<2009年3月24日>

世間は「文化」と口にする。

「国の文化」とか「民族の文化」とか・・・・

しかし、文化とは何なのか??

そこに歴史があれば、それだけで文化なのか??

習俗と文化を混同してはいないのか??


私は思う。

文化とは、常に進化を求められるものだと・・・・

「育んで来た」と人は言う。

「育む」ということは「進んで来た」ということなのだろう。

人間が知恵を誇るのならば、育むということは「洗練」ということだろう。

人間が知恵を絞って「洗練」してきたのだろう・・・・

だから保守に囚われれば、文化が文化で無くなるだろう。

ただ慣習に囚われれば、文化の意義を失うだろう・・・・


「伝統」を尊重するということは、洗練への努力の心を尊重することだと思う。

人間がエコを謳うのなら、調和を謳うのなら、共生を謳うのなら、

その謳い文句に合った形に洗練してゆくべきだろう。

たとえ文化の姿がさまざまであろうとも、

その謳い文句を謳う以上は、洗練を努力すべきだと思う・・・・

※すべては、移り変わる。

一瞬たりとも、同じ姿をとどめてはいない。

一瞬一瞬に、新たな姿に生まれ変わってゆく。

それがこの宇宙の法則だ。


「動物の尊厳」を語る時、

動物の尊厳を否定する人々は、「文化」という言葉を持ち出してくる。

文化という言葉の元に、言語を絶した動物の苦しみを帳消しにしようとする。

文化が、人間知力の昇華の賜物だとするのなら、

そろそろ、「異種族の苦しみ」にも気を配ったらどうだろうか??

それこそ、それこそが人間の誇れる文化となるだろう。

異星人がそれを目にすれば、「素晴らしい文化だ!!」と感嘆するだろう。

■南無華厳 狼山道院■