<2009年4月1日>
夜中の1時に犬たちの世話を終えた。
今日は仕事が休みなので、
山から降りて、街でこれを書いている。
(※パソコンが壊れたままだからだ。)
◆大昔は仏道修行者のことを「道人」と呼んだ。
「道士」と呼ぶこともあった。
だがその後「道教」が興り、道教行者を道士と呼ぶようになった。
当方の堂号は「狼山華厳道院」と称す。
略して「狼山道院」と称す。
「華厳道の道場」の意だ。
我々の堂宇は山だ。
山が堂宇であり道場だ。
※因みに少林寺拳法の道場も「道院」と名乗る。
◆なぜコメント欄を閉じているか??
コメント履歴を見るがいい。
同じコメントが延々と続き、
これでは読者の方々が極めて見づらくなる。
良識ある読者の方々は、
ひとつひとつのコメントを、
真摯に心を込めて書いてくださっている。
それらの貴重なコメントが、
延々と繰り返されるコピーコメントによって、
どんどん彼方へ追いやられていく。
当ブログが、際限のない同様コメントで埋まっていく。
読者の方々が参加する機会がどんどん奪われていく。
だから今は閉じているのだ。
◆当ブログを攻撃している連中の中に「獣医」がいるらしい。
獣医といっても実にさまざまだが、
その人間は、いつ勉強しているのだろうか??
「命を看る」職業のはずだ。
毎日が、勉強のはずだ。
一生が、勉強のはずだ。
ネット攻撃を繰り返しているヒマなど無いはずだ。
「命を看る」職業のはずだ。
己の心を鎮めて精神統一し、
愛に満ちた心境で命に臨まなくてはならないはずだ。
◆「-」よ。
「生臭坊主」という意味を知っているか??
俺の実生活を知っているか??
今度、俺の生活を体験してみるか??
腹が減った・・腹が減って動けない・・・
疲れた・・疲れて一歩も歩けない・・・
寒い・・身体が凍えて眠れない・・・
怖い・・一人で夜の森を歩くのが怖い・・・
人恋しい・・山の孤独が辛い・・・
肉を食べたい・・おいしいステーキが食べたい・・・
貴様、そのような泣き言を吐かないか??
貴様、熊が訪れても、逃げないか??
貴様、夜の森にラップ音が響き渡っても逃げないか??
自信があるのなら、今度体験しに来るがいい。歓迎する。
◆当方は医薬品など宣伝していない。
動物用食品頒布を告知したが、そのどこが問題か??
もし身体の弱い愛犬と暮らす人がいたとして、
その人が困っていたとして、
その人とその愛犬の力になることの、そのどこが問題か??
貴様たちの中の獣医よ。
貴様は動物を治療して糧を得ている。
動物の治療が貴様の営みであり、貴様はそれで生活している。
もし世の中に、治療を必要とする動物がいなくなったら、
貴様はどうやって食べていく??
貴様にとって獣医は職業か、それともそれに納まらないものか??
貴様は自分の生活を犠牲にして低料金で奉仕施療をやっているか??
限界料金で、少しでも多くの命を救おうとしているか??
貴様は学生時代に「動物実験」をやったか??
どのような心境で臨んだか??
その光景が今でも貴様の心に残っているか??
貴様はその実験動物に対する弔いをしているか??
それとも、その命たちのことなど、微塵も憶えていないか??
◆どうやら貴様たちは、動物関係の職業に就く者らしい。
あるいは「愛護」を標榜する者たちかも知れない。
自分たちの主義にそぐわない者を探し出し、
徹底的に妨害・排斥することが、貴様たちの「活動」かも知れない。
ときには全くの「反・愛護」の連中と結託して「異端愛護」を潰す。
「異端」を叩き潰すためには、誰とでも連合するのだろう。
だがもし動物関係専門家であるならば、あるいは愛護家であるならば、
そのような活動にエネルギーを費やしているどころではないはずだ。
専門家を自認するならば、愛護家を自認するならば、
動物たちの実像を知らなければならない。
動物たちの真の姿を知るには、間断なき研鑽の年月が必要だ。
そして、動物と運命を共にする境遇が必要だ。
なぜなら動物たちは、その時こそ、真の本心を現わすからだ。
「職業」で対しても、その本心は現われない。
その命と、かりそめの時を過ごしても、その本心は現われない。
「ハイ、サヨウナラ!!」では、本心と出逢うことはできないのだ。
貴様たちに聞きたい。
貴様たちも動物と暮らしているか??
どのように暮らしているか??
どのように接し、どのように看取ってきたか??
どのように対話し、どのように感じ合ってきたか??
手綱一本の扱いでも、何年間もかかる。
(「リード」のことだ。)
手綱を自身と一体化させて犬と意思を交信するには、長い年月がかかる。
貴様たちは「強制首輪」を使うか??
