<2008年6月6日>
確か、シベリアでの話だと記憶する。
猟師の見た実話だったと記憶する。
ある勇敢な母猪の話だ。
森で、子連れの猪が、虎と出会った。
絶体絶命だ。
雄の巨緒ならば、多少は虎に応戦できる場合もあるらしいが、
雌の猪では相手にならない。
シベリアン・タイガーは強大だ。
虎の中で最大種であり、ライオンよりも大きいようだ。
昔、動物園でシベリア虎を見たが、あまりの巨大さに唖然とした。
こんな虎が存在するのか!!と驚愕した。
そのシベリア虎と、母猪は出会ってしまった。
しかも子連れだった。
パニックになっても、なんら不思議ではない。
だが母猪は、パニックにならなかった。
気力のすべてで心を踏ん張った。
「子供たちを守らねば!!」その一心だった。
もし母猪が虎の威圧感に呑まれてしまったら、その場で瞬時に倒される。
だが、母猪は呑まれなかった。
子を想う一心が、鋼の気力を生み出した。
母猪と虎は向かい合い、対峙した。
子供たちは母の後ろで震えている。
母は無言で子供たちに伝えた。「早く逃げなさい!!早く!!」
おそらく子猪は、なんとか自活の望みのある月齢に達していたのだろう。
だからこそ、なんとしてでも子猪たちを逃がそうと決意したのだろう。
子猪たちは、まだ逃げなかった。
当然だ。最愛の母なのだ。
母猪が、「早く!!早く!!!」と厳しく命令した。
子猪の野性の本能が、その意味をキャッチした。
その命令の重大さを、キャッチした。
子猪たちは、泣きながら逃げた。
怖くてではない。母の愛に泣いたのだ。
後ろ髪を引かれた。振り返りたかった。
だが、母の覚悟を無にする訳にはいかない。
だから泣きながら、走った。
母猪は堂々と、虎と対峙した。
到底敵わぬ相手だと分かっている。
だが、怖れは微塵も見せなかった。
一刻も長く虎をその場に留めることが自分の使命だと、覚悟したのだ。
虎は、母猪の覚悟を即座に感知した。
虎は、その覚悟に、敬意を表した。
本当なら、容易に倒せる相手なのだ。
だが虎は、その覚悟に敬意を表して、厳然と対峙したのだ。
そして対峙の後に、一撃で母猪は倒された。
だが子猪たちは、逃げ延びた。
偉大な母のお陰で、生き延びた。
母の愛は、母の覚悟は、子猪たちの胸に、永遠に刻まれた。
この先、子猪たちに過酷な試練が待ち受けるだろう。
だがその時、子猪の胸に蘇る。
あの母の、偉大なスピリットが。
食う食われるだけではない。
それだけではない。
大自然は、それだけの世界ではない。
このような、偉大な覚悟のドラマが、毎日毎日一刻一刻に繰り広げられているのだ。
なんという世界だ・・・・・・
言葉が出ない。 ただただ胸を打たれ、敬服する。
野性たちは、
生の一層の輝きのための、
生の彩りをより鮮やかに彩るための、
その結果の死もあることを知っている。
「栄光の死」という存在を知っているのだ。
野性たちの誰にとっても、死は怖ろしいものだ。
だが彼らは怖れているだけではなく、正面から死と対峙している。
群れのボスが、自らを犠牲にして仲間を逃がす時がある。
母親が、敵わぬ相手と知りながら闘いを挑んで我が子を逃がす時がある。
その時に於ける究極の選択を、「本能」の一言で片付ける訳にはいかない。
それは彼らの死生観のひとつの極点であり、
その死は、輝ける「命の証し」であったのだ。
ただ生存にしがみついているだけが「生」ではないことを、
命としての「義」の尊さを、野性たちは知っているのだ。
私はそれを、この目で見た。
我が家族も、その覚悟を秘めていたのだ。
その母犬の名を、「夕月」という。
