<2009年4月1日>
当ブログは、仏教の記事も載せている。
その理由は、何度も書いてきた。
だが何度語っても、
当方のスタンスを理解できない人がいるらしい。
当方は、仏教を紹介しているだけだ。
誰に対しても、「勧誘」など微塵も無い。
だが多くの人が、意識を強張らせるようだ。
仏教の話をしただけで、何をそんなに過剰反応するのか??
以前の記事でも書いたが、
当方を訪れる宗教者がいれば、
お茶を出し、飯があれば飯を出し、じっくりと話を聞いた。
そして当方の考えを述べた。そして相手は帰る。
こちらは何も緊張しないし、身構えたりもしない。
その人にはその人の考えがある。
当方には当方の考えがある。
互いに語り、そして別れる。それだけだ。
宗教は、「羅針盤」だ。
その人が自らの直観で選ぶ羅針盤だ。
誰に勧められて選ぶものではない。
それを勉強したかったらすればいい。
それを信仰したかったらすればいい。
すべては自らが決めることだ。
肝心なのは、己の直観を磨くことだ。
それなしには、自らの羅針盤を探せない。
世の中には、「信仰否定宗教」という宗教がある。
信仰を嫌悪する、れっきとした宗教だ。
日本は、この宗教が最大勢力を誇っているらしい。
多くの人が、大変な自信家なのだろう・・・・・
人間の知恵など、たかが知れている。
もし本当に賢かったら、
「共生」の重大さなど、とっくの昔に気付いているはずだ。
だが、その重大性を、2500年前に覚った存在がいる。
その覚りの内容を、連綿と伝え続けてきた人たちがいる。
その内容は、莫大なヒントを与えてくれる。
海外の最新の宇宙物理学も参考にしているほどだ。
だが、その内容を知らない人たちも多い。
どこかで紹介されなければ、誰も知らずに終わる。
たとえ多くの場所で紹介されていても、機会が無ければ知らずに見過ごす。
当ブログが何かのヒントになれば、当方は幸甚だ。
※華厳仏教に関する記事は「書庫・華厳共生義」に入っています。
■南無華厳 狼山道院■
当ブログは、仏教の記事も載せている。
その理由は、何度も書いてきた。
だが何度語っても、
当方のスタンスを理解できない人がいるらしい。
当方は、仏教を紹介しているだけだ。
誰に対しても、「勧誘」など微塵も無い。
だが多くの人が、意識を強張らせるようだ。
仏教の話をしただけで、何をそんなに過剰反応するのか??
以前の記事でも書いたが、
当方を訪れる宗教者がいれば、
お茶を出し、飯があれば飯を出し、じっくりと話を聞いた。
そして当方の考えを述べた。そして相手は帰る。
こちらは何も緊張しないし、身構えたりもしない。
その人にはその人の考えがある。
当方には当方の考えがある。
互いに語り、そして別れる。それだけだ。
宗教は、「羅針盤」だ。
その人が自らの直観で選ぶ羅針盤だ。
誰に勧められて選ぶものではない。
それを勉強したかったらすればいい。
それを信仰したかったらすればいい。
すべては自らが決めることだ。
肝心なのは、己の直観を磨くことだ。
それなしには、自らの羅針盤を探せない。
世の中には、「信仰否定宗教」という宗教がある。
信仰を嫌悪する、れっきとした宗教だ。
日本は、この宗教が最大勢力を誇っているらしい。
多くの人が、大変な自信家なのだろう・・・・・
人間の知恵など、たかが知れている。
もし本当に賢かったら、
「共生」の重大さなど、とっくの昔に気付いているはずだ。
だが、その重大性を、2500年前に覚った存在がいる。
その覚りの内容を、連綿と伝え続けてきた人たちがいる。
その内容は、莫大なヒントを与えてくれる。
海外の最新の宇宙物理学も参考にしているほどだ。
だが、その内容を知らない人たちも多い。
どこかで紹介されなければ、誰も知らずに終わる。
たとえ多くの場所で紹介されていても、機会が無ければ知らずに見過ごす。
当ブログが何かのヒントになれば、当方は幸甚だ。
※華厳仏教に関する記事は「書庫・華厳共生義」に入っています。
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