締まる鎖の首輪を使うか??
「締まる口輪や締まる胴輪」の強制道具を使うか??
制御困難な犬に対して、強引な手段を選んでいないか??
貴様たちが、
たとえばどのように犬と接してきたかを、参考までに聞いたのだ。
「A12」よ。
貴様は以前に、「犬は咬む動物だ!!」と言った。
俺の記事に対して、「そんな程度で覚悟といえるか!!」と言った。
どこかの本からの受け売りのようだが、
貴様はなぜそれを断言できるか??
犬はみな、いかなる時でも咬む体制にあるというのか??
犬はみな、いつも咬む準備をしているというのか??
「咬む」という行為には、深い事情が隠されている。
その理由は千差万別だ。
咬む時もあるし、咬まない時もある。
そしてその咬み方も、さまざまに違う。
「どんな事情があろうとも、犬は絶対に飼主を咬まない」
「どんな理不尽に際しても、犬は主人を咬んではならない」
「いかなる場合でも、咬んだ犬は許さない」
と考えている人が多いから、その人々に対しての記事だったが、
それに対して「犬は咬む動物だ!!」と宣言することの意義は何なのか??
それを宣言することによって、解決に向かうのか??
「犬は咬む!!」と人々に教えることの意義は何なのか??
「だからいつも注意しろ!!油断するな!!スキを見せるな!!」と伝えたいのか??
そのようなスタンスで、犬の実像を知ることができるのか??
貴様の覚悟とは、どんな覚悟か??
貴様は咬まれたことがあるか??
貴様はどのような状況で、どの程度で咬まれたか??
貴様はどのように対応したか??
貴様はその後、どのようにその犬と接したか??
・・・向学のために聞いているのだ。
「林則徐」よ。
俺に「ジャッカル氏」の話をしてどうする??
「ジャッカル氏に聞け」という意味か??
なぜそんな回りくどい話をする??
第一、俺はパソコンに詳しくない。
コンタクトの方法など知らないのだ。
俺は自らの体験を自らの信念で発信している。
貴様は何かの研究者のようだが、
その研究成果の発信を続けることが肝心なはずだ。
余計な時間など微塵も無いはずだ。
※かなり以前の話だが、
ある獣医志望の学生が、「動物実験」に耐えられず、学校を辞めた。
その人は、確かヨーロッパのどこかの、
動物実験を求めない学校に留学したという。
■南無華厳 狼山道院■
夜中の1時に犬たちの世話を終えた。
今日は仕事が休みなので、
山から降りて、街でこれを書いている。
(※パソコンが壊れたままだからだ。)
◆大昔は仏道修行者のことを「道人」と呼んだ。
「道士」と呼ぶこともあった。
だがその後「道教」が興り、道教行者を道士と呼ぶようになった。
当方の堂号は「狼山華厳道院」と称す。
略して「狼山道院」と称す。
「華厳道の道場」の意だ。
我々の堂宇は山だ。
山が堂宇であり道場だ。
※因みに少林寺拳法の道場も「道院」と名乗る。
◆なぜコメント欄を閉じているか??
コメント履歴を見るがいい。
同じコメントが延々と続き、
これでは読者の方々が極めて見づらくなる。
良識ある読者の方々は、
ひとつひとつのコメントを、
真摯に心を込めて書いてくださっている。
それらの貴重なコメントが、
延々と繰り返されるコピーコメントによって、
どんどん彼方へ追いやられていく。
当ブログが、際限のない同様コメントで埋まっていく。
読者の方々が参加する機会がどんどん奪われていく。
だから今は閉じているのだ。
◆当ブログを攻撃している連中の中に「獣医」がいるらしい。
獣医といっても実にさまざまだが、
その人間は、いつ勉強しているのだろうか??
「命を看る」職業のはずだ。
毎日が、勉強のはずだ。
一生が、勉強のはずだ。
ネット攻撃を繰り返しているヒマなど無いはずだ。
「命を看る」職業のはずだ。
己の心を鎮めて精神統一し、
愛に満ちた心境で命に臨まなくてはならないはずだ。
◆「-」よ。
「生臭坊主」という意味を知っているか??
俺の実生活を知っているか??
今度、俺の生活を体験してみるか??
腹が減った・・腹が減って動けない・・・
疲れた・・疲れて一歩も歩けない・・・
寒い・・身体が凍えて眠れない・・・
怖い・・一人で夜の森を歩くのが怖い・・・
人恋しい・・山の孤独が辛い・・・
肉を食べたい・・おいしいステーキが食べたい・・・
貴様、そのような泣き言を吐かないか??
貴様、熊が訪れても、逃げないか??
貴様、夜の森にラップ音が響き渡っても逃げないか??
自信があるのなら、今度体験しに来るがいい。歓迎する。
◆当方は医薬品など宣伝していない。
動物用食品頒布を告知したが、そのどこが問題か??
