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<2008年5月15日>

かつて世界には非肉食文化があった。

東洋に多い。仏教の影響だ。

中国に。韓国に。インドに。東南アジアに。日本に。

非肉食習慣が国の文化として定着し、国民に受容されたのだ。


中国も韓国も長い間に亘り非肉食文化が浸透していたが、

いずれもモンゴルの侵入によって、その文化は破壊された。

朝鮮国では新羅時代に「殺生禁止令」が出され、百済・高句麗・高麗と継がれ、

国内全土が非肉食文化に彩られていた。強制ではなく「文化」として定着したのだ。

しかし1300年代のモンゴルの侵略支配によって、その素晴らしい文化が壊された。

インドでは6割の国民が非肉食らしい。台湾も非肉食文化が公然と認知されている。

日本は江戸末期までは非肉食国だった。肉に対する渇望に苦しむ人間などいなかった。


西洋に目を移せば、古代ギリシャの哲人たちの多くが非肉食者だったようだ。

ローマ帝国でも「新プラトン主義」によって非肉食文化が普及したという。

イギリスでは「バイブル使徒教会」が非肉食文化を広めたという。


本来、肉食は人間の身体に不適合のようだ。

肉食獣は短い腸で肉を素早く効果的に消化吸収するらしいが、

人体はその長い長い腸の中で肉を腐らせる状態になってしまうらしい。

何よりも人間の「歯」が、肉食動物ではないことを証明しているらしい。


人間が肉食を止めれば、全世界が飢餓から救われ、全世界が豊かになるらしい。

こんなに素晴らしいことはない!!

全世界が救われるのなら、肉を食わないことぐらい、どうってことない!!

そして動物たちが、拷問飼育・拷問処刑から解放されるのだ!!


世界のベジタリアンには、実に多くの著名人がいる。驚くほど一杯いる。

枚挙に暇が無いので省略するが、いずれもパワフルでエネルギッシュな人たちだ。

バイタリティーに満ちて創造力と平和精神に溢れた人たちだ。

その人たちが、「肉を食わなくてもパワフル!!」を十二分に実証している。


「肉食肯定・ベジタリアン批難」の人は無数にいるが、

その人たちは声を大にして叫べばいいと思う。「肉が食いたいんだ!!」と。

「どんな手段で動物を殺そうとも、動物が痛みに苦しもうと、肉が食いたいんだ!!」と。

そうすれば一番分かりやすい。理屈を語るから分からなくなってしまうのだ。


因みにベジタリアンたちは、野菜たちにも敬意を払っていると感じる。

おそらく、肉食者たちよりも遥かに植物からの恩恵に感謝しているはずだ。

無論、植物たちも輝ける命だ。当たり前の話だ。

だが植物たちは、食べる側の感謝に喜ぶ。食べる側の祈りに喜ぶ。

そこに本物の感謝があれば、そこに本物の祈りがあれば、彼らは喜ぶ。

だが、「肉」には強烈な悲しみが潜んでいる。

それは当然だ。食肉用の動物の生涯を知れば一発で理解できる。

彼らの生涯の実態を知れば、その悲しみの理由が、一発で分かるはずだ。

「食う食わない」「殺す殺さない」の次元の話ではない。

そこには大自然の食物事情とは次元の異なる理不尽の極致が存在するのだ。

もし人間にひとかけらでも感謝があるのなら、

もし人間にひとかけらでも祈りがあるのなら、

あの拷問飼育・拷問処刑はできないはずだ。あの飽食文化は生まれないはずだ。

「肉」には途方もない悲しみが潜んでいる。決して誇張ではない!!


非肉食など、特別な話ではない。

だが人間の「権利意識」が根深いから、拒絶反応が起こるのだろう。

人間は「肉を食う」という権利を手放すことが惜しいのだ。

その権利意識の妄執から脱却できれば、非肉食など実に簡単だ!!


■参考資料:「世界のベジタリアン」

■肉食の弊害は「菜食のススメ」というブログに詳しく載っていると思われます。

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