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<2008年5月10日>

夜の山で、野性禅に入る。

地面に坐り、犬たちとともに入る。

森の命たちの声が聴こえる。

夜の闇の中で活動する彼らの息遣いが聴こえる。

山の魂の出す音が聴こえる。

地鳴りのような時もある。

重低音の、音楽のようなものが聴こえる時もある。

ラップ音の聴こえる夜も多い。

去年、三週間に亘って熊が訪れた頃は、毎日頻繁にラップ音が響いていた。

大きなラップ音の後で、必ず熊が現われたのだ。

ラップ音の前から、犬たちが力を込めた姿勢で森の奥を注目する。

その姿を見ただけで、熊が来ることが分かる。

我が家の大きな猛者たちは他界したので、それで熊さんも安心して来たのだろう。

オーランやロウたちがいた頃は、一度も近づかなかったのだ。

最初は私も熊の気配に圧倒されて緊張したが、その後は沈着できた。

犬たちが冷静だったので、彼らの影響を受けたのかも知れない。

しかし、夜の森にあのラップ音が響く時には、思わず身体が引き締まる。

野性の底知れぬ深さを、大自然界の途轍もない深さを感じるのだ。

今年はまだ熊の近づく気配は無い。何かの事情で来ないのだろう。

山に熊たちの食糧があることを祈る。

野性禅の中で、熊たちの平安を、一心に祈る。

熊たちの苦労が分かるから、彼らの懸命の生涯が分かるから、一心に祈る。

四年前には、本物の地鳴りが轟いた。山が小噴火したのだ。

地面が、山の烈しい鼓動で揺れた。空気も烈しく揺れていた。

頭上をジェット機が飛んでいるような爆裂音が轟く。

この森は標高が高いから、すべてがダイレクトに伝わるのだ。

山麓で避難警報が鳴っている。間断なく鳴っている。

だが、我々家族は批難する場所など無い。

我々は、どこにも行くところが無いのだ。

この大家族の犬たちで、一体どこに避難するというのだ。

この山だけが、我々を受け入れてくれたのだ。

家族が平安に生きられる場所を求めて彷徨した果てに、やっと辿り着いた家なのだ。

この山が、我々の生きられる唯一の家なのだ。

犬たちは冷静だった。みんな落ち着いていた。その姿を見て安心した。

彼らに、肚からの気迫の声を掛けた。渾身の声だ。

「最後まで、みんな一緒だ!!」これが我々の本心だった。

ひとかけらの悔いも無い。みんなが同じ気持ちだった。みんなの本心が伝わるのだ。

我々家族の実像を知らない人は「心中するなど飼主の身勝手だ!」と思うかも知れない。

だが現実には、我々の避難の手段など皆無なのだ。

必ず、誰かの犠牲が発生する。必ず、家族は引き裂かれる。

のちのち、必ず犬たちは迷惑視され、迫害されるのだ。

それがありありと予見できる。それは火を見るよりも明らかなのだ。

だから覚悟した。ここでみんなと運命を共にするのだ。

最後の最後まで、絆を貫くのだ。絆の証しを刻むのだ。

犬たちに力強く声を掛け、地面に坐った。

犬たちは全員、しっかりと私を見ている。

彼らの様子を見て、山が大丈夫なことを直感した。

彼らが、「お父さん、大丈夫だよ!!」と語っているのだ。

山はその後何日も揺れ動いたが、我々はもう平常心でいられた。

我々は山に潜む莫大なエネルギーを知り、そして改めて敬意を払った。

それにしても、犬たちは凄い。まったく頼もしい。私など足元にも及ばない。

そんな彼らが、私を立ててくれるのだ。 まったく、有難いことだ。

その後は、山は落ち着いた。

だが、山の鼓動はいつも聴こえる。

我々は山のエネルギーをいつも感じて暮らしているのだ。

噴火はエネルギーの発散なのだ。ごくごく自然なことなのだ。

ごくごく自然なことなのだから、それで死んでも仕方の無いことなのだ。

いつもいつも、山から恩恵を受けてきたのだ。

大自然から恩恵を受けっ放しで生きているのだ。

だからちょっとぐらい何かが起ころうと、それは仕方の無いことなのだ。

たとえ冬が酷寒であろうとも、森が雪に覆われようとも、微塵も文句など言えない。

酷寒だから、雪に覆われるから、だからこそ我々はここで安心して暮らせるのだ。

人間は大自然に対して「心地よさ」だけを求める場合が多い。

だがそれは「御都合主義」だ。

綺麗な景色や穏やかな部分だけを受け入れ、猛々しい野性を拒絶する。

自分に都合のいい部分だけを認め、不都合の部分を否定する。

しかしそれだけでは済まない。人間の身勝手はさらにエスカレートする。

人間に都合のいい部分は徹底的に利用され、不都合の部分は徹底的に攻撃される。

穏やかな草食獣は食糧として標的にされ、強力な猛獣は敵として標的にされる。

人間の心の中は常に、利用と攻撃の魂胆が渦巻いているのだ。

人間はいつも、なんでもかんでも思い通りにしたがるのだ。


夜の山で、野性禅に入る。

大自然を、心観する。

観察でもない。傍観でもない。心眼心耳の「心観」だ。

美しい景色、さわやかな空気、緑豊かな森、綺麗な清流、どれもが素晴らしく有難い。

だが大自然のその奥の、そのまた奥の深秘の世界を、夜の山で心観する。

命たちが見える。大自然を支える無数の命たちが見える。

彼らの懸命な生涯を感じる。彼らの全身全霊のドラマを感じる。

いつも、たまらなくなる。 感動とリスペクトが胸に押し寄せる。

「大自然は心の世界だ!!!」いつも確信する。

すべての命たちの、それぞれの生涯が、それぞれの渾身のドラマが、

一瞬一瞬に、壮大なハーモニーとなって、大自然の偉大な調和を生み出していく。

誰が偉いのではない。誰が欠けても成り立たない。

弱者も強者もいない。みんなが平等に命の使命を背負っている。

たとえ苦しくても、たとえ辛くても、偉大な使命の声を聴きながら、懸命に頑張る。

なんでそんなに頑張れるのか!! 泣きたくなる。彼らの心に泣きたくなる。

ひと時でもいい。ひと時でもいいから、彼らに安息を味わってもらいたい。

だから祈る。だから華厳の祈りを捧げる。だから華厳大悲の力の祈りを捧げる。

せめて、せめてこの祈りで、みんなに、ひと時の安息を感じてもらいたい。それだけだ。

ありがとう。 ありがとう、みんな。 みんなのお陰で我々は生きて来れたんだ!!

南無華厳・・南無華厳大悲界・・・

摩訶華厳・・摩訶華厳玄導冥加・・・

すべてのみんなに冥加あらん!!!

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