<2008年3月12日>
私はこのブログ記で、「人間」に抗議してきた。
野性界の代弁者として、動物たちの代弁者として、抗議してきた。
だから私のことを人間不信者と見る人もいるだろう。
だが私はその意識を抱えて書いている訳ではない。
私はただ「人間と動物との垣根」を持たないだけだ。
垣根を持たずに生きていれば、気が付くことが一杯ある。
その気付いたことを、そのままストレートに書いているだけなのだ。
私の本意は、人間の批判ではない。
実は全く逆なのだ。
それに気付いてくれる人は未だいないかも知れないが、実は全く逆なのだ。
異種の命の尊厳を踏みにじることが、異種の命を虐待することが、
それがどれほど自らの魂を傷つけているかを人間は知らない。
それがどれほど魂の進化を妨げているかを人間は知らない。
人間は自らの魂を傷つけ、自らに魂の進化を妨げているのだ。
それは命としての不幸だ。
命の使命に背けば、真の平安は訪れないのだ。
異種への理解は、己への理解に直結している。
異種へのリスペクトは、己へのリスペクトに直結している。
異種への愛とは、己への愛に直結しているのだ。
それを知れば、世の中の実態が、いかに自らを傷つけているかが分かるはずだ。
命の使命は、内なる魂を進化させることだ。
魂の進化とは、「大いなる愛」を知ることだ。
真に人間の未来を案じるなら、真に人間の平安を憂うなら、
異種の命の尊厳に、本気で取り組まなければならないのだ!!
**** WOLFTEMPLE ****
私はこのブログ記で、「人間」に抗議してきた。
野性界の代弁者として、動物たちの代弁者として、抗議してきた。
だから私のことを人間不信者と見る人もいるだろう。
だが私はその意識を抱えて書いている訳ではない。
私はただ「人間と動物との垣根」を持たないだけだ。
垣根を持たずに生きていれば、気が付くことが一杯ある。
その気付いたことを、そのままストレートに書いているだけなのだ。
私の本意は、人間の批判ではない。
実は全く逆なのだ。
それに気付いてくれる人は未だいないかも知れないが、実は全く逆なのだ。
異種の命の尊厳を踏みにじることが、異種の命を虐待することが、
それがどれほど自らの魂を傷つけているかを人間は知らない。
それがどれほど魂の進化を妨げているかを人間は知らない。
人間は自らの魂を傷つけ、自らに魂の進化を妨げているのだ。
それは命としての不幸だ。
命の使命に背けば、真の平安は訪れないのだ。
異種への理解は、己への理解に直結している。
異種へのリスペクトは、己へのリスペクトに直結している。
異種への愛とは、己への愛に直結しているのだ。
それを知れば、世の中の実態が、いかに自らを傷つけているかが分かるはずだ。
命の使命は、内なる魂を進化させることだ。
魂の進化とは、「大いなる愛」を知ることだ。
真に人間の未来を案じるなら、真に人間の平安を憂うなら、
異種の命の尊厳に、本気で取り組まなければならないのだ!!
**** WOLFTEMPLE ****