<2008年6月19日>

犬種の特質を知ることは重要だ。

犬種によって、感受性・行動が大きく異なるからだ。

犬種は、犬の或る部分を、人為で特化した。

だから本能・習性も、犬種によって大きく異なる。

例えば「闘犬・猟犬・護衛犬・牧羊犬・ソリ犬」などなど・・・

従って飼おうとする人は、その犬種の特質を充分に把握しておかねばならない。

だが、正確にその特質を教えてくれる人は極めて少ない。

犬種解説の本にしても、適確な解説にお目に掛かったことは殆ど無い。

特に、飼う際の注意点を正直に書いた本は極めて稀だ。

どの本も、当たり障りの無い範囲で無難に書こうとしている。

洋書には、時に詳しい解説の本もある。

だから昔は随分と洋書を集めた。30年以上の昔だ。

だが洋書も、翻訳次第で内容が変わってしまうので要注意だ。

飼育初心者の人たちは「本」を鵜呑みにしてしまう場合が多い。

本で「頭でっかち」になってしまう人が多い。

だが本と飼育の現実とは相当に異なることを知るべきだ。


例えば、「ソリ犬」はチームで労働するから協調性に富み・・・・

と紹介する本が多いが、これでは人々は誤解する。

ソリ犬が大人しくて飼い易い犬だと錯覚するだろう。

協調してソリを曳くまでにはプロセスがある。

チームが纏まるまでには過酷なプロセスがあり、その果ての調和なのだ。

群れを存続させるための理想の順列が決まるまで、激烈な闘いが続く。

闘いが目的ではなく、「群れの統制」を目的とした闘いだ。

そこに目に見えない「統制力」が働いていなければ、群れは存続できないのだ。

本来のソリ犬世界には超労働がある。壮絶な闘いがある。烈しい狩猟もある。

そこに生きるソリ犬を支える基本は「闘志」だ。

闘志無しには、生き抜くことはできなかったのだ。

だからソリ犬を理解するということは、その「闘志」をも理解するということだ。

確かに家庭犬としてブリーディングされ続けた「元ソリ犬」犬種は穏やかになった。

だが、何故わざわざ元ソリ犬の犬種をペットとして飼いたがるのか、とても不思議だ。

穏やかになったとはいえ、

大きなエネルギーを持つ個体・烈しい闘志の名残りを秘めた個体も生まれるのだ。

そのような個体がペットとして手に余るのは目に見えている。

それなのに、その肝心なことを誰も注釈してこなかった。

大人しくて飼い易い犬種は他にいくらでもいるのに・・・・・

昔、「狼犬」を販売する業者がいた。

キャッチコピーは「フレンドリーです!!」だった。

そして高額で買い求める人が結構多かった。

その多くが、ギブアップした。

薬殺したり、一生狭いオリの中に監禁して飼う人が多かった。

何を血迷ったか、繁殖して金儲けを企む個人も多かった。

例え犬の血を配合したといえども、狼犬のエネルギーの大きさは最初から明白だ。

犬とは異なる野性・犬とは異なる本能の持ち主であることは最初から明白だ。

最初から明白なのに、金に目が眩んで甘言で売り捌く。

そして多くの狼犬が、悲劇の運命を辿った。

「元闘犬」犬種・「元護衛犬」犬種についても甚だ説明不足だ。

「訓練で闘争本能を制御し・・・・」などと気軽に書く本が殆どだが、

特に闘犬種の場合には、非情な手段で徹底的に闘争本能をクローズアップしてきた。

冷酷に徹底的に特化させたくせに、「訓練次第で・・・・」と呑気に書いているのだ。

勿論、ペット系統と実戦系統とでは血統が異なる。

だがペット系の個体にも、多少なりとも闘犬の本能が残っている場合が多い。

だから飼主は、それを充分に承知の上で、常に挙動を洞察していかねばならない。

殆どの場合、主人には非常な忠実を示すが、対動物には厳重注意が必要だ。

中には動物に対しても穏やかな固体もいるが、それは特例だと認識すべきだ。

<※「イングリッシュ・ブルドッグ」は闘犬種の範疇には入りません。>

「猟犬」には多様なタイプがある。

鳥猟犬・獣猟犬・格闘狩猟犬・・・さまざまだ。

だが格闘型猟犬種ともなれば、本来的にはペットには向かない。

しかし安易にペットにされてきた。

