<2008年6月27日>

「エコロジー」とは、かつては生態学を指していた。

だが今は、その意義も多様だ。

環境保護・共生学・共生思想など、広範に亘って使われる。

1994年にユネスコが、「生物圏の保護」の概念を発表した。

この発表は、エコロジーの歴史上で大きな意味を持つと思う。

だが、そこに至るまでには、先人たちの努力があった。

海外でエコロジー思想を広めた人の多くが、東洋思想を学んだ。

何故なら、西洋近代思想が二元論によって自然を破壊し続けたからだ。

それで西洋思想に限界を感じ、そして東洋思想に救いを求めたようだ。

彼らは、タオ(道教)やヨーガなども学びながら、「禅」に辿り着いた。

そして禅の哲理を基幹に、エコロジー思想を発展させていったようだ。


今は日本でもエコロジー・ブームのようだ。

だが、思想的・宗教的な領域に話が入った途端に、怪訝な顔に変わる。

その領域に進んだ途端に、警戒態勢に入る人が多い。

現代エコロジーが東洋思想をバックボーンにしていると知っても、

それでもなお、その領域の話を避けていくのだろうか??

海外に於ける「禅」は、鈴木大拙博士が普及の功績者だ。

おそらくエコロジー思想の先人たちは、大拙博士の著書から禅の哲理を学んだと思われる。

そして大拙博士は、「華厳」を禅の中にオーバーラップさせていたようだ。

禅の哲理の背景には華厳が存在し、華厳によって深化したらしく、

大拙博士が著書の中に華厳を潜めたのは、ごく自然な流れであったと思う。


私はこのブログで皆様に華厳仏教を紹介している。

「動物のことなのに何故仏教?? 共生に何故仏教が関係あるの??」・・・・

・・・このように思う人も多いと想像する。

何故紹介するかと問われれば、華厳が共生哲理の極致であると感じたからだ。

私は、共生を実現するための最大の重大事は「共生心」だと思っている。

共生学をいくら学ぼうと、共生心なしには一歩も前に進めないと思っている。

私は、その共生心の羅針盤が「華厳」だと確信している。

だから紹介している。 だが私は、紹介するだけだ。

参考になって欲しいとは願うが、それだけだ・・・・・


「犬との暮らし」も、つまりは共生だ。

その環境の中で、その状況の中で、互いが認め合って共に生きていく。

社会生活の条件の範疇で、最高の共生を目指していく。

社会に真の共生観が浸透すれば、おのずと「ペット」の概念は消滅していくと思う。

そうなれば、おのずと虐待・飼育放棄も激減すると思う・・・・・

犬との暮らしの本領は「共生」だと思う。

だから「ペット」の概念は、そもそもが不自然であると思う。

ペットで飼うつもりなら、飼わない方がいいと思う。

ペットとして飼えば、やがて必ず問題が頻発する。

現実に頻発している。エンドレスのように頻発している・・・・・

「共生」とは、大自然レベルのスケールだけを指す訳ではない。

群れの中にも、家族の中にも、その概念は一貫して貫かれていると思う。


互いの尊厳を認め合い、互いに調和に献身し、そして共生が実現する。

リスペクト・・・それこそが共生の本質だと思う。

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