<2008年2月8日>
先日、用事で町に行き、動物園に寄った。
今日は動物園の是否を問う話はしない。その話は別の機会に語りたい。
あらためて、動物たちの凄さを痛感した。
その、あまりにも不本意な状況の中で、あまりにも狭い空間の中で、
彼らは、彼らの真髄を私に見せてくれた。
私は静かに歩く。私は無言で彼らの前で佇む。
彼らを見つめると、彼らの心が現われる。
私は泣きたいような気持ちになる。
彼らの凄さが、彼らの素晴らしさが伝わるから、泣きたくなる。
彼らは、その著しく狭い囲いの中で、「禅」に入っている。
彼らは、禅に入らなければ耐えることはできない状況の中にいるのだ。
彼らを見ていると、どんな禅の講釈も虚しく映る。
この正真正銘の実践者たちを前にすれば、講釈は虚しさを曝け出すだけだ。
彼らの瞳は、いささかの曇りも無く澄んでいる。
その絶望的な毎日の中でさえ、彼らの瞳は純真に満ちている。
空をジッと見上げている子がいた。
両手を広げ、そのままの姿でジッと瞑想する子もいた。
誰もが、無意味に終わろうとする一日の中で、何かを求めて見つめ続けていた。
見物者は「動物はエサがあれば、なんにもしないんだ・・・」とか、
「いいねえ、なんにもしなくて。なんにも考えなくて。」とか思うらしい。
動物たちが、どうにもならない状況下で、
必死になって命を燃やそうとしている心境を知らないらしい。
自らに命の灯を灯そうとしなければ、精神は衰弱し、それによって肉体も衰弱の一途を辿る。
動物たちはそれを知っている。
だから彼らは、意味の見出せない毎日の中に、ひとかけらの意味を見出そうと、禅に入るのだ。
もし人間が同じ状況下に置かれたら、人間は狂うだろう。
一発で体調を崩し、病気になるだろう。
愚痴と憎しみと呪いの毎日を送るだろう。
動物たちだって、本当は辛いのだ。叫びたいほどに辛いのだ。
だが彼らは、誰も憎まない。境遇も運命も呪わない。
ただその限りなく狭い空間の中に限りなく大きな何かを見つけようと、野性禅に入るのだ。
その動物園に子豚がいた。繋がれていた。
体毛は白いが、猪のような体型の子豚だった。
私はその子の横に座った。ゆっくりと静かに座った。
子豚が私の匂いを嗅ぐ。
子豚の満足のいくまで嗅ぐに任せる。
子豚を触る。だんだん強く触る。
子豚は安心してきた。子豚は地面に横になった。
お腹を撫でる。シッポが小刻みに激しく振られている。
うれしい!うれしい!と言っている。
女の子だった。可愛い可愛い女の子だった。
子豚が犬のように私の胸に手をかける。
抱き締めると、最初の一瞬だけ子豚の身体が緊張する。
それを見越した上で、やさしく強く抱く。
子豚はその抱擁にも慣れ、甘え声を出した。
なぜこんなにも可愛いのだろう!!
そのまま連れて帰りたいくらいだった。
しばらくして、私は静かにゆっくりと立った。
その子に、全霊の祈りを捧げた。
立ち去る時、背中に子豚の強烈な視線を感じた。
私は一度だけ振り返った。
その子の顔を一瞬に見つめ、その子の明日を、一心に念じた。
帰りの車中も、子豚と、そしてみんなの姿が、脳裏を離れない。
あの動物園に併設の子供遊園地のゲーム機の大音量が、哀しいほどに耳障りだった。
なんで動物園に、わざわざ電子音を響かせなければならないのか??
動物園に来て、なんでわざわざ機械に乗せて遊ばせなければならないのか??
動物園が、「動物との対話」の場所になる日は来ないのだろうか??
