるな。
もっともっと、人の心を心眼しろ。
それが、貴様自身のためになる。
自分の心が、見えるか??
自分の本当の願いが、見えるか??
週に何日か、パソコンと離れてみるといい。
魑魅魍魎と離れ、静かな時を過してみるといい。
いろんなことが頭に浮かんでくるだろう。
頭に浮かんでも、それを捕まえずに放っておくといい。
次々と、どんどん放っていく。
そうすると、本当に大切なことだけが心に残るようになる。
自分の純粋な想いが、分かるようになる。
いつの間にか、「人を咎める」という迷路に嵌まり込んでいないか??
そんなことが自分の本筋でないことは、自分で知っているはずだ。
その前に、「動物への想い」があったはずだ。
それがいつの間にか、「咎める」視座に変わってしまったのか・・・・
貴様の本心は、不本意に喘いでいることだろう・・・・
貴様の中の常識や良識の声が、貴様を縛っている。
一度、そこから自分を解放するべきだ。
困難かも知れないが、
もしそれができた時には、貴様は大きく飛躍する。
その時、貴様本来の力が沸き起こる。
貴様の孤独が分かる。
貴様のジレンマが分かる。
だがそれを超克できる時が来るはずだ・・・・・
世の中には、表現が旨くいかずに、本当の想いを話せない人もいる。
相手に誤解を与えてしまう人も多い。
だからこそ、でき得る限りに心眼する。
相手の言葉の、どこが幹でどこが枝葉かを洞察する。
相手の言葉の、どこが本意でどこが不本意かを洞察する。
貴様の言葉ひとつで、相手の言葉は変わってくる。
貴様が「全否定」の意識から脱すれば、相手は自然体を取り戻すだろう。
■南無華厳 狼山道院■
仕事を終え、犬たちの世話を終え、山を降りて街に来た。
今日も仕事だが、寝ずにこれを書く。
人からアドバイスも戴いたが、
俺はパソコンに疎いので、サッパリ分からない。
ネット言葉の「魚拓」の意味も全く分からない。
だから、こうして書くしかないのだ。
右手の人差し指一本で打つから、なかなかはかどらないが。
「A12」よ。
返信を読んだ。
貴様なりの苦労を理解した。
貴様の言わんとすることも理解した。
だがA12よ。
犬は、自らを抑えて「咬まない」時もある。
防衛本能の中でも、攻撃態勢の中でも、興奮の中でも、
自らを抑える時もある・・・・・
俺は強力な犬の底力の物凄さを知っている。
何度も、腕に穴を開けられた。
いつもは医者になど行かずに自分で治したが、傷口が大きい場合には縫った。
今もこの身体が動くことには、感謝している。
もし強力な大型犬に攻撃されれば、「怪我」程度では済まない。
もし「ある程度の力」で咬まれたとしても、腕は一瞬に動かなくなる。
(「怪我」程度で済めば、それは犬が「加減」しているということだ。)
だから彼らに、戦闘モードから脱してもらわなければならない。
そのために修行を積んだ。
尋常では、彼らに鎮静を求めることは至難だ。
だがなんとしてでも、鎮静してもらわねばならない時がある。
たとえば群れの中での闘いを分ける時。
たとえばトラウマを背負う犬と対峙する時。
「咬まれて当然!!」の状況の中で、
しかしそこに踏み込まなくてはならない時、もはや「無我夢中」だ。
己の非力をいやというほど知ってはいても、何とかしなければならない時、無我夢中になる。
「神頼み仏頼み」ではない。それどころではない。
咬まれるか咬まれないか??もはやそんなことは頭にない。
怖くないわけが無い。恐怖で背中が凍る。
自分が一瞬に倒されることが、ありありと分かるからだ。
だが、その恐怖心のままでいたら、微塵も対応できなくなる。
だから自分の恐怖を鎮めるために、修行を積んだ。
犬がトラウマを抱える背景には、相当な悲惨が隠されている。
そこに至るには、人知れぬ理由が隠されている。
それまでに、大きな葛藤と忍耐が刻まれている。
だから、対峙には「時間」が不可欠だ。
「ハイ、大丈夫ですよ!! いい子ですね、大丈夫ですよ!! おお、よしよし・・・」
などと一方的宣言が通用することはない。
それはテレビの中だけの話だ。
「時間」もまた、重大な要素なのだ・・・・・
たとえこちらの気持ちを犬が察していたとしても、
それと犬の「行動」とは別問題だ。
「分かってはいても・・・」の状態だ。
人間だってそうだろう。
「分かってはいても・・・」の時があるはずだ。
犬を手当てしたり、伸び過ぎた爪を切ったりする時、
時には何人がかりで取り巻いて「拘束テーブル」の上で施療する。
その時の犬の気持ちはどうだろうか??
