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<2008年3月10日>

我が家に「空(そら)」という子がいる。

3歳半の男の子だ。

母の「あかね」が出産したその時から、ずっと一緒だ。

そら君は、ちょっと変わっている。

言葉で説明するのは難しいが、赤ちゃんの時から不思議な子だった。

もちろん、ほかの兄妹たちもみんな可愛いが、

そら君は何か、切ない可愛さがある。

そら君の、私が用事で別の部屋に行った時の行動は、とてもかわいい。

彼はドアの前に立って、私の行方を窺っている。

ドアに耳を押し当てて、私の様子を漏らさず聴き取っているのだ。

彼はドアを自分で開けられるのだが、開けると私に叱られる。

しかしどうにも私が恋しいので、ドアの前に立って想い巡っているのだ。

「ドアを開けたい!!」その心が募る。

彼は後ろを振り向き、みんなを見渡す。

「開けたい!!開けたい!! 開けたい??開けたい??」

みんなも固唾を呑んで見守っている。

そら君が開ければ、ドアの向こうへと一斉にみんなが突入するのだ。

わたしはその様子が手に取るように分かるから、たまに声をかける。

「そら!!そら!!待ってなさい!!もう少し!!」

そら君がどんな姿勢で私を待っているかと想うと、何故かとても切なくなる。

そら君は抱っこしていると、ずーっと、いつまでもそのままで抱かれている。

いや、そら君だけでなく、この子たちはみんなそうなのだ。

この子たちの、私への慕情は尋常ではない。

今から、この子たちの話をします。


みんなが子供の頃は、みんな家の中で暮らしていた。

みんな、私の行動の全てを見つめ、緻密に観察していた。

私が別の部屋に行けば、全員が息を殺して様子を窺っている。

「お父さん、何をしているの??戻ってくるの??」

とにかく、いつもいつも私のそばに居たいのだ。


生まれた瞬間から、毎日毎日一緒に寝た。

目も見えない頃から、ずっと一緒に眠った。

寝る時は大変だ。 全員が、私の身体を覆いつくす。

身体中のどこもかしこも子犬たちが抱き着いているので、ピクリとも動けない。

ピクリとも動けずにそのまま眠るのだ。

子犬たちの一番好きな場所は、私の顔とか首の辺りだ。

だから私の顔めがけてみんなが殺到する。

その時の場所の取り合いは凄い。みんな必死だ。

だから私が彼らをそれぞれの場所に配置してそこで我慢させる。

場所は毎晩変えて平等を気遣う。 平等が重大なのだ!!


この子たちの出生には、深い深い事情がある。

ある人を助けたら、結果として「出産」という事態を呼んでしまったのだ。

その説明は長くなるので省くが、とにかく深い事情があったのだ。

私は出産を予感した時、「破滅」を覚悟した。

「あかね」と「つばき」の両姉妹の出産が明らかになった時、運命を嘆いた。

すでに限界状態なのに、子犬たちが産まれれば、一気に困難が増す。

もはや我が家族が生きていくのは不可能に近かった。

だが「あかねとつばき」の気持ちを考えると、出産を受け入れるしかない。

「行き着くところまで行くしかない!」、それが唯一の答えだった。

出産が近づくと、帰宅した私に「あかね」が抱きついてきた。

物凄い勢いで、しがみついてきた。

「お父さん!!お父さん!!お父さん!!」

顔は不安で一杯だ。たまらなく不安なのだ。

「大丈夫だよ!大丈夫だよ!お父さんがいるよ!大丈夫だよ!」

一方の「つばき」はグッとこらえていた。

不安には違いない。 だが、それを懸命にこらえていた。

この姉妹は赤ちゃんの時に捨てられていた。

赤ちゃんの時から、「あかね」は少しシャイだった。

そして「つばき」は、とてもしっかりお姉さんだった。

だが、ふたりの個性には一切、優劣は無い。

あかねとつばきの個性はそれぞれに、無限に尊く素晴らしい。

あかねとつばきは2日違いで出産した。

あわせて11頭の子が産まれた。

私は一緒の部屋で横になっていたから、一部始終を見ている。

何頭もの出産が、いかに重労働で困難な一大事であるかを、この目で見た。

最後の子を産んだあと、母犬は疲労困憊となる。

立っていることも辛いくらいに疲労する。

世間は、犬のお産が気楽なように思っているが、とんでもない勘違いだ。

犬は忍耐強いから、精神力が凄いから、だから最後まで頑張れるだけの話なのだ。

実際には、犬の出産は、精根尽き果てるほどに重労働なのだ。

だが母犬は、出産の直後から、子犬の世話にかかり切りになる。

偉大な母性の本能で、偉大な愛で、偉大な責任感で、延々と子犬の世話をする。

私は横で、ただじっと見守るだけだった。

心の中で励ますことしかできないのだ。

私の出る幕ではないのだ。

彼女たちは、自分の務めを全うしたいのだ。 自分の力で全うしたいのだ。

たとえ辛くとも、自分の使命を果たしたいのだ。 全身全霊で。

お産は夜から明け方までかかった。

私はそれをこの目で見届けた。この目に彼女たちの奮闘を焼き付けた。

これほどに苦労して生んだ子を、これほどに苦労して育てる子を、

一体誰が引き離す権利を持つというのか??

