<2008年2月23日>

大自然界のみんなが、「あるべき姿」を貫くために命を賭けている。

命懸けの「あるべき姿」だ。

親が親であるために、ボスがボスであるために、

家族が家族であるために、群れが群れであるために、

個性が個性であるために、種の個性が種の個性であるために、

大自然が大自然であるために、命を賭ける!!


「あるべき姿」は、人間界の形式的道徳律とは違う。

心の底から湧き上がる使命感で、本来の姿を実践していくのだ。

他者から教えられるのではない。 己の心の声なのだ!!


「あるがままに!」と語る人が多い。

だが、その言葉は、誤解を生みやすい。

安易な解釈・自分に都合のいい解釈・逃避の解釈につながるケースも多いのだ。

本当は「あるがまま」とは、「それぞれの、あるべき姿」の意味なのだ。

それぞれがそれぞれのあるべき姿を貫く姿勢が、それが「あるがまま」なのだ。

だから、「あるがまま」は厳しい道なのだ。

「気楽に気軽に肩の力を抜いて、今の自分のままでいいんだよ!」と気安く言う人が多いが、

そのアドバイスでは、本来の「生きる力」に気付くことはできない。 それは問題だ。

やさしい言葉のようで、しかしそれは本当の親心ではないと感じる。

「あるがまま」とは、「本来の姿」だ。

本来の姿とは、真の個性を発揮した姿だ。

真に個性を発揮するには「勇気」が必要だ。

その勇気を教えることも、親心なのだ!!

命の使命の重大なひとつは魂の進化だ。

いつも真実の「あるべき姿」を目指して進化を続けていくのだ。

安易に「あるがまま」を解釈することは、とても危ういことなのだ。


この世は、頑張らなくては生きてはいけない。

例外はひとつもない。

誰しもが、頑張らなくては生きていけないのだ。

しかし近頃は、「頑張る」という言葉が敬遠されている。

「頑張り過ぎると失調するから、あんまり頑張らないように!」と言う人が多い。

だが、それは誤解の解釈だ。

「頑張ること」と「心身の解放」は、全く別の領域なのだ。

頑張りすぎて失調する人は、この「解放」が不得手な人なのだ。

解放する時には、雑念を払って無心に己を解放する。

分かりやすく言うと、「しっかりと眠る」ということだ。

しっかりと寝る、それしかないのだ。

それが最大の解放であり、最大の回復手段なのだ。

たとえどんなに切迫した状況であろうとも、いっとき、全てを忘れて眠る。

全てを忘れた眠りの中で己を解放し、回復するのだ。

野性たちはみんなそうやって過酷な世界を生き抜いている。

彼らの「頑張り」とは「命懸け」を意味する。

命懸けで生きるために、究極の真剣さで「回復」に臨むのだ。

「眠れない!」という人がいる。

だが、「頑張る」ことと「眠れない」こととは別問題だ。

それは別の領域の話のはずだ。

どんな状況でも眠れるくらいに「肝を太くする」ことが、それが最大の解決手段だと感じる。

肝を太くして、己で己を解放できるようになれば、

「頑張り」が原因で心身失調になることは無いはずだ。

しかし「肝を太くする方法」は、容易ではないと言える。

だが、容易でないからといって、それを避ける訳にはいかない。

生き抜くために、自分のために、それに挑まなくては!!

薬に頼って眠る生活では、根本の解決にはならない。

自分で自分を鎮静させる方法を会得することが重大なのだ。

「胆力」は肝心だ。 生きる上で必要だ。

どんな境遇に生きようとも、必要になる。

胆力を養うことは誰でも出来るはずだ。 決意次第だ!!

そして胆力があれば、冷静でいられる。 沈着でいられる。

心に余裕が生まれるのだ。

だから過剰な防衛意識を持たずに済む。

過剰な防衛意識は暴力を生む。 怖いから、暴力に走るのだ。

胆力があれば、過剰防衛に走らずに、泰然としていられるのだ。

胆力があれば、冷静に、的確な判断を下せるのだ。

胆力を養う方法は、言葉で説明することが難しい。

しかし「野性界」は、その参考になるはずだ!!


「あるべき姿」は尊く、美しい。

命懸けであるべき姿を貫こうとする野性たちに、言葉を失う。

「あるがまま」の背景には、自然界の深奥には、「あるべき姿」が隠されているのだ!!

**** WOLFTEMPLE ****