<2008年3月14日>

狼山舎は「華厳道」を歩んでいる。

華厳心で生きる華厳道だ。

一切の固定観念を外して大悲を祈る道だ。

一切の形式に囚われず、ひたすら深奥の核心に迫る道だ。

一切の偏見を捨て、全霊で生きる全ての命に敬意を払う道だ。

だから狼山舎には本尊は無い。崇め祭る対象は無いのだ。

帰命すべき対象は唯ひとつ、「大悲」そのものだ。

至高の大悲そのものを一心に刻んでいくのだ。

先達の覚者に対しては深い感謝と尊敬を忘れない。

だがその覚者を「崇拝」となれば道を誤る。

いつのまにか核心を見失うことになる。

だからいつも「大悲そのもの」を観ていくのだ。

そこには組織も無ければ本尊もなく、あるのはただ「道」だけなのだ。

確かに、「象徴」は必要になる。

イメージを起こすために、イメージを固めるために、そして「励み」のために、象徴は機能する。

そして祈りによって象徴自体が力を帯びるが、だが象徴はあくまでも「シンボル」だ。

祈りの対象は、常にその奥にある「大悲そのもの」なのだ。

それを肝に銘じなければ、やがて道を見失うことになるのだ。


華厳は「共生仏教」だから、だからこうして紹介しているが、ただそれだけだ。

華厳の叡智を知る人が余りにも少ないから紹介しているだけなのだ。

だから心配しないで欲しい。私は人に勧めたりはしない。

その人の何かの参考になれば、それで充分なのだ。


華厳は1700年ほど前にその解釈が総められたが、当時に於いてその哲理は革新的だった。

華厳は「一念成仏」を語る。「一瞬の中に成道する」というその仏道観は前代未聞だったのだ。

それまでの概念は、「仏界は永遠の彼方」だったのだ。

華厳は、「信満成仏」「初発心時 便成正覚」と語る。

「仏道への真の信・真の覚悟が成された時、その時すなわち悟りの境地に立っている」と語る。

逆に言うと、「それほどに真の信・真の覚悟は成し難い」ということなのだが、

それにしても華厳の概念は斬新無比であり、全ての束縛から解かれた無限に自在の仏道観なのだ。

その反面、実践の至難を知る華厳は、「行」に於いて実に厳しい。

他の大乗仏教は修行に「六行」があるが、華厳には「十行」があるのだ。

普通は「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・般若」だが、

華厳は更に「方便・願・力・智」を加えているのだ。

華厳はそれほどに世間での菩薩行が至難であることを見抜いているのだ。

しかしもし真の「信」が真に定まれば、そのまま仏境地なのだと語っているのだ。

この概念は仏教者を非常に励ました。

この華厳の言葉は真理であるとともに、励ましの言葉だったのだ。

あらゆる面で華厳の影響は甚大だった。

その後に現われた他の宗門も、華厳から大きな影響を受けている。

禅宗の教理の背後にも、密教の教理の背後にも、華厳が潜んでいる。

禅宗は「不立文字」と謳って教義を語らないが、しかしその哲理の淵源は華厳だと感じる。

禅宗は禅定解脱に特化した宗門だが、そこに不動の哲理があってこそ禅定が可能になるはずだ。

「即身成仏」を謳う密教の成立は華厳よりもずっと後だが、その哲理の淵源は華厳だと感じる。

密教は「顕教とは異なる次元」を自負して儀式を強調する宗門だが、

そこに不動の哲理があってこそ儀式も生きてくるはずだ。

因みに「顕教」とは「経典上に現わされた教え」だと解説されるが、

華厳は「華厳経を学ぶこと自体が既に解脱行である」と語り、華厳から見れば顕教も密教も無いのだ。

華厳の場合には、いつでも・どこでも・どんな状況でも「一念成仏」の可能性を秘めているのだ。

禅や密教だけにとどまらない。

或いは浄土教学も天台教学も華厳から影響を受けたはずだ。

このように大きな影響を与えた華厳だが、日本に於いて華厳の名は広まらなかった。

華厳宗は鷹揚だから、躍起に自己アピールなどしなかったのだ。

だから忘れられてしまった。

だが私はこの「宝」を、埋もれさせておくことはできない。

この叡智の宝を世間に伝えたいのだ。

今こそ!! これからの「共生」のために!!


華厳経には物語が組み込まれているが、そこでは実に多様な職業の人が「説法」する。

当時のインドには厳然たる階級差別があったが、そんなものは無視して雄大に説法する。

説法者には女性も多い。 さらに娼婦も登場して説法する。

当時の女性差別は現代とは比較できないほどに酷かった。

そして当時の仏教自体も女性の成道を否定していた。

その女性が求道者に堂々と説法するのだ。

この点でも前代未聞の型破りな経典なのだ。

この経典はつまり、あらゆる偏見を打破することを説いたのだ。

あらゆる固定観念を打破して真実の領域に超越する道を説いたのだ。


そして華厳は大宇宙を語る。

大宇宙を語りながら極微塵を語る。

極微塵を語りながら大宇宙を語る。

「一滴の滴に大宇宙が宿り、一瞬の中に永遠が宿る」

途方もないスケールの、途方もなくダイナミックな華厳は、

そして「絶対平等の命の尊厳」を教えてくれる。

空観を超え、大悲の空へと突き抜けていくのだ。

華厳は全ての命たちのために、愛の祈りを捧げているのだ。

**** WOLFTEMPLE ****