
夜の山で、野性禅に入る。
地面に坐り、犬たちとともに入る。
森の命たちの声が聴こえる。
夜の闇の中で活動する彼らの息遣いが聴こえる。
山の魂の出す音が聴こえる。
地鳴りのような時もある。
重低音の、音楽のようなものが聴こえる時もある。
ラップ音の聴こえる夜も多い。
去年、三週間に亘って熊が訪れた頃は、毎日頻繁にラップ音が響いていた。
大きなラップ音の後で、必ず熊が現われたのだ。
ラップ音の前から、犬たちが力を込めた姿勢で森の奥を注目する。
その姿を見ただけで、熊が来ることが分かる。
我が家の大きな猛者たちは他界したので、それで熊さんも安心して来たのだろう。
オーランやロウたちがいた頃は、一度も近づかなかったのだ。
最初は私も熊の気配に圧倒されて緊張したが、その後は沈着できた。
犬たちが冷静だったので、彼らの影響を受けたのかも知れない。
しかし、夜の森にあのラップ音が響く時には、思わず身体が引き締まる。
野性の底知れぬ深さを、大自然界の途轍もない深さを感じるのだ。
今年はまだ熊の近づく気配は無い。何かの事情で来ないのだろう。
山に熊たちの食糧があることを祈る。
野性禅の中で、熊たちの平安を、一心に祈る。
熊たちの苦労が分かるから、彼らの懸命の生涯が分かるから、一心に祈る。
四年前には、本物の地鳴りが轟いた。山が小噴火したのだ。
地面が、山の烈しい鼓動で揺れた。空気も烈しく揺れていた。
頭上をジェット機が飛んでいるような爆裂音が轟く。
この森は標高が高いから、すべてがダイレクトに伝わるのだ。
山麓で避難警報が鳴っている。間断なく鳴っている。
だが、我々家族は批難する場所など無い。
我々は、どこにも行くところが無いのだ。
この大家族の犬たちで、一体どこに避難するというのだ。
この山だけが、我々を受け入れてくれたのだ。
家族が平安に生きられる場所を求めて彷徨した果てに、やっと辿り着いた家なのだ。
この山が、我々の生きられる唯一の家なのだ。
犬たちは冷静だった。みんな落ち着いていた。その姿を見て安心した。
彼らに、肚からの気迫の声を掛けた。渾身の声だ。
「最後まで、みんな一緒だ!!」これが我々の本心だった。
ひとかけらの悔いも無い。みんなが同じ気持ちだった。みんなの本心が伝わるのだ。
我々家族の実像を知らない人は「心中するなど飼主の身勝手だ!」と思うかも知れない。
だが現実には、我々の避難の手段など皆無なのだ。
必ず、誰かの犠牲が発生する。必ず、家族は引き裂かれる。
のちのち、必ず犬たちは迷惑視され、迫害されるのだ。
それがありありと予見できる。それは火を見るよりも明らかなのだ。
だから覚悟した。ここでみんなと運命を共にするのだ。
最後の最後まで、絆を貫くのだ。絆の証しを刻むのだ。
犬たちに力強く声を掛け、地面に坐った。
犬たちは全員、しっかりと私を見ている。
彼らの様子を見て、山が大丈夫なことを直感した。
彼らが、「お父さん、大丈夫だよ!!」と語っているのだ。
山はその後何日も揺れ動いたが、我々はもう平常心でいられた。
我々は山に潜む莫大なエネルギーを知り、そして改めて敬意を払った。
それにしても、犬たちは凄い。まったく頼もしい。私など足元にも及ばない。
そんな彼らが、私を立ててくれるのだ。 まったく、有難いことだ。
その後は、山は落ち着いた。
だが、山の鼓動はいつも聴こえる。
我々は山のエネルギーをいつも感じて暮らしているのだ。
噴火はエネルギーの発散なのだ。ごくごく自然なことなのだ。
ごくごく自然なことなのだから、それで死んでも仕方の無いことなのだ。
いつもいつも、山から恩恵を受けてきたのだ。
大自然から恩恵を受けっ放しで生きているのだ。
だからちょっとぐらい何かが起ころうと、それは仕方の無いことなのだ。
たとえ冬が酷寒であろうとも、森が雪に覆われようとも、微塵も文句など言えない。
酷寒だから、雪に覆われるから、だからこそ我々はここで安心して暮らせるのだ。
人間は大自然に対して「心地よさ」だけを求める場合が多い。
だがそれは「御都合主義」だ。
綺麗な景色や穏やかな部分だけを受け入れ、猛々しい野性を拒絶する。
自分に都合のいい部分だけを認め、不都合の部分を否定する。
しかしそれだけでは済まない。人間の身勝手はさらにエスカレートする。
人間に都合のいい部分は徹底的に利用され、不都合の部分は徹底的に攻撃される。
穏やかな草食獣は食糧として標的にされ、強力な猛獣は敵として標的にされる。
人間の心の中は常に、利用と攻撃の魂胆が渦巻いているのだ。
人間はいつも、なんでもかんでも思い通りにしたがるのだ。
夜の山で、野性禅に入る。
大自然を、心観する。
観察でもない。傍観でもない。心眼心耳の「心観」だ。
美しい景色、さわやかな空気、緑豊かな森、綺麗な清流、どれもが素晴らしく有難い。
だが大自然のその奥の、そのまた奥の深秘の世界を、夜の山で心観する。
命たちが見える。大自然を支える無数の命たちが見える。
彼らの懸命な生涯を感じる。彼らの全身全霊のドラマを感じる。
いつも、たまらなくなる。 感動とリスペクトが胸に押し寄せる。
「大自然は心の世界だ!!!」いつも確信する。
すべての命たちの、それぞれの生涯が、それぞれの渾身のドラマが、
一瞬一瞬に、壮大なハーモニーとなって、大自然の偉大な調和を生み出していく。
誰が偉いのではない。誰が欠けても成り立たない。
弱者も強者もいない。みんなが平等に命の使命を背負っている。
たとえ苦しくても、たとえ辛くても、偉大な使命の声を聴きながら、懸命に頑張る。
なんでそんなに頑張れるのか!! 泣きたくなる。彼らの心に泣きたくなる。
ひと時でもいい。ひと時でもいいから、彼らに安息を味わってもらいたい。
だから祈る。だから華厳の祈りを捧げる。だから華厳大悲の力の祈りを捧げる。
せめて、せめてこの祈りで、みんなに、ひと時の安息を感じてもらいたい。それだけだ。
ありがとう。 ありがとう、みんな。 みんなのお陰で我々は生きて来れたんだ!!
南無華厳・・南無華厳大悲界・・・
摩訶華厳・・摩訶華厳玄導冥加・・・
すべてのみんなに冥加あらん!!!
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