**** WOLFTEMPLE ****
確か、シベリアでの話だと記憶する。
猟師の見た実話だったと記憶する。
ある勇敢な母猪の話だ。
森で、子連れの猪が、虎と出会った。
絶体絶命だ。
雄の巨緒ならば、多少は虎に応戦できる場合もあるらしいが、
雌の猪では相手にならない。
シベリアン・タイガーは強大だ。
虎の中で最大種であり、ライオンよりも大きいようだ。
昔、動物園でシベリア虎を見たが、あまりの巨大さに唖然とした。
こんな虎が存在するのか!!と驚愕した。
そのシベリア虎と、母猪は出会ってしまった。
しかも子連れだった。
パニックになっても、なんら不思議ではない。
だが母猪は、パニックにならなかった。
気力のすべてで心を踏ん張った。
「子供たちを守らねば!!」その一心だった。
もし母猪が虎の威圧感に呑まれてしまったら、その場で瞬時に倒される。
だが、母猪は呑まれなかった。
子を想う一心が、鋼の気力を生み出した。
母猪と虎は向かい合い、対峙した。
子供たちは母の後ろで震えている。
母は無言で子供たちに伝えた。「早く逃げなさい!!早く!!」
おそらく子猪は、なんとか自活の望みのある月齢に達していたのだろう。
だからこそ、なんとしてでも子猪たちを逃がそうと決意したのだろう。
子猪たちは、まだ逃げなかった。
当然だ。最愛の母なのだ。
母猪が、「早く!!早く!!!」と厳しく命令した。
子猪の野性の本能が、その意味をキャッチした。
その命令の重大さを、キャッチした。
子猪たちは、泣きながら逃げた。
怖くてではない。母の愛に泣いたのだ。
後ろ髪を引かれた。振り返りたかった。
だが、母の覚悟を無にする訳にはいかない。
だから泣きながら、走った。
母猪は堂々と、虎と対峙した。
到底敵わぬ相手だと分かっている。
だが、怖れは微塵も見せなかった。
一刻も長く虎をその場に留めることが自分の使命だと、覚悟したのだ。
虎は、母猪の覚悟を即座に感知した。
虎は、その覚悟に、敬意を表した。
本当なら、容易に倒せる相手なのだ。
だが虎は、その覚悟に敬意を表して、厳然と対峙したのだ。
そして対峙の後に、一撃で母猪は倒された。
だが子猪たちは、逃げ延びた。
偉大な母のお陰で、生き延びた。
母の愛は、母の覚悟は、子猪たちの胸に、永遠に刻まれた。
この先、子猪たちに過酷な試練が待ち受けるだろう。
だがその時、子猪の胸に蘇る。
あの母の、偉大なスピリットが。
食う食われるだけではない。
それだけではない。
大自然は、それだけの世界ではない。
このような、偉大な覚悟のドラマが、毎日毎日一刻一刻に繰り広げられているのだ。
なんという世界だ・・・・・・
言葉が出ない。 ただただ胸を打たれ、敬服する。
野性たちは、
生の一層の輝きのための、
生の彩りをより鮮やかに彩るための、
その結果の死もあることを知っている。
「栄光の死」という存在を知っているのだ。
野性たちの誰にとっても、死は怖ろしいものだ。
だが彼らは怖れているだけではなく、正面から死と対峙している。
群れのボスが、自らを犠牲にして仲間を逃がす時がある。
母親が、敵わぬ相手と知りながら闘いを挑んで我が子を逃がす時がある。
その時に於ける究極の選択を、「本能」の一言で片付ける訳にはいかない。
それは彼らの死生観のひとつの極点であり、
その死は、輝ける「命の証し」であったのだ。
ただ生存にしがみついているだけが「生」ではないことを、
命としての「義」の尊さを、野性たちは知っているのだ。
私はそれを、この目で見た。
我が家族も、その覚悟を秘めていたのだ。
その母犬の名を、「夕月」という。
**** WOLFTEMPLE ****