<2008年6月27日>

絶望の中で生きる犬がいる。

例えば、工場の番犬。

子犬の時から死ぬまで、

生涯の全てを、工場の片隅に繋がれて生きる。

そこには、何も無い。 なにひとつ無い。

解放も躍動も感動も、そしてもちろん「愛」も無い。

一生を、鎖に繋がれて生きる。

誰ひとり、友はいない。

心を通わす相手は、誰ひとりいない。

ひとかけらの感動も味わえない。

心躍る出来事など、ただの一度も無い。

子犬の時から死ぬまで。延々と、果てしなく・・・・


唯一の慰めは、空だった。

空を見上げて、一日を過ごす。

毎日毎日、空を見上げた。

毎日毎日何年も何年も、空を見上げていた。

雲の流れ。日の光。風の匂い。雨の匂い。そして月と星・・・・

だから、空のことは何でも知っている。

だが、それしか知らない・・・・

空が、その生涯の全てだった・・・・

空に見守られて、その犬は生涯の幕を閉じた。


なんという生涯・・・・

なんのために生まれてきたのか・・・・

ただただ、孤独の絶望に耐えた・・・・

ただただ、果てしなく続く空虚な時間に耐えた・・・・


ああ・・・

仏よ・・・

なんで・・・

なんであの子は・・・・


五年前に、この光景を夢で見た。

夢かどうかは分からない。

今でも鮮明に憶えている。

いつだってこの光景を忘れない。

夢の最後に、真っ赤な渦の流れが見えた。

巨大な流れのスパイラルだ。

その時、はっきりと感じた。

この世が流れであることを。

大きな大きな流れ。

流れが一刻一刻とこの世を造る。

私は夢の中で想った。

その流れに大悲が作用する。

だが、流れは実に巨大だ。

その慣性は、想像を絶する。

だから大悲が作用しても、すぐには目に見えない。

しかし大悲が作用していれば、やがては流れが変わる。

おそらく、そのようなスケールなのだろう。

おそらく、それほどまでのスケールなのだろう。

悲劇を目にした時、仏の大悲が個々にまで及ばないと錯覚する。

だが実は、大悲は常に働いている。

めまぐるしく・・・一瞬一瞬に・・・・

根本部分に作用していくなど、大悲以外には不可能だろう。

大悲は、安穏と仏界に鎮座している訳ではなく、途方もない激務に就いている。

大悲でなければ出来ない仕事を、黙々と遂行している・・・・

私は想った。

大悲は個々の理不尽に目を瞑っている訳ではない。

大悲の分子が、大悲の意志として個々を見ているのだ。

夢はそこで終わった。

その夢は、生涯忘れ得ぬ強烈なインパクトだった。

◆◆南無華厳 南無華厳大悲界◆◆


華厳義書庫に華厳仏教の記事があります。

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