<2008年6月9日>
A N I M A L I A ・・・「動物界」のことだ。
大自然の偉大な調和を知る者たちの世界だ。
動物たちは、伴侶動物も家畜も野生動物も、互いに交信できる。
交感による交信。交感による対話。
彼らは「心眼心耳」が当たり前だから、「心観」が当たり前だから、
だから種族の違いを超えて交感できる。
種の異なる者同士が、互いの心境を知る。
こんなに凄いことはない。 マーベラス!!!
そこには「言語」は無い。
だから言語絶対主義の人々には、「交感」がイメージし難いだろう。
交感など、妄想にすぎないと思うかも知れない。
だが動物界では、実際にそれが行なわれている。普通に。
数キロ離れた狼同士が、一切の声を使わずに交信する。
さまざまな動物たちが無言の中でレスポンスする。
エスキモー犬の「雷・ライ」と狼の「太郎」も、無言で交感していた。
21年前、私の留守の時、まだ子狼の太郎がフェンスを跳躍して山に遊びに出かけた。
嵐のような豪雨が続いていた。
太郎は雨などまるで気にしないので、豪雨の中でも遊んでいることが容易に想像できた。
二日間、足を棒にして捜したが見つからなかった。
三日目、ふと思いついて、「雷」を連れて行くことにした。
まだ豪雨が続いている。
長尺の手綱を手にして雷を犬舎から出す。
犬舎を出た瞬間、雷は猛然とダッシュした。
スタートしてから2時間以上、ノンストップで走った。
ズブ濡れで、私は息を切らしながら死に物狂いで山を走った。
雷は、微塵も迷わずに、微塵も躊躇無く、前を見据えて私を先導した。
雷には、揺るぎ無き確信があった。それが伝わった。
雷は、最初から太郎の行方が分かっていたのだ。
この豪雨だ。臭覚でないことは明らかだ。聴覚でもない。
超感覚の交感だ。それ以外には考えられなかった。
雷の父犬は北極生まれの北極ソリ犬だ。
北極ソリ犬は、無限に広がる氷の世界を、己の感覚だけを頼りに走る。
人間にとっては「ホワイトアウト」の状況でも、北極ソリ犬は果敢に走る。
数千年間、彼らはそうやって生きてきた。
北極エスキモー犬の雷にとっては、超感覚が普通の感覚なのだ。
だから雷が嵐のような豪雨の中で太郎と交信できても、何ら不思議ではなかった。
雷に導かれて延々と走った先に、太郎がいた。
満面の笑顔で、我々を出迎えてくれた。
太郎は兄貴である雷の元に駆け寄り、喜び一杯に抱きついた。
その光景は、雨の中でも眩しく輝いていた。今も鮮やかに瞼に浮かぶ。
私は雷と太郎を抱き締め、安堵で泣いた。
そして雷に対する感謝と尊敬で、感無量になった。
雷は、家に居る時から、太郎の無事が分かっていたようだ。
だから落ち着いて待機していたのだ。
雷も太郎も、日常の中で無言で交感した。
人間界では「テレパシー」という言葉で超常扱いされるが、動物界では普通感覚なのだ。
私に超常能力など無いが、ずっと彼らを見続けてきたから、その存在が実感できる。
去年、3週間に亘り、熊が訪れた。
大型の猛者たちが他界したので、熊も気軽に来れたのだろう。
我が家族たちは、熊と交感していた。
日中、私の留守の間に来ることも多かった。気配が残っているから分かる。
夜、犬たちの世話を終えて、彼らを遊び場に放していた時、ラップ音が聴こえた。
暗闇の中、犬たちが森の彼方を注目する。
突然、「タケル」が跳躍してフェンスを乗り越えた。
そのまま猛然とダッシュして、あっと言う間に消えてしまった。
タケルは柴犬ミックスの小型だ。
動きは充分に素早いが、かなり心配になった。
はるか先で、タケルの疾る音が聴こえる。
間違いない。熊の元に向かったのだ。
遠くで、何か大きな生き物が動く気配が分かる。
タケルが、その周りを走っている。
タケルは自分で大丈夫だと判断している。
彼がそう思うなら大丈夫なのだろうが、それでも心配だ。
タケルが熊に迷惑を掛けることは無いだろうが、
タケルが怪我をすることはないだろうが、
おそらく互いに遊んでいることは間違いないのだが、
それでも心配になって呼びを掛けた。
「タケル!!」夜の森に私の呼び声が響く。
「タケル!!!」もう一度叫んだ。
遠くから、彼の疾走する音が聴こえる。その音がだんだんと近づく。
タケルが、息を切らして戻ってきた。満面の笑顔だ。楽しかったのだろう。
犬たちが熊に敵意を持っていれば、即座に分かる。
或いは怖れがあれば、犬たちの様子で一発で分かる。
だが、その気配は無かった。
彼らにとって「森の友だち」、それしか考えられない。
