<2009年3月25日>
「般若心経」についての本が沢山出ている。
だが一歩間違うと、読み誤るかも知れない。
「色即是空」だけ頭に入れていると、仏教を誤解するだろう。
だから「空即是色」を忘れてはならない。
いや、空即是色がハイライトだと思うのだ。
それは、「無一物中無尽蔵」の世界だ・・・・・
※「般若心経」はむしろ、
「執着に苦しむ人々に向けた処方薬」のような経かも知れない。
なにしろ「執着」は、人間にとって最も手強い苦悩と呼べる・・・・
「空」「無我」「無常」は、果てしなくダイナミックな世界だ。
途方もない無限世界なのだ。
誤解して虚無感に浸っているどころではない。
「私という存在など無いのだ・・・」とか、
「しょせんすべては幻だ・・・」とか、
「しょせんすべては消え行くのだ・・・」とか・・・・・
そう思い込んで、悩みや迷いが断たれるだろうか???
この現実社会で、そう思い込んで、困難を乗り越えてゆけるだろうか???
「空」のクライマックスは、「絶対平等世界」だ。
「すべてが、かけがえのない、唯一無二の存在」なのだ。
誰もが、「天上天下唯我独尊」なのだ。
<その、かけがえのない唯一無二の存在が、他の全てと、無限連鎖して関わっている。>
「空」とは、つまり「大悲」へと昇りつめる。
大悲とは、「途方もない至高の愛」だ。
※多くの仏教家は「愛」という言葉を使いたがらないが、
私は「愛」という言葉を使っていいと思っている。
ただしこの「愛」は、尋常な愛でないことはもちろんだ。
「大悲」を知るには、どうしても「空」の理解が必要になってくる。
いや、「実感」が必要になってくる。
だがこの「実感」が、難しいといえる。
たとえば「坐禅」などの仏道修行は、
この「実感」に達するためにあるのだと思うが・・・・・
動物たちは、実は、この「空」の世界を知っている。
私は、彼らから、教えてもらった。
だから「華厳」に、なんの違和感もなく溶け込めた。
彼らは、その姿で、その境遇で、いつも、全身全霊で生き抜いている・・・・・
華厳空は大悲空だ。無限の愛の世界だ。
◆一念永劫華厳空 一念無辺大悲空◆
※「空」を実感できれば、突き抜けられる。
だが、たとえ実感しても、一瞬一瞬に、修行は続く。
一瞬一瞬に実感し、一瞬一瞬に挑んでゆく・・・・・
■南無華厳 狼山道院■
「般若心経」についての本が沢山出ている。
だが一歩間違うと、読み誤るかも知れない。
「色即是空」だけ頭に入れていると、仏教を誤解するだろう。
だから「空即是色」を忘れてはならない。
いや、空即是色がハイライトだと思うのだ。
それは、「無一物中無尽蔵」の世界だ・・・・・
※「般若心経」はむしろ、
「執着に苦しむ人々に向けた処方薬」のような経かも知れない。
なにしろ「執着」は、人間にとって最も手強い苦悩と呼べる・・・・
「空」「無我」「無常」は、果てしなくダイナミックな世界だ。
途方もない無限世界なのだ。
誤解して虚無感に浸っているどころではない。
「私という存在など無いのだ・・・」とか、
「しょせんすべては幻だ・・・」とか、
「しょせんすべては消え行くのだ・・・」とか・・・・・
そう思い込んで、悩みや迷いが断たれるだろうか???
この現実社会で、そう思い込んで、困難を乗り越えてゆけるだろうか???
「空」のクライマックスは、「絶対平等世界」だ。
「すべてが、かけがえのない、唯一無二の存在」なのだ。
誰もが、「天上天下唯我独尊」なのだ。
<その、かけがえのない唯一無二の存在が、他の全てと、無限連鎖して関わっている。>
「空」とは、つまり「大悲」へと昇りつめる。
大悲とは、「途方もない至高の愛」だ。
※多くの仏教家は「愛」という言葉を使いたがらないが、
私は「愛」という言葉を使っていいと思っている。
ただしこの「愛」は、尋常な愛でないことはもちろんだ。
「大悲」を知るには、どうしても「空」の理解が必要になってくる。
いや、「実感」が必要になってくる。
だがこの「実感」が、難しいといえる。
たとえば「坐禅」などの仏道修行は、
この「実感」に達するためにあるのだと思うが・・・・・
動物たちは、実は、この「空」の世界を知っている。
私は、彼らから、教えてもらった。
だから「華厳」に、なんの違和感もなく溶け込めた。
彼らは、その姿で、その境遇で、いつも、全身全霊で生き抜いている・・・・・
華厳空は大悲空だ。無限の愛の世界だ。
◆一念永劫華厳空 一念無辺大悲空◆
※「空」を実感できれば、突き抜けられる。
だが、たとえ実感しても、一瞬一瞬に、修行は続く。
一瞬一瞬に実感し、一瞬一瞬に挑んでゆく・・・・・
■南無華厳 狼山道院■