<2008年2月16日>
「02」から続く:
半年経った頃から、ロウは少し落ち着くようになってきた。
「爆走」も目立たなくなってきた。
だがまだ警戒態勢は解かれていない。私との距離を保ったままだ。
ルウと遊ぶ時には満面の笑顔なのに、私に対する時にはまだ緊張の面持ちだ。
こういう時には、女性の方が有利な場合が多い。
女性の柔らかな雰囲気の方が、緊張を解きやすいのだ。
たとえ私がどんなに優しかろうと、男の私から出る雰囲気は女性より堅いのだ。
だから動物との初対面の時などは、柔らかな雰囲気の人は有利なのだ。
だが、だからといって、私はその雰囲気を装うつもりは無い。
装いは装いであって実態では無いのだし、そんな演技は動物には通用しないのだ。
私は私のままで一心を伝えていくしかないのだ。
そしてまた相手が緊張を解いたからといって、それがそのまま対話につながる訳ではない。
「緊張を保ちながら対話する」場合があるのだ。
私の中の「男」に対して平気な子もいるし、緊張する子もいるだろう。
それは相手の自由だし、感受性はそれぞれに千差万別だ。
だから小細工で装うことなど意味を持たない。重大なのは「一心」だ!!
一年経った頃から、ロウは近づいてくるようになった。
リラックスの状態が多くなり、私の前で「座る」姿勢も見せるようになった。
この「座る」という姿勢の意味は重い。その意味は深いのだ。
座った状態では「瞬時の反応」が不利になる。
立った状態に較べて一挙動も二挙動も遅れるのだ。
動物たちは常に「瞬間の対応」を心がけている。
それが無ければ生きてはいけないのだ。
だから「自発的に座る」という行為は、相当に気を許した状況なのだ。
相手に気を許しているからこそ座るのだ。
動物たちが座ってくれる。その気持ちを大切に尊重したい。
当たり前だなんて思わずに、その座る姿勢に対して感謝したい。
ロウの表情は少しづつ穏やかになってきた。
私に対して少しづつ感情を表現するようになってきた。
※続きはまた書きます。お待ちください。
「02」から続く:
半年経った頃から、ロウは少し落ち着くようになってきた。
「爆走」も目立たなくなってきた。
だがまだ警戒態勢は解かれていない。私との距離を保ったままだ。
ルウと遊ぶ時には満面の笑顔なのに、私に対する時にはまだ緊張の面持ちだ。
こういう時には、女性の方が有利な場合が多い。
女性の柔らかな雰囲気の方が、緊張を解きやすいのだ。
たとえ私がどんなに優しかろうと、男の私から出る雰囲気は女性より堅いのだ。
だから動物との初対面の時などは、柔らかな雰囲気の人は有利なのだ。
だが、だからといって、私はその雰囲気を装うつもりは無い。
装いは装いであって実態では無いのだし、そんな演技は動物には通用しないのだ。
私は私のままで一心を伝えていくしかないのだ。
そしてまた相手が緊張を解いたからといって、それがそのまま対話につながる訳ではない。
「緊張を保ちながら対話する」場合があるのだ。
私の中の「男」に対して平気な子もいるし、緊張する子もいるだろう。
それは相手の自由だし、感受性はそれぞれに千差万別だ。
だから小細工で装うことなど意味を持たない。重大なのは「一心」だ!!
一年経った頃から、ロウは近づいてくるようになった。
リラックスの状態が多くなり、私の前で「座る」姿勢も見せるようになった。
この「座る」という姿勢の意味は重い。その意味は深いのだ。
座った状態では「瞬時の反応」が不利になる。
立った状態に較べて一挙動も二挙動も遅れるのだ。
動物たちは常に「瞬間の対応」を心がけている。
それが無ければ生きてはいけないのだ。
だから「自発的に座る」という行為は、相当に気を許した状況なのだ。
相手に気を許しているからこそ座るのだ。
動物たちが座ってくれる。その気持ちを大切に尊重したい。
当たり前だなんて思わずに、その座る姿勢に対して感謝したい。
ロウの表情は少しづつ穏やかになってきた。
私に対して少しづつ感情を表現するようになってきた。
※続きはまた書きます。お待ちください。