だから手に余り、飼育放棄する人も多かった。

日本犬中型種も本来は安易にペットにはできない犬種だ。※特に雄の場合。

彼らの本質・本領を真に理解した人だけが飼えばいいのだが、

理解できない人が飼うと不幸が訪れる。

犬種標準では「悍威に富み良性にして・・・・」と謳うが、

この場合の「良性」とは人間への穏やかさと忠実性だ。

これは人間側の都合・要求であり、実際には悍威と「良性?」は両立が困難な場合がある。

真に悍威の強い固体は、理不尽な強制に対しては敢然と拒否する場合も多いのだ。

悍威とは、過剰な闘争心を指す訳ではない。

だが、不屈の闘魂と覚悟無しには「悍威」は生まれない。

そしてその闘魂と覚悟は、理不尽に対しても発動されることを忘れてはならないのだ。

本質的日本犬中型種を飼うには、本来その辺を充分に理解しなければならないのだ。

<※実猟系統は血統が異なりますが、ペット系統も本質の全てを失った訳ではありません。>

15年ほど前に、フィールド系の「黒ラブ」の兄弟たちをトレイニングした。

現役バリバリの実猟血統の輸入犬たちだったが、凄かった。

普通にラブラドールを想像する人には、彼らのエネルギーが信じられないだろう。

毎日いろんな方法でレトリーブをトレイニングした。

彼らの情熱と執念は凄かった。本当に感服した。

その当時はまだ「ドッグ・フリスビー」など世間に認知されていなかったが、

彼らの果敢なフライング・キャッチは、今でもこの目に焼きついている。

いつも5頭の兄弟の全員でトレイニングしたが、全員が凄かったのだ。

彼らを、もしペット感覚で飼ってしまったら、飼主はお手上げとなっただろう・・・・・


昔、調教師の元に世話になっていた時期がある。

そこには常に、無数の犬種がいた。

中・大型犬種が多かったが、大体いつも50頭くらい居た。

護衛犬種系・闘犬種系・猟犬種系が多かった。

その頃はアシスタントたちが辞めてしまい、私は一人で50頭の世話をしていた。

朝6時半から夜9時半まで、延々と世話が続く。

「清掃・給餌・ドッグラン運動・リードトレイニング・グルーミング」・・・

これを毎日一人でやった。一切、手抜きはしない。

たまたま私は体力があったので、それで可能だったのかも知れないが、

武道の修行時代のように、渾身の力を賭けて日課を進めた。

もっともっと、一頭一頭と触れ合う時間が欲しかったが、叶わぬ望みだった。

次々と犬たちが待っているのだ。みんな平等なのだ・・・・・

我が家の犬たちの世話は、日の出前の早朝と午後の3時間ほどを充てた。

毎日毎日、日の出の前から就寝まで、一日中「犬との世界」だった。

そこには実にさなざまな犬種たちがいたから、勉強になった。

犬種による「反応」の違いを、「表現」の違いを、身体に刻み込んだ。

人は簡単に「しつけ次第・訓練次第」と言うが、

それだけではカバーできない部分も多いし、逆効果の場合もあり得る。

だから安易な気持ちで飼ってしまう飼主を見ると心配になる。

結局は、犬が不幸になるのだ。

その犬種の特質を、その個体の個性を、それを常に念頭に置く。

その犬の行動を常に予測する。

その犬を「ドッグラン」に入れたらどういうことになるか??

対人・対犬に於いてその個体はどのような反応となるか??

ノーリードにしたらどのような反応行動を起こすのか??

そのようなことを常に予測する。

予測するということは、真剣に対峙するということだ。

犬を飼うことは、遊びやレジャーではない。

重い!!と言われるかも知れないが、犬は「命!!」なのだ。

真剣な対峙無しには、犬は飼わない方がいい。

犬が不幸になるだけだ。

現実に、保健所はいつも満杯だ!!


犬は犬種によって違う。 だが、根本の純情は一緒だ。

犬は犬種を問わず一緒だ。 だが、特質は大いに違う。

「一緒だけど違う」・「違うけど一緒」、これが重要だ。

「違う」と「一緒」のどちらもが重大な認識なのだ。

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