<2008年6月26日>
書庫の「犬種理解」でも書いたが、
気性の烈しい強力な犬種を飼うには、心構えが必要だ。
そのような犬種に憧れる人は多いが、手に負えず飼育放棄する人も多い。
烈しい個体だと里子にも行けずに、結局は「死」が待っている。
そのような犬も、実は本当に可愛いのだ。
一般犬種以上に一途な純情を持っていることも多いのだ。
だが、一歩誤れば獰猛性が発現することもある。
その原因はさまざまだ。決して一概には言えない。
決して外からは知り得ない原因が隠されているのだ。
その犬の個性がある。その飼主の個性がある。
犬の個性と飼主の個性との相克がある。
その時の状態がある。その時の状況がある。
それらのファクターが複雑に絡み合う。
そして次々と新たな局面が展開していく。
困難な局面を向かえる時もある。
予測不能な局面を向かえる時もあるのだ。
一頭一頭が、異なる個性を秘めている。
犬種を知る。個性を知る。状態を知る。状況を知る。
常に、洞察だ。 一瞬一瞬に、洞察だ。
飼育上の大まかな指針はあるが、「マニュアル」で洞察はできない。
マニュアルで飼育できるのなら、こんなに簡単なことはない。誰でも飼える。
だが現実には、飼育放棄者が多数存在する・・・・・
つまり、「対話」しかない・・・・・
その犬の個性と対峙して本気で対話を試みるしかない・・・・・
その犬の心境を知る。その犬のその時の心境を知る。
心境を知った上で、導いていく。
心境を知らずに導くことなどできないのだ。
高慢な支配者意識で導く訳ではない。
その意識は、強烈に超剛胆な犬の場合には逆効果となる場合が多い。
隷属を強要するのではなく、人間社会で共に生活するために導く・・・・・
「危険な犬」だからといって、こちらが「鎧」に身を固めている訳にはいかない。
厳重に警戒して臨めば、当面は咬まれずに済むかも知れない。
だが、そこまでだ。 そこからは一歩も前に進めない。
完全防備で臨むのは簡単だが、「裸の心」で対話することなど不可能になる。
「互いの信頼」など、はるか彼方の夢の話に終わる・・・・・
危険な個体と対峙する時、最初からリスクを覚悟する。
万全に注意していても、リスクは避けられない。
問題は万一攻撃を受けた時、いかにリカバリーできるかだ。
いかに犬を鎮め、いかに攻撃を最小に抑えるかが、それが重大事だ。
その対処を誤ると、致命的なダメージを負うことになる。
特に闘犬種は、一旦闘志に火が付くと、極度の興奮状態になる。
だからその興奮状態を鎮めることは至難に近い。
だが、鎮めなければならない。
「覚悟」は、この時に発揮されるのだ・・・・・
興奮した大型犬の力は尋常なレベルではない。
人間とは比較にならない次元の瞬発力を持つ。
<20kgの犬でさえ、本気になれば大の男が抑え難いほどだ>
彼らが本気を出せば、致命傷を受けるか殺される。
だから、何としてでも鎮めなければばならない。
「覚悟」は、この時に発揮されるのだ・・・・・
肚を据えた覚悟で、犬を鎮める。
覚悟が、通用する時もあるだろう。
しかし、通用しない時もあるだろう。
だが肚を据えた覚悟なしには、鎮める可能性はゼロになるのだ・・・・・
だから、普段の対話が如何に重大かが分かるはずだ。
対話を試みる努力が如何に重大かが分かるはずだ。
対話が少しでも進んでいれば、最悪の事態を避けられる場合が殆どなのだ。
これまで「動物との対話」など、誰も関心を持たなかった。
だが本当は、対話こそが共に暮らす上での根幹なのだ。
この人間社会で共に暮らすには、「しつけ訓練」では限界が来る。
この人間社会で共に暮らすには対話が不可欠であることを、知って欲しい・・・・・
「動物との対話」を提唱すると、「怪しい・・頭がおかしい・・」と思われるかも知れない。
だが現実に、飼い切れなくて放棄する飼主は一杯いる。
飼主の対応に問題があって、それで獰猛になる犬も多い。
「バカ犬!!」とか「凶暴犬!!」とか言われて抹殺されてきたのだ・・・・・
昔、咬癖を持つロットワイラーやハスキーと付き合った。
<ロットワイラー: ドーベルを四割増くらい頑丈にした大型犬>
もちろん、真剣勝負の教導だ。
いつ咬まれても、おかしくはないのだ。
「時間」もまた重要な条件だった。
慎重にプロセスを踏んで、徐々に進む。
プロテクターなど着けない。いつも生身の身体だ。強烈な緊迫感だ。
だが、徐々に徐々に、次のステージに登っていった。
そして、一緒に寝れるようになった。
その後、物凄い勢いで私に甘えるようになった。
胸が切なくなった。
よほど、何かがあったのだろう・・・・・
よほど何かの事情があったのだろう・・・・・
剛胆な気質が攻撃性の原因の一部になったとは言え、それだけでは無かったのだ・・・・・
だが、一旦咬癖となった犬の精神を鎮めることは、相当に至難だ。
それに較べれば、日常の中で対話を実践して予防する方が何百倍も容易だ。
だから、普段の対話が重大だ。
対話の努力を惜しんだ時、やがて不幸が訪れる・・・・・
「困難な犬」の飼育は大変だ。
そのような犬と暮らすには相当な精神エネルギーが求められる。
だが本気で対峙した時、大きな学びを得る。
その学びは、必ず実社会で生かされる・・・・・
「困難な犬」にも、必ず隠された美徳がある。
思いもよらない素晴らしい美徳が隠されている。
それを見れるか見れないかは、対話次第だ・・・・・