私には祈ることしかできない。
せめてもの、だが渾身の祈りを捧げた。
**** WOLFTEMPLE ****
先日、用事で町に行き、動物園に寄った。
今日は動物園の是否を問う話はしない。その話は別の機会に語りたい。
あらためて、動物たちの凄さを痛感した。
その、あまりにも不本意な状況の中で、あまりにも狭い空間の中で、
彼らは、彼らの真髄を私に見せてくれた。
私は静かに歩く。私は無言で彼らの前で佇む。
彼らを見つめると、彼らの心が現われる。
私は泣きたいような気持ちになる。
彼らの凄さが、彼らの素晴らしさが伝わるから、泣きたくなる。
彼らは、その著しく狭い囲いの中で、「禅」に入っている。
彼らは、禅に入らなければ耐えることはできない状況の中にいるのだ。
彼らを見ていると、どんな禅の講釈も虚しく映る。
この正真正銘の実践者たちを前にすれば、講釈は虚しさを曝け出すだけだ。
彼らの瞳は、いささかの曇りも無く澄んでいる。
その絶望的な毎日の中でさえ、彼らの瞳は純真に満ちている。
空をジッと見上げている子がいた。
両手を広げ、そのままの姿でジッと瞑想する子もいた。
誰もが、無意味に終わろうとする一日の中で、何かを求めて見つめ続けていた。
見物者は「動物はエサがあれば、なんにもしないんだ・・・」とか、
「いいねえ、なんにもしなくて。なんにも考えなくて。」とか思うらしい。
動物たちが、どうにもならない状況下で、
必死になって命を燃やそうとしている心境を知らないらしい。
自らに命の灯を灯そうとしなければ、精神は衰弱し、それによって肉体も衰弱の一途を辿る。
動物たちはそれを知っている。
だから彼らは、意味の見出せない毎日の中に、ひとかけらの意味を見出そうと、禅に入るのだ。
もし人間が同じ状況下に置かれたら、人間は狂うだろう。
一発で体調を崩し、病気になるだろう。
愚痴と憎しみと呪いの毎日を送るだろう。
動物たちだって、本当は辛いのだ。叫びたいほどに辛いのだ。
だが彼らは、誰も憎まない。境遇も運命も呪わない。
ただその限りなく狭い空間の中に限りなく大きな何かを見つけようと、野性禅に入るのだ。
その動物園に子豚がいた。繋がれていた。
体毛は白いが、猪のような体型の子豚だった。
私はその子の横に座った。ゆっくりと静かに座った。
子豚が私の匂いを嗅ぐ。
子豚の満足のいくまで嗅ぐに任せる。
子豚を触る。だんだん強く触る。
子豚は安心してきた。子豚は地面に横になった。
お腹を撫でる。シッポが小刻みに激しく振られている。
うれしい!うれしい!と言っている。
女の子だった。可愛い可愛い女の子だった。
子豚が犬のように私の胸に手をかける。
抱き締めると、最初の一瞬だけ子豚の身体が緊張する。
それを見越した上で、やさしく強く抱く。
子豚はその抱擁にも慣れ、甘え声を出した。
なぜこんなにも可愛いのだろう!!
そのまま連れて帰りたいくらいだった。
しばらくして、私は静かにゆっくりと立った。
その子に、全霊の祈りを捧げた。
立ち去る時、背中に子豚の強烈な視線を感じた。
私は一度だけ振り返った。
その子の顔を一瞬に見つめ、その子の明日を、一心に念じた。
帰りの車中も、子豚と、そしてみんなの姿が、脳裏を離れない。
あの動物園に併設の子供遊園地のゲーム機の大音量が、哀しいほどに耳障りだった。
なんで動物園に、わざわざ電子音を響かせなければならないのか??
動物園に来て、なんでわざわざ機械に乗せて遊ばせなければならないのか??
動物園が、「動物との対話」の場所になる日は来ないのだろうか??
私には祈ることしかできない。
せめてもの、だが渾身の祈りを捧げた。
**** WOLFTEMPLE ****