イメージ 1

イメージ 2

<2008年6月1日>

犬は本来、躍動の動物だ。

運動があって、それで初めて本来の健康が生まれる。

もし自由な状態なら、犬は日に何十kmと走り回る。

しかし人に飼われている以上は、行動は制限される。

その制限の中で、せめてもの躍動を味あわせてあげたい。

犬たちは贅沢など望まない。

だからせめて、運動の日課を続けてあげて欲しい。


我が家族たちの写真はノーリードの光景が殆どだが、

日常の散歩の基本は「手綱運動」だ。

手綱運動については書庫の「命の手綱」「愛犬散歩道」を御参考戴きたい。


我が家の運動メニューは、「徒歩散歩・自転車運動・自由運動」だ。

自転車運動には注意が必要だ。

まさか、手綱を自転車に繋いで走る人は居ないだろうが、

手綱がどこかに絡まったりすれば事故となり、人も犬も怪我をする。

だから手綱は、いつでも、どんな時でも、自在に操れる状態にしておく。

また、犬の突発的な動きにも即座に対応できる状態にしておく。

だから、のん気にしている時など一瞬もないのだ。


■昔、家族の頭数が少なかった頃には、一頭一頭に入念な運動ができた。

自転車やバイクで「速歩・全力速歩・疾走・全力疾走」を日課とした。

左手で絶え間なく手綱を操り、手綱に命を吹き込む。

犬の様子を注意深く観察しながら走る。

歩様はどうか?顔色はどうか?舌色はどうか?呼吸はどうか?体調はどうか?

それらを見極めながら走る。

速歩から全力速歩に移る。

犬の目が変わる。犬の目が本気になる。犬の目に闘志が湧きあがる。

犬の目は、はるか前方を見据えて離さない。

実に美しい顔だ。本気の真剣さが生み出す、素晴らしい顔だ。

この全力速歩「フル・トロット」は、非常に激しい運動だ。

駆け足ではなく、あくまでも速歩だが、速い犬だと肢の動きが見えないほどだ。

この時、犬は己の全力を賭ける。だから顔が変わるのだ。

私は上体を半身にして犬の動きを洞察する。

どこかに僅かでも支障があれば、それは動きに現われる。

呼吸は大丈夫か?顔色は大丈夫か? 細心の注意で見続ける。

「潮時」を見計らう。この潮時が、重大なのだ。

軽い駆け足の「キャンター」に切り替えて、しばらく筋肉をほぐす。

全力速歩は激しい負荷が掛かるので、必ずキャンターで呼吸を整え、筋肉をほぐすのだ。

キャンターから、いよいよ「フル・ギャロップ」に入る。全力疾走だ!!

私の「ヤー!!!」という合図の瞬間に、犬は猛然とダッシュを開始する。

犬の身体が、力のすべてを爆発させる。

頭から尾までのすべてを使って、全身のすべてを使って全力疾走する。

その時の疾る姿は、まさしく「一本の矢」だ。

頭も首も背も尻尾も、すべてが一直線だ。

本当の全力疾走の時には、巻尾の犬も、巻きをほどく。背と一直線になるのだ。

その疾走の姿は、いつ見ても感動の姿だ。いつも感動で胸が熱くなる。

全力疾走を終えたら、キャンターで充分にクールダウンさせる。

完全に呼吸を整えた後に、充分に水を与えて休ませる。

※「尾」は重要な機能を発揮します。巻き尾の犬は巻きを解いてスピードを高め、

スピードターンの時には尾で「舵取り」します。尾で絶妙なバランスを取るのです。


犬は真剣そのものだ。そして私も真剣だ。

犬を絶対に車体側に寄せないように万全の注意を払う。

手綱をニュートラルの状態から締めたり緩めたりしながら、

犬の安全を確実に守りながら、ダイナミックに疾走する。

「手首・肘・腕・肩・脇・背中・腰・膝・足」は、めまぐるしく対応する。

腰はシートの上で自在な動きを求められる。

基本は犬に向かって半身を取るが、「山岳路」ではシートに座している暇はない。

膝を締め、腰を浮かせた状態で悪路に対処する。

大型犬を自転車運動する時には、飼主に体力が必要だ。

もちろん全身の力が必要だが、特に左腕の腕力が必要だ。

手綱を操る腕に腕力が無いと、咄嗟の時に対処できないからだ。


■「舗装路」での運動は厳重注意だ。

アスファルトは極めて硬いので、犬の前肢と肩に甚大な衝撃がかかるのだ。

だから絶対に「下り」でギャロップさせてはならない。

もしさせるのならば「登り」の方が、まだ安全だ。

(※自分が靴を脱いで裸足で走ってみれば、舗装路の衝撃が分かります。)

またアスファルトは足裏に甚大な「摩擦」を与えるので、この点も厳重注意だ。


■大型犬の散歩に「チェーン・カラー」(引くと締まるチェーンの首輪)を使う人が多い。

だがこの強制首輪は、想像以上に危険な首輪だ。

一歩誤れば、犬の首に大きなダメージを与える。

確かに大型犬は凄い力を持っているが、しかし強制首輪を使わずとも散歩は可能だ。

安易に、当たり前の如くに使わずに、自らの制御力を練磨していくべきだ。

安全な首輪で犬を導けるように、自らの教導力と身体力を磨いていくべきなのだ。

夢中になった状態の犬に、どうやって指示を伝えるか??

