<2008年4月12日>

「捨て犬」とは、犬を捨てるということだ。

犬を「物体」だと感じているから、捨てることができるのだ。

犬に「心」を認めていないから、捨てることができるのだ。


動物に精神を認めずに「物体」だと認識する思想は、

地球を痛め続けた「近代科学思想」と全く同様だ。

この思想は、人間以外の生命に絶対に精神を認めず、

「人間が自然界の支配者である」と信じる妄想思想なのだ。

心も感情も認めないから、「物」として見れるから、

だから手段を選ばずに暴虐の限りを尽くせるのだ。

この思想は西洋で確立されたが、しかしこれは西洋に限らずに世界共通の概念だ。

延々と太古の昔から人間が隠し持っていた特殊な傾向性なのだ。

これだけ「地球が危うい!」と叫ばれているのに、

その原因が「人間絶対主義」だと誰もが知っているはずなのに、

それでもまだ人間はその思想を捨てようとはしないのだ。

それでもまだ、その思想に何の疑問も持たずにいるのだ。

そして大自然に対する傲慢と、犬一頭に対する傲慢が、

全く同根の意識から誕生していることに、誰も気づかない!!


「捨て犬処分」については、さまざまに論議されている。

だが、捨て犬の過酷な生涯を、彼らの真の胸中を、何も知らずに語る人が多過ぎる。

「物」と見て語る人が多過ぎるのだ。残念でならない。

世論は相変わらずに、何も変わっていないのだ。

こんなことでは、捨て犬は永遠に減らないだろう!!


そもそも、世間は犬を簡単に売りすぎる。

あまりに簡単に売るから、捨て犬が誕生するのだ。

しかし世間は「売る人間」を批難しない。

次から次へと繁殖させて次から次へと言葉巧みに売る行為を、

世間は何の疑問も持たずに傍観しているのだ。

そして「買う人間」は簡単に飼育放棄する。

ささいな理由で、あまりにも簡単に放棄する。

しかし世間は飼育放棄する人間を批難しない。

「しかたのないこと」と陰で共感する人の方が多いのだ。

そして世間の批難の標的は、放棄された犬に向けられる。

世間は人間に罪を問わずに、犬を標的にして集中攻撃するのだ。

こんな無慈悲な理不尽が、平然と常識になっているのだ。


処分を待つ捨て犬の頭数は膨大だ。

それなのに、売られる犬の頭数も膨大だ。

それを考えただけでも「異常事態」が明白なのに、

世間は無情の脳天気のままに、何の対策も考えない。

これは行政の問題以前の、世間倫理の次元の話なのだ。


売る人間は巧みな甘言で売る。

犬の書籍は全く無責任に犬種特徴を解説する。

犬種の真の実像を説明する専門家など皆無に近いのだ。

「純血種」を求める人は多いから、すべては商売ベースで進むのだ。

だが、そもそも殆どの犬種は、個人の発想でブリーディングが成された。

どこかの一個人の嗜好の事情で発生した犬種を、

同様の嗜好を持つ人間たちが絶対視してきただけなのだ。

人間の都合で造られた「犬種」以前に、「犬」という命を考えるべきなのに、

世間は「犬」を概念できずに「犬種」ばかりに気をとられるのだ。


どんな犬にも、どんな雑種にも、素晴らしい個性が潜んでいる。

どんな姿の犬だって、どんな雑種の犬だって、神秘の個性を秘めている。

それを知れば姿形や血統書など、眼中になくなるはずだ。

それを知れば、捨て犬だろうと野良犬だろうと愛しくなるはずだ。

たとえば世間の飼主は、普通は一頭か二頭の犬を飼うだろう。

その頭数ならば、対話の時間もたっぷりと持てるはずだ。

その頭数ならば、相当に元気満々の犬でも調和の方向に進めるはずだ。

その頭数ならば、その犬の真の個性を発見することも可能なはずだ。

その頭数ならば、無限に深い真実の絆の世界へと、踏み込めるはずなのだ。

だから、処分を待つ犬たちを家族に迎えて欲しい!!

だから、もう冷酷な繁殖を止めて欲しい!!



処分を待つ犬たちはみんな、光り輝く個性の持ち主だ。

その真髄を知ることが至難なほどに、どの子も深い神秘に満ちている。

その無限の個性が殺されていく。唯一無二の尊い個性が殺されていく。

だが、多くの人が疑問に思わない。「しかたがない!」の一言で片付ける。

金欲しさに繁殖し、巧みに売り、衝動で買い、飽きて捨てる。

売人も放棄人も責められず、犬たちだけが地獄に放り込まれる。


人間は永遠に許されないだろう。

いつか必ず、自業自得の目に遭うだろう。

この世は、厳然と「因果応報」なのだ。

**** WOLFTEMPLE ****