<2008年3月5日>
引綱(リードロープ)は、犬を拘束する為の綱ではない。
その手綱は、「命綱」なのだ。
手綱に命を吹き込み、手綱を通して交信し、手綱を通して共感するのだ。
人間社会にいる以上、運動時に手綱は必要だ。
犬の安全のために、必要になるのだ。
私は「フリートレッキング」の運動も行なうが、手綱での運動も欠かさない。
フリートレッキングの時も細心の注意を払うが、手綱運動の時も真剣に集中する。
だから手綱はいつも手作りだ。
私には、市販のリードロープは短かすぎるのだ。
私は大体「270cm」の長さの手綱を使う。
その長尺の綱を自在に操ることが条件になる。
我が腕の延長とし、伸縮自在とし、命綱へと変えるのだ。
運動の時には、気を抜く瞬間など一度も無い。
立ち止まる時にさえ、全感覚を起動する。
気を抜けば、手綱はたちどころに死んだ状態になる。
常に、命を吹き込んだ状態を保つのだ。
手綱に命を吹き込めば、犬に意志を伝えることが出来る。
手綱に命を吹き込めば、犬の意志を知ることが出来る。
手綱に命を吹き込んで、手綱を通して交信するのだ。
掌は絶え間なく、手綱を操るために対応する。
掌も手首も肘も腕も肩も、絶え間なく対応する。
肩も背中も腰も膝も足首も足裏も、絶え間なく対応する。
つまり全身が絶え間なく対応していくのだ。
もちろん、その前提に「心の対応」が起動している。
それなしには身体が対応しないのだ。
「命の手綱」の運動は、飼主自身を健康にする。
ジムに行くより、サプリを飲むより、はるかに効果がある。
全身の意識が目覚め、全身の感覚が目覚め、身体全体の力が高まっていくのだ。
犬たちの感覚を学ぶのだ。彼らの力を学ぶのだ。それが自分の力に変わるのだ。
もちろん、犬の健康が第一義だ。
犬はただ歩き、ただ走ることを楽しんでいるのではない。
主人との共感のひと時を楽しんでいるのだ。
その共感が、犬たちの喜びなのだ。
だから「お散歩」は身体の躍動だけではない。
そこには心の躍動があるのだ。
その両者の躍動が、犬を健康に導くのだ。
手綱に命が吹き込まれたとき、そこには対話がある。共感がある。
命の手綱を通して、犬と主人がひとつになるのだ!!
**** WOLFTEMPLE ****
引綱(リードロープ)は、犬を拘束する為の綱ではない。
その手綱は、「命綱」なのだ。
手綱に命を吹き込み、手綱を通して交信し、手綱を通して共感するのだ。
人間社会にいる以上、運動時に手綱は必要だ。
犬の安全のために、必要になるのだ。
私は「フリートレッキング」の運動も行なうが、手綱での運動も欠かさない。
フリートレッキングの時も細心の注意を払うが、手綱運動の時も真剣に集中する。
だから手綱はいつも手作りだ。
私には、市販のリードロープは短かすぎるのだ。
私は大体「270cm」の長さの手綱を使う。
その長尺の綱を自在に操ることが条件になる。
我が腕の延長とし、伸縮自在とし、命綱へと変えるのだ。
運動の時には、気を抜く瞬間など一度も無い。
立ち止まる時にさえ、全感覚を起動する。
気を抜けば、手綱はたちどころに死んだ状態になる。
常に、命を吹き込んだ状態を保つのだ。
手綱に命を吹き込めば、犬に意志を伝えることが出来る。
手綱に命を吹き込めば、犬の意志を知ることが出来る。
手綱に命を吹き込んで、手綱を通して交信するのだ。
掌は絶え間なく、手綱を操るために対応する。
掌も手首も肘も腕も肩も、絶え間なく対応する。
肩も背中も腰も膝も足首も足裏も、絶え間なく対応する。
つまり全身が絶え間なく対応していくのだ。
もちろん、その前提に「心の対応」が起動している。
それなしには身体が対応しないのだ。
「命の手綱」の運動は、飼主自身を健康にする。
ジムに行くより、サプリを飲むより、はるかに効果がある。
全身の意識が目覚め、全身の感覚が目覚め、身体全体の力が高まっていくのだ。
犬たちの感覚を学ぶのだ。彼らの力を学ぶのだ。それが自分の力に変わるのだ。
もちろん、犬の健康が第一義だ。
犬はただ歩き、ただ走ることを楽しんでいるのではない。
主人との共感のひと時を楽しんでいるのだ。
その共感が、犬たちの喜びなのだ。
だから「お散歩」は身体の躍動だけではない。
そこには心の躍動があるのだ。
その両者の躍動が、犬を健康に導くのだ。
手綱に命が吹き込まれたとき、そこには対話がある。共感がある。
命の手綱を通して、犬と主人がひとつになるのだ!!
**** WOLFTEMPLE ****