犬の素早い動きと瞬発力に、どうやって対処するか??

犬が大きな力を発動させる手前で、どうやって未然に防ぐか??

犬の心理・行動を、どうやって予測していくか??

犬の興奮をどうやって鎮めるか??

その場の流れをどうやって転換するか??

そういったことを、自分で研鑽していくべきだ。

犬の突発の動きを予測していくためには、自らの感覚を研ぎ澄ます必要がある。

それは日々の積み重ねで養われる。だから毎日が重大だ。

飼主はいつでも、「動」の中にも深静の洞察力を失わず、

「静」の中にも瞬発の反応力を秘めていなければならない。


■「フリー・トレッキング」(自由運動)の場合も厳重注意だ。

注意を怠れば、野放し状態になってしまうのだ。

犬の行動半径は、徐々に広がっていくのだ。

フィールドは、犬の興味を惹く気配に満ちているのだ。

放っておけば、どんどん離れ、不測の事態を招くのだ。

犬と人間とでは歩くスピードが違うから、

気づいた時には、追いつけない距離になっているのだ。

だから犬が一定の距離を超えだしたら、呼びを掛けて範囲内に戻すのだ。

犬が何かの気配に傾注したら、飼主は全力で洞察する。

犬の興味の度合いを見る。

犬の興味の種類を判断する。

警戒か。猟欲か。闘志か。遊び心か。これらを瞬時に推測する。

犬が高鼻を使い、頭を掲げて力を漲らせた状態は、緊急注意だ。

次の瞬間に犬は疾走し、あっと言う間に姿を消す場合があるのだ。

何秒後かには、すでに遥か彼方を走っているのだ。

その時、犬に何かが起こっても、なすすべが無いのだ。

だから未然に対処するしかないのだ。

犬が特別な緊張感を表現した瞬間に、間髪を入れずに「警告」するのだ。

名前を呼ぶだけでも違う。

犬の気持ちは夢中の状態に入りかけているから、「我に彼らせる」のだ。

そして「念を押す」のだ。

犬は分かっているのだ。しかし迷っている。葛藤しているのだ。

だからその葛藤の想いを断ち切らせ、楽にしてあげるのだ。

犬は迷いから目覚め、気が鎮まるのだ。

「念を入れる」時には、飼主は腹の底からの声で呼びかける。

怒鳴る意味ではない。沈着に、毅然と、力の声を響かせるのだ。

犬の興味を惹く気配が去るまで、手綱を付けて別方向を散策し、気分転換を図る。

完全に流れが転換するまでは手綱を付けて散策するのだ。

犬によって行動様式は千差万別だ。

猟本能の強い犬。闘志旺盛な犬。好奇心の強い犬。実にさまざまだ。

それに加えて犬が複数頭だったら、一頭の時とは全く別次元の事態へと発展するのだ。

だから瞬間瞬間に、犬の様子を洞察していかねばならない。

それが「フリー・トレッキング」の際の、飼主の使命だ。

自由運動の際には、このように「制限」をしなければならないが、

だからといって留めておいてばかりでは運動にならない。

だから飼主も犬と共に移動する。

犬は飼主を中心にして大きな円状に躍動し、その円を移動していく。

つまり「らせん状」に移動するのだが、飼主がそのように導いていくのだ。

そして円が広がり過ぎてきたら軽く呼びを掛け、一定の範囲に収めるのだ。

犬を存分に躍動させてあげるために、飼主は要所要所で「きっかけ」を作ってあげる。

犬が楽しく躍動する「きっかけ」の形はさまざまだ。

犬の個性に合わせた方法で、その場その場で「きっかけ」を発案していく。

「道具」など手にする必要はない。何だって「きっかけ」になるのだ。

犬たちの満面の笑顔を見れば、飼主も幸せな気持ちになれる。

犬たちの笑顔は素晴らしい!! 犬たちは純真の塊りだ!!


■犬の運動は、単なる運動ではない。

機械的な運動では、何の意味も持たない。

犬の運動は、犬と飼主の「共感」の時間なのだ。

犬と飼主とが、共に頑張るのだ。 共に命を燃やすのだ。

犬はそれが、たまらなくうれしいのだ。

身体の躍動だけではない。それは命の躍動なのだ。

その命の躍動が、生命力を格段に高めていくのだ!!


■書庫の「55:ドッグラン」「103:命の手綱」「138:愛犬散歩道」なども御覧ください。

**** WOLFTEMPLE ****