<2008年3月8日>
動物たちと付き合うとき、声の力は重要だ。
声が、緊急事態を救うことも多いのだ。
だから日頃から声を磨いておかねばならない。
美声という意味ではない。
大声という意味でもない。
ここでいう声とは「肚からの声」だ。
肚からの声を相手の心に届かせるのだ。
私は山にいるので、近所など一軒も無い。
だから肚からの声を響かせることができる。
思い切り遠慮なく声を出せるので、その点は恵まれているのだ。
町に住む人は、おそらくそれが不可能だと察するが、気の毒だ。
きっと犬も飼主も、周りにとても気を使って生活しているだろう。
互いにいつも小声で済ますだろうから気の毒だ。
だが、肚からの声は重要だ。
緊急時、咄嗟の時、何としてでも最悪の事態を避けねばならない時、声が頼りだ。
声はスピードがある。一瞬で届く。だから頼みの綱だ。
ただし、声に力が必要だ。 力を持つ声が必要なのだ。
単なる音量の大きさではない。
大音量が必要な時もあるが、たとえ小さくとも力を持たせることは可能だ。
小さな声でも、相手の心の奥に届かせることは可能なのだ。
「気」のこもった声だ。
全霊で「気」を込めるのだ。
「気」とは「心気」だ。
気とは決して「術」ではなく、心の淵源から湧きあがる「心の力」だ。
その心気を声に託すのだ。
本物の必死で、声に託すのだ。
そのとき声は力を持ち、相手の心に届く。
不可避と思われる危機の瞬間の時、渾身の声で乗り越えるのだ。
声は、犬たちの「迷い」を断ち切る力も持つ。
犬たちの心が落ち着かない時、心が何かに捕われている時、その迷いを断ってやるのだ。
そういう時には大音声で一喝する。
厳しく見えても、これが結局は彼らの気持ちを楽にさせるのだ。
力の声で、彼らは我に返り、気を取り戻し、落ち着くことが出来るのだ。
「声を磨く」というのは、声に心気を込める意識を持つということだ。
それを続けると、だんだん声が力強くなっていく。
声の潜在力が大きくなっていく。
いざ!という瞬間に、咄嗟に出せるようになる。
※声の出ない人も居るだろう。
だがその人の場合は、自分の中の何か別の力がサポートしてくれる。
声が出ない代わりに、他の何かが非常な力を持ち、必ずサポートするはずだ。
どこかに支障がある場合には、他がその部分をカバーし、「全体の力」を保つのだ。
命はそうやって、何としてでも乗り越えて行こうとするのだ。
「部分の力」ではない。 全体の力で生きていくのだ。
どこかに支障を抱える人は、きっと必ず、別の部分の能力が飛躍する。
それは唯一無二の、輝ける個性だ!!
**** WOLFTEMPLE ****
動物たちと付き合うとき、声の力は重要だ。
声が、緊急事態を救うことも多いのだ。
だから日頃から声を磨いておかねばならない。
美声という意味ではない。
大声という意味でもない。
ここでいう声とは「肚からの声」だ。
肚からの声を相手の心に届かせるのだ。
私は山にいるので、近所など一軒も無い。
だから肚からの声を響かせることができる。
思い切り遠慮なく声を出せるので、その点は恵まれているのだ。
町に住む人は、おそらくそれが不可能だと察するが、気の毒だ。
きっと犬も飼主も、周りにとても気を使って生活しているだろう。
互いにいつも小声で済ますだろうから気の毒だ。
だが、肚からの声は重要だ。
緊急時、咄嗟の時、何としてでも最悪の事態を避けねばならない時、声が頼りだ。
声はスピードがある。一瞬で届く。だから頼みの綱だ。
ただし、声に力が必要だ。 力を持つ声が必要なのだ。
単なる音量の大きさではない。
大音量が必要な時もあるが、たとえ小さくとも力を持たせることは可能だ。
小さな声でも、相手の心の奥に届かせることは可能なのだ。
「気」のこもった声だ。
全霊で「気」を込めるのだ。
「気」とは「心気」だ。
気とは決して「術」ではなく、心の淵源から湧きあがる「心の力」だ。
その心気を声に託すのだ。
本物の必死で、声に託すのだ。
そのとき声は力を持ち、相手の心に届く。
不可避と思われる危機の瞬間の時、渾身の声で乗り越えるのだ。
声は、犬たちの「迷い」を断ち切る力も持つ。
犬たちの心が落ち着かない時、心が何かに捕われている時、その迷いを断ってやるのだ。
そういう時には大音声で一喝する。
厳しく見えても、これが結局は彼らの気持ちを楽にさせるのだ。
力の声で、彼らは我に返り、気を取り戻し、落ち着くことが出来るのだ。
「声を磨く」というのは、声に心気を込める意識を持つということだ。
それを続けると、だんだん声が力強くなっていく。
声の潜在力が大きくなっていく。
いざ!という瞬間に、咄嗟に出せるようになる。
※声の出ない人も居るだろう。
だがその人の場合は、自分の中の何か別の力がサポートしてくれる。
声が出ない代わりに、他の何かが非常な力を持ち、必ずサポートするはずだ。
どこかに支障がある場合には、他がその部分をカバーし、「全体の力」を保つのだ。
命はそうやって、何としてでも乗り越えて行こうとするのだ。
「部分の力」ではない。 全体の力で生きていくのだ。
どこかに支障を抱える人は、きっと必ず、別の部分の能力が飛躍する。
それは唯一無二の、輝ける個性だ!!
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