<2008年5月5日>

理屈の声だけを聞いて生きる人を見かける。

思考こそが生きる羅針盤だと妄信する人がいる。

平穏無事に人間生活を謳歌している人のように感じる。

今日食う飯には困らない人たちのように感じる。

烈しい肉体的苦行の経験を持たない人のように感じる。

断崖絶壁の窮地を味わったことのない人のように感じる。

孤独と絶望の闇を味わったことのない人のように感じる。

勿論この限りではないが、その印象を感じる。


人間が頭でいくら考えても、たかが知れている。

だが「理屈の人」は、人間の知力を絶対至高の次元だと妄信している。

だから人間至上主義に走りやすい。

だから動物に対して、どうしても偏見と固定観念を捨てられない。

心の対話ができずに、どこまでも「人間特有の視座」で観てしまう。

いくら動物を眺めても、いくら観察しても、「傍観」の域で終わってしまう。

傍観の次元で観れば、動物たちの心など永遠に分からない。

動物たちの真情が分からねば、大自然の深奥など分からない。

真実の本能の姿など、本能に秘められた真実の意味など、永遠に分からない。

偉大な調和の姿など、そこに潜む理屈を超えた深秘など、永遠に分からない。

つまり、「共生」など永遠に不可能だということだ。


動物が嫌いな人がいる。犬が嫌いな人がいる。

戸外での「犬の排尿」さえも徹底的に批難する人がいる。

犬たちの境遇の実像など眼中に無く、

「犬の都合など知ったこっちゃねえ!!迷惑だ!!」の一点張りで尊厳を拒絶する。

驚くべきことに、このような意識が群れを成して世間を跋扈しているのだ。

犬たちからの恩を忘れ、動物たちからの恩を忘れ、大自然からの恩を忘れ、

彼らからの莫大な恩を忘れて「知ったこっちゃねえ!!!」と息巻くのだ。

人間だけでは生きて来れなかった事実を忘れ、

動物たちの途方もない献身を忘れ、大自然からの途方もない恩恵を忘れ、

「知ったこっちゃねえ!!!」の一言で平然と全否定する意識が巷に溢れているのだ。

絶望的になった。もはや理解不能の不思議世界だ!!


人間が身勝手に犬を繁殖し、身勝手に飼って身勝手に捨て身勝手に殺す。

この事実を知っていながら、それでも「知ったこっちゃねえ!!」と暴言する。

犬がいつ、人間に不平不満を抗議しましたか??

犬がいつ、人間を裏切りましたか??

いつだって犬は、その心のすべてで主人を愛してきた。

いつだって犬は主人を守ろうとし、いつだって献身の心を忘れなかった。

人間が至高の美徳とする「無償の愛」を、犬は当然の如くに実践してきた。

その犬たちに対して、「戸外での排尿も許さん!!」と叫ぶ人間がいるのだ。

その記事を見て、目の前が暗くなった。

このままでは、地球の終りはもうすぐだ!!

**** WOLFTEMPLE ****