**** WOLFTEMPLE ****
書庫の「犬種理解」でも書いたが、
気性の烈しい強力な犬種を飼うには、心構えが必要だ。
そのような犬種に憧れる人は多いが、手に負えず飼育放棄する人も多い。
烈しい個体だと里子にも行けずに、結局は「死」が待っている。
そのような犬も、実は本当に可愛いのだ。
一般犬種以上に一途な純情を持っていることも多いのだ。
だが、一歩誤れば獰猛性が発現することもある。
その原因はさまざまだ。決して一概には言えない。
決して外からは知り得ない原因が隠されているのだ。
その犬の個性がある。その飼主の個性がある。
犬の個性と飼主の個性との相克がある。
その時の状態がある。その時の状況がある。
それらのファクターが複雑に絡み合う。
そして次々と新たな局面が展開していく。
困難な局面を向かえる時もある。
予測不能な局面を向かえる時もあるのだ。
一頭一頭が、異なる個性を秘めている。
犬種を知る。個性を知る。状態を知る。状況を知る。
常に、洞察だ。 一瞬一瞬に、洞察だ。
飼育上の大まかな指針はあるが、「マニュアル」で洞察はできない。
マニュアルで飼育できるのなら、こんなに簡単なことはない。誰でも飼える。
だが現実には、飼育放棄者が多数存在する・・・・・
つまり、「対話」しかない・・・・・
その犬の個性と対峙して本気で対話を試みるしかない・・・・・
その犬の心境を知る。その犬のその時の心境を知る。
心境を知った上で、導いていく。
心境を知らずに導くことなどできないのだ。
高慢な支配者意識で導く訳ではない。
その意識は、強烈に超剛胆な犬の場合には逆効果となる場合が多い。
隷属を強要するのではなく、人間社会で共に生活するために導く・・・・・
「危険な犬」だからといって、こちらが「鎧」に身を固めている訳にはいかない。
厳重に警戒して臨めば、当面は咬まれずに済むかも知れない。
だが、そこまでだ。 そこからは一歩も前に進めない。
完全防備で臨むのは簡単だが、「裸の心」で対話することなど不可能になる。
「互いの信頼」など、はるか彼方の夢の話に終わる・・・・・
危険な個体と対峙する時、最初からリスクを覚悟する。
万全に注意していても、リスクは避けられない。
問題は万一攻撃を受けた時、いかにリカバリーできるかだ。
いかに犬を鎮め、いかに攻撃を最小に抑えるかが、それが重大事だ。
その対処を誤ると、致命的なダメージを負うことになる。
特に闘犬種は、一旦闘志に火が付くと、極度の興奮状態になる。
だからその興奮状態を鎮めることは至難に近い。
だが、鎮めなければならない。
「覚悟」は、この時に発揮されるのだ・・・・・
興奮した大型犬の力は尋常なレベルではない。
人間とは比較にならない次元の瞬発力を持つ。
<20kgの犬でさえ、本気になれば大の男が抑え難いほどだ>
彼らが本気を出せば、致命傷を受けるか殺される。
だから、何としてでも鎮めなければばならない。
「覚悟」は、この時に発揮されるのだ・・・・・
肚を据えた覚悟で、犬を鎮める。
覚悟が、通用する時もあるだろう。
しかし、通用しない時もあるだろう。
だが肚を据えた覚悟なしには、鎮める可能性はゼロになるのだ・・・・・
だから、普段の対話が如何に重大かが分かるはずだ。
対話を試みる努力が如何に重大かが分かるはずだ。
対話が少しでも進んでいれば、最悪の事態を避けられる場合が殆どなのだ。
これまで「動物との対話」など、誰も関心を持たなかった。
だが本当は、対話こそが共に暮らす上での根幹なのだ。
この人間社会で共に暮らすには、「しつけ訓練」では限界が来る。
この人間社会で共に暮らすには対話が不可欠であることを、知って欲しい・・・・・
「動物との対話」を提唱すると、「怪しい・・頭がおかしい・・」と思われるかも知れない。
だが現実に、飼い切れなくて放棄する飼主は一杯いる。
飼主の対応に問題があって、それで獰猛になる犬も多い。
「バカ犬!!」とか「凶暴犬!!」とか言われて抹殺されてきたのだ・・・・・
昔、咬癖を持つロットワイラーやハスキーと付き合った。
<ロットワイラー: ドーベルを四割増くらい頑丈にした大型犬>
もちろん、真剣勝負の教導だ。
いつ咬まれても、おかしくはないのだ。
「時間」もまた重要な条件だった。
慎重にプロセスを踏んで、徐々に進む。
プロテクターなど着けない。いつも生身の身体だ。強烈な緊迫感だ。
だが、徐々に徐々に、次のステージに登っていった。
そして、一緒に寝れるようになった。
その後、物凄い勢いで私に甘えるようになった。
胸が切なくなった。
よほど、何かがあったのだろう・・・・・
よほど何かの事情があったのだろう・・・・・
剛胆な気質が攻撃性の原因の一部になったとは言え、それだけでは無かったのだ・・・・・
だが、一旦咬癖となった犬の精神を鎮めることは、相当に至難だ。
それに較べれば、日常の中で対話を実践して予防する方が何百倍も容易だ。
だから、普段の対話が重大だ。
対話の努力を惜しんだ時、やがて不幸が訪れる・・・・・
「困難な犬」の飼育は大変だ。
そのような犬と暮らすには相当な精神エネルギーが求められる。
だが本気で対峙した時、大きな学びを得る。
その学びは、必ず実社会で生かされる・・・・・
「困難な犬」にも、必ず隠された美徳がある。
思いもよらない素晴らしい美徳が隠されている。
それを見れるか見れないかは、対話次第だ・・・・・
**** WOLFTEMPLE ****