「子犬産まれました。あげます!」「子犬安く譲ります!」世間はどこまでも軽薄だ。

我が子を引き離される母犬の心境がどれほどに辛いものかを、誰も知らないというのか??

母犬は必死に抗議の気持ちを抑え、ただ悲しみに耐えて見送るのだ。

※「あかね」も、いざ出産が始まれば、母性の本能を遺憾なく発揮して、見事に成し遂げた。

最後の子の時には、あまりの疲労で難産だったが、遂に弱音を吐かなかった。


子犬の誕生後、私は24時間の活動態勢を強いられた。

日の出の前から犬たちの世話をして、仕事に出かける。

仕事は「中抜け」の勤務だったので、その休憩の時間に家に戻り、犬たちの世話をする。

夜9時頃に仕事が終り、家に帰って即座に犬たちの世話が始まる。

私の夕食はその帰宅途中の車の中だ。

車の中で弁当を広げる時間が、それが唯一の息抜きのひと時だった。

時間が欲しかった。 それはいつも切実な願いだったが、叶わぬ夢だった。


子犬たちが離乳の時期になってから、忙しさが一気に加速した。

生後1ヶ月から本格的に離乳食を与えたが、とにかく凄い食欲だった。

日に4度の食事だったが、猛烈に食べた。

だからその食事作りだけでも時間が掛かった。

12時に寝て4時に起きる生活が延々と続いた。

子犬たちの世話だけでなく他の犬たちの世話もあるので、時間不足が深刻だった。

当時、子犬たちを合わせると25頭もの大家族だったのだ。

私は体力があったので身体的には平気だったが、この追い詰められた生活は苦しかった。

「仕事」だけだったら、どんなに楽だろうか!!と思うこともあった。

もちろん、稼ぎの為の仕事は全力で臨む。犬たちの命が懸かっているから当然だ。

だが、世話と仕事の両立は、時間的に本当に苦しかった。

切迫した毎日が延々と続く中で、弱気になる瞬間もあった。

周囲からは、いつもいつも苦言を托された。 周りの全員から批難された。

「犬が好きなのは分かるけど、第一に生活でしょうが!!」いつもそれを言われた。

「犬を減らせば??減らすしかないでしょ!!」いつもそれを言われた。

家族の犬を、「誰かを残して誰かを出す」ことが、残す犬を選ぶことが、

そんなことが出来るのなら、最初からこの道に入ってはいない。

みんなみんな平等の家族なのだ。「誰を選ぶ」なんてことが出来るはずがない。

みんなに誓ったのだ。家族の契りを。ずっとずっと一緒に生きることを!!

「里親」のことも考えなかった。一度たりとも考えなかった。

里親先での悲劇がかなりの確率で発生している事実を知っていたからだ。

そういう不幸なケースを一杯見聞きしてきたからだ。

結局、家族として我々は、行き着くところまで行くしかないのだ。

私はみんなの真意を知っている。

どの子もみんな、最後まで一緒にいたいのだ。

たとえ苦難を味わおうとも!! たとえどんな結末になろうとも!!

どんな状況になろうとも、一緒に生きて行きたいのだ。一緒に乗り越えて行きたいのだ。

これが彼らの本心だ。 たとえ貧しくとも、彼らは一緒にいたいのだ!!

弱気を振り払い、闘志に燃える。

狼から学んだ闘魂を、エスキモー犬から学んだ命懸けの気迫を、今こそ思い出す。

ここで挫けたら、彼らに申し訳が立たない。

身体に力が湧いてくる。

この子たちと生きていくのだ。愛の道を貫くのだ!!


子犬たちは、みんなグングン発育した。

大変な食欲だ。いつも元気満々だ。

あかねとつばきも、ほとんど元の身体に戻った。

「妊娠・出産・授乳」はどれも大変な重労働だから、途方も無くエネルギーを消耗する。

だから回復のために大量の栄養が必要になる。

栄養無しには本来の回復ができないのだ。

彼女たちもガンガン食べた。

食べなければ回復できないことを知っているのだ。

しかし大量に食べても、元の身体に戻るにはしばらく掛かった。

それほどに消耗が激しかったということだ。

因みに「水分」も極めて重要だ。

授乳の際には大量の水が必要だし、回復の際にも水が不可欠なのだ。

水を軽視する人が多いが、水は栄養と同等に重大なのだ!!


子犬たちは立派に成長した。

どの子もみんな、たくましく成長した。

不調になったことなど一度もない。

みんな、実に強い!!

そして、みんな天使だった。

深い事情があって、出産が不可避の事態だったとはいえ、当初は運命を嘆いた。

なんでいつもこんなに苦しめられるのか!!と、運命を嘆いた。

だが、この子たちは、愛の天使たちだった。

天が授けてくれた愛の家族だった。

家族たちはもちろんみんな可愛いが、もちろんみんな最愛の家族だが、

この子たちは、ちょっと不思議な対話をする。

言葉で説明するのは困難だが、この子たちは私の力を高めてくれた。

言葉を超えた対話の力を高めてくれたのだ。

生活には苦労したが、かけがえのない宝物を賜ったのだ。

なにより、素晴らしい愛を教えてくれた。

この世で最も重大なものを、あらためて私に教えてくれたのだ。

この子たち、そしてみんな、我が家族は愛の道を突き進む。

たとえ誰にも理解されなくとも、愛の讃歌を歌い続けるのだ。

地の果てまで!!この世の終りまで!!

**** WOLFTEMPLE ****