身体を固定されて、何人もの人間に上から見下ろされて、
これから何をされるのかも知れない状況で、
犬の不安と恐怖はどれほどだろうか??
だからいつも一人で対応した。
人に頼まれたので、
テーブルも使わずに次々と8頭のハスキーの爪切りをやったこともある。
リードを外し、抱きながら諭しながら切っていった。
もちろん、猛烈に嫌がる。
当たり前だ。痛いのだ。
犬の爪の根元は指の延長とも言えるから、
たとえ先端を切ったとしても、切る感触がありありと伝わる。
ましてや伸び過ぎた爪の場合には、中の血管も相応に伸びている。
だから爪を切れば出血し、大きな痛みを伴う。
だからつまり、とても怖いのだ。
だが環境的な事情で伸びすぎた爪を放っておけば、歩行と姿勢に支障が生じる。
指にも肢にも背中にも、身体全体の筋肉にも腱にも支障が起こる。
身体感覚にも、そして精神にも、影響が及ぶ。
だから彼らのために切った。
だが、咬まれない保障など、どこにも無い。
咬まれても当たり前だ。
だが、その時は咬まれなかった。
だから感謝した。彼らに感謝した。幸運に感謝した。
これまで、その幸運が、一杯あった。
だがこの先のことは分からない。
いつだって、「分からない・・」のだ。
だからこの先もずっと修行が続く。
毎日毎日、ずっと修行だ。
※血が出る程度では、俺の場合には「咬まれた」とは言わない。
A12よ。
貴様がそこまで努力してきたのなら、
その心を、その経験を、そのエネルギーを、
貴様本来の道に注ぎ込め。
その道に集中して、さらなる学びを得るべきだ。
これまでのせっかくの努力を、もっともっと活かすべきだ。
学びは無尽で、今生の時間は限られている・・・・・
魑魅魍魎の情報に惑わされるな。
もっともっと、人の心を心眼しろ。
それが、貴様自身のためになる。
自分の心が、見えるか??
自分の本当の願いが、見えるか??
週に何日か、パソコンと離れてみるといい。
魑魅魍魎と離れ、静かな時を過してみるといい。
いろんなことが頭に浮かんでくるだろう。
頭に浮かんでも、それを捕まえずに放っておくといい。
次々と、どんどん放っていく。
そうすると、本当に大切なことだけが心に残るようになる。
自分の純粋な想いが、分かるようになる。
いつの間にか、「人を咎める」という迷路に嵌まり込んでいないか??
そんなことが自分の本筋でないことは、自分で知っているはずだ。
その前に、「動物への想い」があったはずだ。
それがいつの間にか、「咎める」視座に変わってしまったのか・・・・
貴様の本心は、不本意に喘いでいることだろう・・・・
貴様の中の常識や良識の声が、貴様を縛っている。
一度、そこから自分を解放するべきだ。
困難かも知れないが、
もしそれができた時には、貴様は大きく飛躍する。
その時、貴様本来の力が沸き起こる。
貴様の孤独が分かる。
貴様のジレンマが分かる。
だがそれを超克できる時が来るはずだ・・・・・
世の中には、表現が旨くいかずに、本当の想いを話せない人もいる。
相手に誤解を与えてしまう人も多い。
だからこそ、でき得る限りに心眼する。
相手の言葉の、どこが幹でどこが枝葉かを洞察する。
相手の言葉の、どこが本意でどこが不本意かを洞察する。
貴様の言葉ひとつで、相手の言葉は変わってくる。
貴様が「全否定」の意識から脱すれば、相手は自然体を取り戻すだろう。
■南無華厳 狼山道院■