<2008年3月3日>

狼の、猛き純情を、忘れることはできない。

荒々しくも繊細な、哀しいほどの純情を、忘れることはできない。

狼の、魂の底から湧き起こる純情が、この胸を去らないのだ。

どんなに時が過ぎても、どんなに新たな時を向かえても、この胸を去らないのだ。

それほどに切なく、それほどに愛しい純情だったのだ。

語り尽くせはしない。 言葉で語ることなど、到底できはしないのだ。


愛の心が溢れるあまりに、ときどき、狼は心を抑え切れずに、烈しい怒りの表情となった。

私に対して、その慕情を、どう現わしていいのか分からなくなってしまうのだった。

無理も無かった。 狼には、人間を父と慕う歴史など刻まれてはいないのだ。

その葛藤の姿を見るのが辛かった。 いつもいつも、心の中で詫びていた。

彼の純真に応える手段はただひとつ、この私も、命の全てで愛することだった。

愛の旅だった。 野性との、未踏の旅だった。

なんでこんなに、なんでこんなにも純真なのか・・・・

一旦怒れば闘神の気迫で相手を射抜く狼が、なんでこんなにも純情なのか・・・・

だからこそ、命懸けの愛だった。 だからこそ、命懸けの毎日だった。

互いに本来とは異なる未踏の世界に入ったから、毎日が命懸けだったのだ。


狼「太郎」の死後、半年間、私は抜け殻になっていた。

心がどこかを彷徨っていた。 あまりの悲しみに、心がどこかに行ってしまった。

毎日、世界が灰色に映っていた。

だが、ある日、ホウルが聴こえた。

辺りのすべてを沈黙させる、力に満ちた、勇壮なホウルだ。

その声で、我に返った。 その声で、心が戻った。

その日を境に、私は別の領域に足を踏み込んだ。

その声は、もちろんこの世の狼の声ではなかった。

だが、はっきりと聴いた。 今でも憶えているほどに、はっきりと聴いたのだ!!


学者が語る狼は、人間の分析の狼だ。

生態学とか行動学とかいう人間界の学術の目で見た狼だ。

シートンの記した狼は、無残で思い出したくはない。

彼は地獄のワナを仕掛け、狼を拷問の果てに引き裂いて殺したのだ。

彼が何故世に知れたかと言えば、「冷酷緻密な観察者」だったからだ。

彼は狼の実像を語っていない。 彼は観察日記を書いただけだ。

狼の心の世界を、誰も語らない。

狼の純情を、誰も語ってくれない。

だから私が語る。 どうしても語らねばならないのだ。

狼たちの、野性たちの、大自然の命たちの代弁者として。

※以前のブログ「狼の実像」もお読みください。

**** WOLFTEMPLE ****