

狼は己の力を人に見せたりはしない。
普段は実に静かで穏やかだ。
狼は犬のような「バーク」(ワンワン)の吠え方は一切しない。
語る時には、猛獣の咆哮で重低音の「ロアー」(ウォー)を響かせる。
狼は吠えない代わりに「ホウル」(遠吠え)を歌う。「魂の歌」だ。
その声量が凄い。重厚な声量だ。
言葉を失うほどの、圧倒的な声の厚みだ。
ホウルが始まると、窓のガラスが振動する。
私が地面に座っていれば、尻に振動が伝わる。
狼のホウルで、大気が振動しているのだ。
本当の話だ。誇張ではない。
もはや声というレベルではないのだ。
これこそが、狼の力の象徴だ。
この声、このホウルが、狼の途方もない底力を象徴しているのだ。
◆もちろん、雄の成獣の声が格段に凄いのは言うまでもない。
狼の力の本領など見る機会は無い。
野生の中で、狼が渾身の力を発揮した光景を、その場で見る機会など無い。
動物番組ではそのような光景を映すことがあるが、
視聴者にはそこに隠された衝撃的な力の攻防が伝わらないだろう。
神技の間合い、神技の呼吸、神技の見切り、神技のアタックが、伝わらないだろう。
すべてが、紙一重だ。すべてが紙一重で交錯しているのだ。
無駄な挙動など微塵も無い。
無駄な動きがひとかけらでもあれば、そこで終りだ。
電撃の踏み込み。電撃の突破。
神技の間合いから、一瞬にロケットアタックが炸裂する。
草食獣は、狼のその神技のアタックから身を護らなければならない。
それは至難の業だ。普通なら到底不可能だ。
だが、草食獣も果敢に応撃する。凄い!!
狼の気迫に、狼の眼力に呑まれたら、そこで終りだ。その瞬間に倒される。
だから草食獣も全気力で踏ん張る。一縷の望みを託して、全霊で踏ん張る。
草食獣たちの底力も凄い。人々の想像を遥かに超えている。
そうでなければ、食い尽くされて滅んでしまうからだ。
だから狼でさえ、獲物を簡単に倒せる訳ではない。
だからテレビなどでは狼の凄さが伝わらないが、実は狼の力は物凄い。
狼の電撃のアタックの衝撃力は圧倒的なのだ。
昔イギリスで「ブル・マスチフ」という犬種が、
「口輪」をはめられた状態で「棍棒を持った大男」と対戦した。
それは当時の人気娯楽ショーだったので、力自慢の男たちが続々と参加した。
だが口輪をされて咬むことを禁止された「ブル・マスチフ」は、
その突進アタックだけで棍棒を手にした大男たちを倒したという。
立っていられる男は、ついに一人もいなかったという記録が残っている。
私もマスチフ族の大型犬種たちをトレイニングしてきたので、
その話が事実であることが分かる。彼らの力と突進力は、実際に凄いのだ。
ましてや当時のブル・マスチフは、現代種よりもずっと烈しい犬だったのだ。
だがしかし、大型雄狼の力は、さらに遥かに凄まじい。比較できないほどだ。
マスチフ族は「重いトルクの塊り」だが、並外れた力だが、
狼はそれに加えて電撃の速さを持つので、つまり異次元の「瞬発力」となるのだ。
狼はパワーとスピードと反射力と瞬発力の塊りだ。
それ無しには野生界では生き抜けないのだ。
「反射力」。 相手の一瞬の微動に、一瞬に反射する。
相手の目の動き、相手の呼吸、相手の心理、一瞬でも微動すれば狼が反射する。
だから相手は動けない。つまり「フリーズ」の状態となるのだ。
狼の眼光は、そのような次元の潜在力を意味しているのだ。
◆昔、山で日本狼と対峙した剣士が、遂に抜刀できずに立ち尽くしたという記録がある。
剣士は、瞬時に狼の実力を察し、その場に凍りついたのだ。
私は狼とともに運動した。狼と一緒に遊んだ。
狼の遊びのアタックを受け、狼とレスリングした。