もし身体の弱い愛犬と暮らす人がいたとして、
その人が困っていたとして、
その人とその愛犬の力になることの、そのどこが問題か??
貴様たちの中の獣医よ。
貴様は動物を治療して糧を得ている。
動物の治療が貴様の営みであり、貴様はそれで生活している。
もし世の中に、治療を必要とする動物がいなくなったら、
貴様はどうやって食べていく??
貴様にとって獣医は職業か、それともそれに納まらないものか??
貴様は自分の生活を犠牲にして低料金で奉仕施療をやっているか??
限界料金で、少しでも多くの命を救おうとしているか??
貴様は学生時代に「動物実験」をやったか??
どのような心境で臨んだか??
その光景が今でも貴様の心に残っているか??
貴様はその実験動物に対する弔いをしているか??
それとも、その命たちのことなど、微塵も憶えていないか??
◆どうやら貴様たちは、動物関係の職業に就く者らしい。
あるいは「愛護」を標榜する者たちかも知れない。
自分たちの主義にそぐわない者を探し出し、
徹底的に妨害・排斥することが、貴様たちの「活動」かも知れない。
ときには全くの「反・愛護」の連中と結託して「異端愛護」を潰す。
「異端」を叩き潰すためには、誰とでも連合するのだろう。
だがもし動物関係専門家であるならば、あるいは愛護家であるならば、
そのような活動にエネルギーを費やしているどころではないはずだ。
専門家を自認するならば、愛護家を自認するならば、
動物たちの実像を知らなければならない。
動物たちの真の姿を知るには、間断なき研鑽の年月が必要だ。
そして、動物と運命を共にする境遇が必要だ。
なぜなら動物たちは、その時こそ、真の本心を現わすからだ。
「職業」で対しても、その本心は現われない。
その命と、かりそめの時を過ごしても、その本心は現われない。
「ハイ、サヨウナラ!!」では、本心と出逢うことはできないのだ。
貴様たちに聞きたい。
貴様たちも動物と暮らしているか??
どのように暮らしているか??
どのように接し、どのように看取ってきたか??
どのように対話し、どのように感じ合ってきたか??
手綱一本の扱いでも、何年間もかかる。
(「リード」のことだ。)
手綱を自身と一体化させて犬と意思を交信するには、長い年月がかかる。
貴様たちは「強制首輪」を使うか??
締まる鎖の首輪を使うか??
「締まる口輪や締まる胴輪」の強制道具を使うか??
制御困難な犬に対して、強引な手段を選んでいないか??
貴様たちが、
たとえばどのように犬と接してきたかを、参考までに聞いたのだ。
「A12」よ。
貴様は以前に、「犬は咬む動物だ!!」と言った。
俺の記事に対して、「そんな程度で覚悟といえるか!!」と言った。
どこかの本からの受け売りのようだが、
貴様はなぜそれを断言できるか??
犬はみな、いかなる時でも咬む体制にあるというのか??
犬はみな、いつも咬む準備をしているというのか??
「咬む」という行為には、深い事情が隠されている。
その理由は千差万別だ。
咬む時もあるし、咬まない時もある。
そしてその咬み方も、さまざまに違う。
「どんな事情があろうとも、犬は絶対に飼主を咬まない」
「どんな理不尽に際しても、犬は主人を咬んではならない」
「いかなる場合でも、咬んだ犬は許さない」
と考えている人が多いから、その人々に対しての記事だったが、
それに対して「犬は咬む動物だ!!」と宣言することの意義は何なのか??
それを宣言することによって、解決に向かうのか??
「犬は咬む!!」と人々に教えることの意義は何なのか??
「だからいつも注意しろ!!油断するな!!スキを見せるな!!」と伝えたいのか??
そのようなスタンスで、犬の実像を知ることができるのか??
貴様の覚悟とは、どんな覚悟か??
貴様は咬まれたことがあるか??
貴様はどのような状況で、どの程度で咬まれたか??
貴様はどのように対応したか??
貴様はその後、どのようにその犬と接したか??
・・・向学のために聞いているのだ。
「林則徐」よ。
俺に「ジャッカル氏」の話をしてどうする??
「ジャッカル氏に聞け」という意味か??
なぜそんな回りくどい話をする??
第一、俺はパソコンに詳しくない。
コンタクトの方法など知らないのだ。
俺は自らの体験を自らの信念で発信している。
貴様は何かの研究者のようだが、
その研究成果の発信を続けることが肝心なはずだ。
余計な時間など微塵も無いはずだ。
※かなり以前の話だが、
ある獣医志望の学生が、「動物実験」に耐えられず、学校を辞めた。
その人は、確かヨーロッパのどこかの、
動物実験を求めない学校に留学したという。
■南無華厳 狼山道院■