<2008年2月20日>

人々が動物の心を知れば、

動物に対する非道が、いかに残酷で「待ったなし!」の大問題であるかが分かるはずだ。

悠長な議論などしている場合では無いことが分かるはずだ。

人間は異種の命の心を実感できないから、だから動物への非道には良心が痛まない。

世間で起こる動物への残酷行為にも、無関心でいられる。


人が動物の心を知れば、驚きのあまりに伏すだろう。

その輝く純真に、その崇高な忍耐に、その美しい勇気に、その溢れる愛に、敬意を表すだろう。

だが人間は、彼らの心が分からない。 そして、知ろうともしない。

動物たちの心を知って欲しい!!それが狼山舎の願いだ。


動物との対話は、言語の交信ではない。

以前の記事にも書いたが、感性の交感だ。

交感は、間断なく続く。 黙している時にも、交感が続いている。

言葉に訳すことは難しい。 言葉以上のことを交感しているからだ。

交感の最中に、いちいち言葉に変換したりはしない。

そんな暇は無いのだ。

言語会話よりもはるかに深い対話が、川の流れのように絶え間なく続いているのだ。

多くの人は誤解しているが、

動物との対話は、即座に言葉に訳せるような世界ではない。

まず、動物の価値観は人間とは異なる。

彼らの思考は、人間の思考とは全く異質で純粋だ。

だから、人間の思考で生み出す言葉では非常な誤解が生じるのだ。

言葉に訳す試みをする時には、非常な慎重さが要求されるのだ!!

私は一日の終りに、瞑目する。

家族たちとの交感の流れが心に映る。

瞑目を続ける。 やがて言葉の姿が浮かびあがる。

そうやって、言葉の形での理解が生まれる。

もし文章にする時には、慎重に言葉を選ぶ。

言葉ひとつで、ニュアンスが微妙に変わっていってしまうからだ。

動物との対話を、安易に言葉に換える行為は慎むべきだ。

彼らの深い深い心の世界を安易に言葉に換えたなら、誤解が生じてしまうのだ!!


動物との対話に於いては、あらゆる固定観念と偏見を捨て切る。

純粋心境の心で送り、純粋心境の心で受けるのだ。

その交感の習慣は、人間同士の対話に於いても必ず有効となる。

この世では、いかなるときでも対話が全てだ。 結局は、対話なのだ。

言語での対話は、ごく限られた範囲の手段でしかない。

言語会話をはるかに超えた深い対話が存在することを、人は知るべきだと思う。

人間同士に於いても、この「交感対話」の意義は重大なのだ!!

**** WOLFTEMPLE ****