<2008年4月3日>

25年間、悪戦苦闘の連続だった。

これでもか!これでもか!と立ち塞ぐ、試練の壁に苦しんだ。

世間の中で、どれほど恥をかいてきたことか。

どれほど情けない思いを味わってきたことか。

想いは理解されず、「極貧変人」のレッテルだけを貼られてきた。

なぜ多くの犬たちを家族にしているかも、ついに理解されなかった。

働いても追いつかず、ドッグフードの買えない日もあった。

予期せぬ出費が発生すると、それでアウトだったのだ。

人から1000円を借りた日もあった。

2時間も3時間も説教され、頭を下げ続け、それでやっと1000円を借りた。

「いつも金に困っている貧乏人」と後ろ指を差されて生きてきた。

不測の事態が発生して犬たちの世話に追われれば、「仕事をしない怠け者」と陰口された。

寝ないで活動していても、稼がなければ「怠け者」と呼ばれるのだ。

私の仕事量は営利業界の飼育係やトレイナーの何倍にも相当するはずだが、だが私は無給だ。

世間は、その労働が「金」にならなければ決して生活者として認めないのだ。

それを金に結びつける行為無しに生きれば、結局は敗残者として認知されるのだ。

世間は「金じゃないよ!」と気軽に言うが、その本心は金への執着に染まっているのだ。

いつもいつも頭を下げ続けて生きてきた。

そうしないと犬たちを守ってこれなかったからだ。

この世間で金が無いということは、決定的に不利な立場で終わるのだ。

だがそれでも、金に服従はしなかった。

手段の為に、目的の為に、確かに金は必要だが、だが金に服従はしなかった。

命の尊厳に較べれば、金の価値など二の次三の次四の次だ。

私はこの道で、いかなるときでも損得勘定などしたことはない。

命を金として見たとき、その瞬間に「野性対話道」は終わりを告げるのだ。


昔は「野性対話道」の話など、誰も聞いてくれなかった。

ただ「夢に生きる夢追い人」だと決めつけられた。

時には「頭がイカレている」と陰口を叩かれた。

動物との対話とか動物の尊厳を語っても、誰も本気で聞いてはくれなかったのだ。

夢なんかに生きているんじゃない!!事態は切迫してるんだ!!と叫びたかった。


だが苦しむ命たちのことを想えば、

地獄の痛みに泣く命たちのことを想えば、

理不尽極まる拷問に耐え続ける命たちのことを想えば、

この自分の苦労程度は、この屈辱程度は、この辛さ程度は、どうってことない。

動物たちの極限の忍耐に較べれば、この自分の我慢など、まだまだ幼稚な次元なのだ。

いつもそれを想って生きてきた。

彼らへの想いが、この自分を支えた。

だから一度たりとも迷ったことがない。

だから一度たりとも諦めたことがない。

私は彼らから、「不撓不屈」を学んだ。


狼が、私を信じてくれた。

野性のエスキモードッグが、私を信じてくれた。

家族の犬たちのみんなが、どんなときでも、この私を信じてくれた。

その光り輝く至高の信義に、私は不撓不屈の覚悟で応える。

**** WOLFTEMPLE ****