熊は、遊びに来ていたのだ。
犬たちと熊とは、確かに「交感」していたのだ。
冬に入り、一面が銀世界になると、森の誰が訪れたかが分かる。
雪面にはっきりと足跡が残っているからだ。
「小太」の所にはカモシカが来る。
なぜ小太の所に来るのかは分からないが、毎年のように来る。
カモシカと小太は、つまり友だちなのだ。
いつも小太は、森の彼方をジッと見つめている。
「友だち」のことを想っているのだ。
彼のその姿を見ていると、胸がジンとして切なくなる。
昔、「次郎」の元にはキツネが遊びに来ていた。
その頃は大きな猛者の家族たちがいたが、彼ら公認で遊びに来ていた。
猛者たちは黙ってキツネと次郎を見守っていた。
キツネは次郎のエサを食べた。
次郎は笑顔でそれを眺めていた。
だが、キツネはエサ目当てで来ていたのではない。
エサが無い時でも、キツネはしばらく次郎と遊んでいたのだ。
そして、帰った後に、必ずキツネの呼び声が響く。
「次郎君!次郎君!楽しかったよ!ありがとう!!」
来れない日にも、キツネの呼び声がこだまする。「次郎君!!次郎君!!」
次郎が立ち上がる。天を仰いで、その声を聴いている。
次郎のその顔が忘れられない。その慕情の眼差しが、忘れられない。
私は泣いた。彼らの友情に、泣いた。
キツネに、過酷な試練が訪れることが分かるから、
キツネの、渾身の生涯が分かるから、
その試練の生涯の中の、これはきっと忘れ得ぬ想い出になるだろうから、
だからこの瞬間の中の彼らの輝ける友情に、泣いた。
犬たちはこうして、森の友だちと交感していた。
私は教えてもらった。
動物たちが、食べるだけ、生存するだけ、それだけではないことを。
彼らが互いの境遇を知り、互いの心境を知っていることを。
動物界が、「交感世界」であることを。
森の動物たちのことを想う。
熊たち。カモシカたち。キツネたち。そして森のみんな。
彼らの毎日がどれほど大変かが分かる。
彼らがどれほど懸命に生きているかが分かる。
美しくも厳しい世界。厳しくも美しい世界。
全身全霊・・・彼らのみんなが、一瞬一瞬を、力の限りに生きている。
今日も、祈る。
一心に、祈る。
アニマリアのみんなのことを。
**** WOLFTEMPLE ****
A N I M A L I A ・・・「動物界」のことだ。
大自然の偉大な調和を知る者たちの世界だ。
動物たちは、伴侶動物も家畜も野生動物も、互いに交信できる。
交感による交信。交感による対話。
彼らは「心眼心耳」が当たり前だから、「心観」が当たり前だから、
だから種族の違いを超えて交感できる。
種の異なる者同士が、互いの心境を知る。
こんなに凄いことはない。 マーベラス!!!
そこには「言語」は無い。
だから言語絶対主義の人々には、「交感」がイメージし難いだろう。
交感など、妄想にすぎないと思うかも知れない。
だが動物界では、実際にそれが行なわれている。普通に。
数キロ離れた狼同士が、一切の声を使わずに交信する。
さまざまな動物たちが無言の中でレスポンスする。
エスキモー犬の「雷・ライ」と狼の「太郎」も、無言で交感していた。
21年前、私の留守の時、まだ子狼の太郎がフェンスを跳躍して山に遊びに出かけた。
嵐のような豪雨が続いていた。
太郎は雨などまるで気にしないので、豪雨の中でも遊んでいることが容易に想像できた。
二日間、足を棒にして捜したが見つからなかった。
三日目、ふと思いついて、「雷」を連れて行くことにした。
まだ豪雨が続いている。
長尺の手綱を手にして雷を犬舎から出す。
犬舎を出た瞬間、雷は猛然とダッシュした。
スタートしてから2時間以上、ノンストップで走った。
ズブ濡れで、私は息を切らしながら死に物狂いで山を走った。
雷は、微塵も迷わずに、微塵も躊躇無く、前を見据えて私を先導した。
雷には、揺るぎ無き確信があった。それが伝わった。
雷は、最初から太郎の行方が分かっていたのだ。
この豪雨だ。臭覚でないことは明らかだ。聴覚でもない。
超感覚の交感だ。それ以外には考えられなかった。
雷の父犬は北極生まれの北極ソリ犬だ。
北極ソリ犬は、無限に広がる氷の世界を、己の感覚だけを頼りに走る。
人間にとっては「ホワイトアウト」の状況でも、北極ソリ犬は果敢に走る。
数千年間、彼らはそうやって生きてきた。
北極エスキモー犬の雷にとっては、超感覚が普通の感覚なのだ。
だから雷が嵐のような豪雨の中で太郎と交信できても、何ら不思議ではなかった。
