<2008年3月3日>

平和を叫ぶことはたやすい。

反戦を論じることはたやすい。

「仲良く!」と諭すことはたやすい。

「喧嘩するな!」と戒めることはたやすい。

だが、実際に戦争は起こる。

いつまで経っても再発する。

どこかに、根本的な原因があるのだ。

どこかに、人間特有の原因があるのだ。


人間は「対話」が不得手なのだ。

対話の方法を知らないのだ。

対話とは「互いに、聴く」という交信だ。

だが人間はエキサイトすると相手の話を聞かない。

聞く耳を持たなくなる。それが人間の傾向性だ。


どこかで戦争が起こると、世間はどちらかを批難する。

結果の現実だけを見て、短絡的に判断する。

「対話の流れ」を冷静に洞察する人は非常に少ないのだ。

「なぜ対話が成立しなかったか?」そこが一番重大なのに、そこに関心を持たないのだ。


対話は全ての根本だ。

何よりもまず、対話の力を磨く必要がある。

反戦論者は、果たして仲裁が出来るだろうか??

対話が成立しないから戦争になるのだから、

間に入って対話を成立させることが出来るのだろうか??

その仲裁者の話さえ聞いてもらえない場合が多いだろう。

そのとき仲裁者はどのような対応を取るのだろうか??

国によって、民族によって、思想によって、宗教によって、言い分は全て異なるのだ。

それを全て把握し、それぞれの主張を分析し、

その上で妥協案を見つけ、その上でそれぞれに納得してもらうのだ。

いかに至難かが分かるはずだ。

とてつもない「対話力」が必要だと分かるはずだ。

しかし本来、それが反戦論者の資格なのだ。


人間は対話への関心が薄すぎる。

言語に依存しすぎて、肝心の「対話感性」を忘れている。

人間は対話が真剣勝負であることを知るべきだ。

**** WOLFTEMPLE ****