








森の神秘は素晴らしい。
その感動が、我々家族を励ましてくれる。
神秘はどれも胸に刻まれるが、とりわけ驚いた光景がある。
一昨年の秋、月の下の辺りから、大きな火の玉のような光が降りてきた。
一瞬の出来事だったので、当然写真には映せなかった。
もちろん、流星ではない。
もっと大きいし、真下に降りてきたし、燃えるような光だったのだ。
あれは一体なんだったのだろう?? と、今でも思い出す。
でも本当は、「仏の光」だと感じている。 それを強く感じている。
パステル画で表現してくれる「Keiko」は、特殊感覚の持ち主だ。
私も光は見るが、彼女はもっと見る。
彼女は幼い頃からその感覚を持っていたようだが、それを意識せずに過ごした。
それを意識せずに、スピリチュアルとも無縁に、普通に過ごしてきた。
そして仏教についても全く無知だった。
それに関する本など、一度たりとも読んだことが無い。
だいいち、彼女は本など読まない生活を送ってきたのだ。
だが不思議なことに、仏教書物に登場する仏像や仏具とソックリな形の光を彼女は見るのだ。
歴史に伝わる仏界の様相は、単なる「空想」だけの世界では無いと感じる。
おそらく高僧たちが修行の果てに感応し、禅境の中で感応し、それを伝えてきたのだろう。
私は冷静に彼女の話を聞く。そして冷静に彼女に確認する。そして冷静に分析する。
彼女は正直に説明する。そこに誇張は無い。
彼女が幻覚や誇張の話を私にしたなら、私は一発で分かる。
その判断をするために、私は本気の集中力で洞察しているのだ。
彼女の感覚は、森に来るようになってから磨かれた。
森と犬たちが彼女の感覚を目覚めさせたのだと感じる。
だがその体験は非常なエネルギーを消耗するらしく、彼女の心に混乱を招くことも多かった。
彼女は「心力」を高める修行はしていないので、耐えられなかったのだ。
世間と神秘世界とのギャップの中で平静を維持していくには、相当な心力が必要なのだ。
私は励まし、時には厳しく叱咤した。
そして彼女は頑張ってそれを絵に描いた。冷静に再現した。
これらの絵は、空想画でもイメージ画でもない。 森の神秘の事実だ。
※前述の「燃えて降臨する光」は彼女も一緒に見た。彼女も驚いていた。
**** WOLFTEMPLE ****