雷に導かれて延々と走った先に、太郎がいた。
満面の笑顔で、我々を出迎えてくれた。
太郎は兄貴である雷の元に駆け寄り、喜び一杯に抱きついた。
その光景は、雨の中でも眩しく輝いていた。今も鮮やかに瞼に浮かぶ。
私は雷と太郎を抱き締め、安堵で泣いた。
そして雷に対する感謝と尊敬で、感無量になった。
雷は、家に居る時から、太郎の無事が分かっていたようだ。
だから落ち着いて待機していたのだ。
雷も太郎も、日常の中で無言で交感した。
人間界では「テレパシー」という言葉で超常扱いされるが、動物界では普通感覚なのだ。
私に超常能力など無いが、ずっと彼らを見続けてきたから、その存在が実感できる。
去年、3週間に亘り、熊が訪れた。
大型の猛者たちが他界したので、熊も気軽に来れたのだろう。
我が家族たちは、熊と交感していた。
日中、私の留守の間に来ることも多かった。気配が残っているから分かる。
夜、犬たちの世話を終えて、彼らを遊び場に放していた時、ラップ音が聴こえた。
暗闇の中、犬たちが森の彼方を注目する。
突然、「タケル」が跳躍してフェンスを乗り越えた。
そのまま猛然とダッシュして、あっと言う間に消えてしまった。
タケルは柴犬ミックスの小型だ。
動きは充分に素早いが、かなり心配になった。
はるか先で、タケルの疾る音が聴こえる。
間違いない。熊の元に向かったのだ。
遠くで、何か大きな生き物が動く気配が分かる。
タケルが、その周りを走っている。
タケルは自分で大丈夫だと判断している。
彼がそう思うなら大丈夫なのだろうが、それでも心配だ。
タケルが熊に迷惑を掛けることは無いだろうが、
タケルが怪我をすることはないだろうが、
おそらく互いに遊んでいることは間違いないのだが、
それでも心配になって呼びを掛けた。
「タケル!!」夜の森に私の呼び声が響く。
「タケル!!!」もう一度叫んだ。
遠くから、彼の疾走する音が聴こえる。その音がだんだんと近づく。
タケルが、息を切らして戻ってきた。満面の笑顔だ。楽しかったのだろう。
犬たちが熊に敵意を持っていれば、即座に分かる。
或いは怖れがあれば、犬たちの様子で一発で分かる。
だが、その気配は無かった。
彼らにとって「森の友だち」、それしか考えられない。
熊は、遊びに来ていたのだ。
犬たちと熊とは、確かに「交感」していたのだ。
冬に入り、一面が銀世界になると、森の誰が訪れたかが分かる。
雪面にはっきりと足跡が残っているからだ。
「小太」の所にはカモシカが来る。
なぜ小太の所に来るのかは分からないが、毎年のように来る。
カモシカと小太は、つまり友だちなのだ。
いつも小太は、森の彼方をジッと見つめている。
「友だち」のことを想っているのだ。
彼のその姿を見ていると、胸がジンとして切なくなる。
昔、「次郎」の元にはキツネが遊びに来ていた。
その頃は大きな猛者の家族たちがいたが、彼ら公認で遊びに来ていた。
猛者たちは黙ってキツネと次郎を見守っていた。
キツネは次郎のエサを食べた。
次郎は笑顔でそれを眺めていた。
だが、キツネはエサ目当てで来ていたのではない。
エサが無い時でも、キツネはしばらく次郎と遊んでいたのだ。
そして、帰った後に、必ずキツネの呼び声が響く。
「次郎君!次郎君!楽しかったよ!ありがとう!!」
来れない日にも、キツネの呼び声がこだまする。「次郎君!!次郎君!!」
次郎が立ち上がる。天を仰いで、その声を聴いている。
次郎のその顔が忘れられない。その慕情の眼差しが、忘れられない。
私は泣いた。彼らの友情に、泣いた。
キツネに、過酷な試練が訪れることが分かるから、
キツネの、渾身の生涯が分かるから、
その試練の生涯の中の、これはきっと忘れ得ぬ想い出になるだろうから、
だからこの瞬間の中の彼らの輝ける友情に、泣いた。
犬たちはこうして、森の友だちと交感していた。
私は教えてもらった。
動物たちが、食べるだけ、生存するだけ、それだけではないことを。
彼らが互いの境遇を知り、互いの心境を知っていることを。
動物界が、「交感世界」であることを。
森の動物たちのことを想う。
熊たち。カモシカたち。キツネたち。そして森のみんな。
彼らの毎日がどれほど大変かが分かる。
彼らがどれほど懸命に生きているかが分かる。
美しくも厳しい世界。厳しくも美しい世界。
全身全霊・・・彼らのみんなが、一瞬一瞬を、力の限りに生きている。
今日も、祈る。
一心に、祈る。
アニマリアのみんなのことを。
**** WOLFTEMPLE ****