青年時代の武道の修行が役立った。
もちろん、狼が手加減してくれるから遊べるのだが、
手加減してくれた遊びでさえ、応じるのは実に難関なのだ。
だから武道の心得が役立ったのだ。
左手に手綱を持ち、右手でハンドルを持ち、自転車で運動した。
「速歩」でさえも、人間の駆け足よりずっと速い。
速歩から「キャンター」(軽走)に移っただけで凄いスピードだ。
だから「ギャロップ」(疾走)に移るには、余程の覚悟が必要だ。
バイクで計ったが、疾走に移った途端に、時速60km近くに達してしまうのだ。
だからそれ以上はメーターを見ている余裕など無かった。
狼が走行ラインを僅かに変えただけで、手綱を握る私は宙に舞ってしまうのだ。
だからいつもその付近で、狼に加速を緩めてもらった。
そのまま「全力疾走」に入れば、とんでもないスピードになるからだ。
だからいつも真剣勝負だった。一瞬の油断も許されなかった。
狼は遥かに見上げる険しい崖を、何の躊躇も無く平然と登ってしまう。
そして何の躊躇も無く平然と、ジグザグに駆け降りてくる。
下から見上げる私は、ただ呆然と眺めていた。
途方もないバランス感覚。途方もない筋力。
見上げる私は、彼の驚異の身体能力と果敢な決断力に、心底感服した。
私は狼の力の片鱗を知っている。この身で実感した。
その「片鱗の力」でさえも凄かった。唖然とした。
私は犬たちの凄さも充分に知っている。
犬たちが、人々の想像よりも遥かに凄いことを知っている。
だが狼の力は異次元だった。異次元としか言いようがない。
狼を知れば、大自然の凄さが分かる。
狼は大自然の申し子だ。
その申し子は、人間の想像を超えた領域に棲んでいる。
その鼻先から尾先まで、すべてが神域の芸術だ。
狼の牙の容積は大型犬の倍近く大きい。門歯も実に大きい。
牙の根元は、太くガッシリとアゴに埋め込まれている。
そして大きな歯牙を合理の配列で収めるために、口吻は実質的に太く長い。
そして「牙の力」を存分に発揮するために、全身が頑丈に造られている。
全身の頑丈さと全身の筋力が無ければ、牙の力を全く活かせないのである。
狼は一見スマートに見えるが、実は圧倒的なパワーの持ち主なのである。
狼は、生まれながらに狼だ。
赤ちゃんの時から、すでに十二分に本領が発現されている。
いや、赤ちゃんの時こそ、それが顕著に分かるのだ。
野性は、大自然から生まれた大自然の申し子だ。
野性の領域は、人間がどれほど人為を尽くしても到達できない別世界だ。
人間がどれほど知恵を絞って「ブリーディング」しようとも、野性の次元には到底及ばない。
だから大自然の凄さが分かる。だから大自然が深秘の世界だと分かる。
人間は自信過剰だ。
人間は自分たちの知恵を過信しすぎる。
人間は自分たちの知恵が大自然を凌駕していると錯覚する。
それはとんでもない妄想であることを知るべきだ。
■写真は20年前のものです。「太郎」です。
■上の写真は食事直後です。一度に5kgの食事を平らげました。
■下の写真は「生後4ヶ月半」の頃です。「完全線上歩行」です。
※この歩行は、天性の筋力とバランス感覚がなければ不可能です。
※犬の「シングル・トラッキング」とも異なります。その究極です。
<※この月齢期は、身体が細く見える時期です。>
■書庫の「狼の実像」(no.14・15・16・17)も御覧ください。
※「no.17」は、アメリカンネイティブの人が、私と狼の世界を歌に綴ってくれたものです。
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