<2008年3月8日>

「天上天下唯我独尊」という釈尊誕生歌がある。

釈尊の第一声の「宣言」だ。

この言葉の真意は誤解されることが多い。

多くの人が「我は至高の存在だ」と解釈する。

だが、それではこの言葉の義は世に伝わらない。

私の解釈は以下の通りだ。


この全宇宙で、私は唯一無二の存在だ。 だからこそ尊い。

そのように、全ての存在がそれぞれに唯一無二の存在だ。

だからこそ、全ての存在がそれぞれに尊い。

全ての存在がそれぞれに尊く、全ての尊厳は絶対平等なのだ。

全ての我が、唯一無二なのだ!! 全ての我が、無限に尊いのだ!!


この言葉が、仏教の第一義だ。

この言葉に、仏教の本意が現わされている。

この言葉の説明のために、膨大な経典が書かれたのだ。

私は仏教を以下の通りに解釈している。

「全ての命が尊く、全ての尊厳が平等だ。 偉大な調和は、それを軸に展開される。」

これはつまり「共生心」だ。 これが共生を可能にする姿勢の条件だ。

あまりにシンプルな真理だ。誰でも分かる言葉だ。

だがこれを己の身で「実感」することが至難なのだ。

己の「本心」とすることが至難なのだ。

そのために、それを実現するために、膨大な教えが説かれたのだ。


この義が分かれば、

命を虐待することが一体どれほど非道であるかが了解できるはずだ。

しかし人間は、これをなかなか実感できない。

人間特有の強烈な傾向性が、それを邪魔しているのだ。

だから人間は、己のその傾向性を覚らねばならない。

だが、自分では自分のことが分からない。

そこで、自分を知るための方法を仏教は教えているのだ。

教えにはそれぞれに無限に深遠な理由があるのだ。

人間が「調和の摂理から外れた己の傾向性」に気付いた時、

人間は多くの苦しみから救われるだろう。

人間が人間至上主義を脱却できた時、本当の人道観が築かれるだろう。

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