<2008年2月16日>

ある寺のチワワが、本尊に向かって合掌している。

まさしく、真摯な祈りの姿だ。

インターネットの写真でも、充分にそれが伝わってくる。

しかし記事を読んでガッカリした。その寺のコメントにガッカリした。

「もちろん、おねだりのポーズでしょう!」と言う。 実に寂しい話だ。

仏教の「一切衆生悉有仏性」の言葉を、ただの「飾り言葉」だと思っているのか??

「悉有仏性・悉皆成仏」を、ただの建前言葉としか受け止めていないのか??

残念ながら、今はそのような僧侶がほとんどなのだ。 悲しい話だ。

「一切衆生」とは、「すべての生きとし生けるもの」だ。 すべての命なのだ。

本来の仏教とは人間だけを対象にした教えではない。人間だけを対象にした真理ではない。

本来の仏教は「ご利益」を謳ったりはしない。「真の共生」に導く教えなのだ!!


そのチワワの姿を、そのチワワの真摯な眼差しを見れば、胸打たれずにはいられない。

その寺は、「今度は坐禅を教えます!」と言っていた。

冗談だとは思うが、中には冗談ではない人もいるのだ。

「犬の身体の構造」を知らないのか??

その子に無理難題を強制するつもりなのか??

「芸」を教えて人気を得ようと言うのか??

そもそも、「番犬」としてそのチワワを飼ったという。

「番犬として飼った」というその言葉に、虚しさを感じてならない。

例えそうではなかったとしても、寺の発言としては寂しすぎる言葉だ。


私は、あのチワワの姿に敬意を表する。

「祈り」に、種の違いなどありはしない。

種を超えて命たちは、祈りの中に生きているのだ!!

**** WOLFTEMPLE ****