<2008年3月14日>

これまで私は、前世来世の話はしなかった。

なぜなら転生に囚われると固定観念が生じて、「今」が疎かになる場合が多いからだ。

三世を観ずることは大事だが、「今」を知ることこそが至難の命題なのだ。

全ての過去が、この「今」に込められている。

全ての未来が、この「今」に込められている。

過去を見たければ、この今の「心」を見ればいい。

未来を見たければ、この今の「心」を見ればいい。

この今の心に、全てが映っているのだ。

いろんな本に輪廻転生のことが書かれているが、私は参考にはしない。

自分で実感したことだけが自分の真実であるからだ。


死後、再び地球上に転生する確率は極めて低いと感じる。

「次元」は無限にあるので、「世界」は無限にあるので、

つまりこの地球世界はほんの一場面に過ぎないのだと感じる。

魂は、無限に展開する次元世界を旅していくのだと感じる。

次々と新たな学びの場へと移動していくと感じる。

人間の「智慧」のレベルは極めて低いので、途方もなく延々と学んでいくことになるだろう。


無限の次元の無限の世界が展開されているから、どこに行くかは誰にも分からない。

来世の場所を示す言葉は、その意味で全くあてにならないはずだ。

この世は、誰も想像できないほどの、言語を絶したスケールなのだ。

無限世界には、無限に様々な状況での学びが待っているはずだ。

それを考えれば、この地球での体験は、かけがえのない貴重な体験だ。

二度と味わえないであろう稀少な体験だと感じる。

だから、一瞬一瞬が途方もなく大切になる。

※人が「死」に対して感じる寂しさは、地球世界への未練かも知れない。


人間界は、特殊な傾向性を持つ魂が、自らの傾向性に気付くための場所だと感じる。

だからこの世界に於いては、まず自分の本当の姿を知ることが重大だ。

例えば仏教の「禅門」は、そのための手段だといえる。

まず己を知り、そして偉大な調和を、偉大な愛を知る旅に入るのだ。


心次第で、心の有様ひとつで、行く世界が変わるらしい。

それは瞑想の時に啓示された自分の体験だが、強烈に心に入ってきた。

しかしその「心のありかた」が至難中の至難なのだ。

なぜなら本当の「本心」でなければならないからだ。


動物たちの来世も、誰にも分からない。

彼らもまた、それぞれの新たな世界に旅立つのだ。

だが彼らの全身全霊の生涯を考えれば、多少は見当がつく。

彼らは、人間界からは想像のつかない別次元の世界に行くだろう。


動物たちは野性界で特殊な学びに励んでいる。

彼らの学びの姿を観ることも、重大な学びだ。

人間界の学びと野性界の学びに、優劣など無い。

学びの形が違うだけだ。

異なる形の学びを知ることも大事なのだ。

仏典の「畜生界」とは、方便言葉だ。

ほとんどの人が「畜生」を誤解しているが、

それは人間に分かり易く説くための方便に過ぎないのだ。

仏教には「方便」が多く登場するので注意が必要だが、

方便を使わないと人間が理解できないので、やむなく使うのだ。

**** WOLFTEMPLE ****