<2008年3月30日>

みなさま。ご心配を掛けて申し訳ありませんでした。

この私や我が家族が、人から心配して貰ったことは初めてです。

だから、みなさまの心が身に沁みます。

ありがとうございます。ここに深く、御礼申し上げます。


ハンは何とか頑張っています。

彼は多分、物凄く心臓が強いのだと思います。

「筋肉」は既に寿命が訪れているので立てないのですが、心臓や胃腸は元気なのです。

ですから食欲もあり、消化もします。

困るのは「排便」ですが、私が彼を高く抱え上げてその身体を揺らし、

そして抱えながら片手で彼のお腹をさすり、そして肛門周辺をマッサージします。

そうするとコロコロと排便できるのです。

そして彼を森の中に寝かせて気分転換させます。

家族たちが、ハンの周りを飛び回ります。

ハンはその光景を眺めるのがとても好きなのです。

彼は自分の状態を知っています。

もはや自分の筋肉が限界を超えたことを知っています。

そして自分の寿命が尽きる日が近づいていることを知っています。

これが「野生」の状況なら、自分がもはや生きられないことも知っています。

今が、野生の寿命を超えた境界であることを、知っているのです。

だから彼は既に、生死を超えた禅境の中にいるのです。

それがありありと私に伝わります。

彼の本意が、ありありと私の心に伝わってくるのです。


彼の若き日の、その驚異の身体能力を想い出し、「無常」を覚ります。

25年間の、あらゆる犬種のトレイニングの年月の中で、彼の潜在力は非凡の極致でした。

誰もいない森の中で、彼は類例の無い変幻自在の躍動を私に見せてくれました。

行き倒れになっていた野良犬ハンが、誰も見たことの無い「芸術」を、私に見せてくれたのです。

私はその美しい芸術の次元の躍動をこの目に焼きつけ、この心に刻みました。

その「動き」はつまり、ダイレクトに彼の「心」そのものでした。

彼の心の躍動が、そのままダイレクトに身体の躍動を生み出していたのです。

その心と身体のレスポンスの異様な鋭さに、私はいつも感動してきたのです。

だが年月は流れ、彼の躍動は、もはや私の中での伝説となりました。

2mのフェンスをワンジャンプで乗り越え、鎖を引き千切り、車の窓ガラスを粉砕し、

そうやっていつも私を探しに追い駆けた若き日のハンの姿は伝説となりました。

私は無常を噛み締めます。

今のハンを前に佇み、無常を心に刻みます。

無常が決して「無情」でないことを、改めて心に刻みます。

いかなるものも、一瞬として同じ姿を留めてはいません。

偉大な調和の流れの中で、次々と新たな姿が生まれていくのです。

だからハンは、今も進化しています。

彼は今も、新たな学びの中にいるのです。

彼は一瞬たりとも留まらず、新たな姿を私に見せてくれているのです。

それが私に分かります。ありありと分かります。

最愛の我が子なのです。だから分かるのです。

ハンは怖れていない。死を怖れていない。

堂々と、生と死の境界の上に立っている。

学びに終わりが無いことを、彼はその身で示してくれている。

胸に込み上がる感慨で、私は泣いた。

我が子の老いた勇姿に、私は泣いた。

彼がその命を以って私に教えてくれる偉大な教えに泣いたのです。


私は野性禅に入った。

家族たちの世話と仕事以外の全ての時間を、野性禅に充てた。

4日間の絶食で、深い禅境に入った。

一日中禅定していれば肉体はもっと楽なのだが、他の日課があるのでそれは出来ない。

だから空腹は非常に苦しいが、そんなことで音を上げれば野性たちに申し訳が立たない。

彼らは、もっともっともっと凄いのだ。

野性禅の中で、ハンの心の世界が観えた。

前述のハンの心境は、この禅境の中で知った。

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