<2008年2月4日>

人間は知能を誇る。

人間は科学を誇る。

人間は文化を誇る。

それならば、その自慢する知能と科学と文化の力を、真の共生に使って欲しい。

それならば、その自慢する能力を、少しは罪の償いに使って欲しい。

どれほど多くの動物たちが人間の犠牲になっていったことか!!

どれほど多くの命たちが人間の手で地獄に引きずり込まれたことか!!

動物たちは恨まない。動物たちは憎まない。動物たちは償いを要求しない。

だが、その惨劇の事実は、その惨劇の歴史は、厳然と地球に刻まれている。

人間が自らの力をそれほど誇るなら、それほど自慢するなら、

もっと真剣に、もっと本気で、共生に取り組んで欲しい。

本気になれば、出来ることはもっともっと山ほどあるはずだ。

その自慢のテクノロジーで出来ることが山ほどあるはずだ。

やらないだけなのだ。サボっているだけなのだ。

異種の命のためにその力を有効利用する意志が無いだけなのだ。

動物たちの安息のためにその力を有効利用しようとする発想が無いだけなのだ。

いまだに、ひたすら動物を利用し尽くそう!という発想しか持っていないのだ。

いまだに「動物は物だ!物体だ!とことん押し込めて利用し尽くせ!!」なのだ。

世間は「共生」をスローガンにしている。

だが共生の前提条件が、異種の命の尊厳を認めることであることを知らない。

もし知っているとしたなら、なぜ裏腹な行為を認めているのか??

いまだに、動物たちへの拷問行為は一向に減らない。ますます加速している。

共生をスローガンにしながら、なぜその拷問行為に疑問を持たないのか??

なぜ命の尊厳を完全に無視した拷問行為を許しているのか??

それとも、そのスローガンは嘘なのか?? 口先だけの美言にすぎないのか??

共生を口にしながら、なぜ動物たちの悲鳴と涙に平気でいられるのか??

なぜ無関心でいられるのか??

なぜ「せめてもの同情」さえも持とうとしないのか??

なぜそのテクノロジーを少しは動物の尊厳のために活かそうとしないのか??

なぜそのテクノロジーをせめてもの改善策に活用しようと発想しないのか??

本気ならば、必ず改善策は生まれるはずだ。

関心を持てば、さまざまな改善策のアイデアが生まれるはずだ。

関心を持って欲しい。本気になって欲しい。

そしてそのテクノロジーで、動物たちを苦しみから救って欲しい。

無理難題を吹っかけている訳ではない。せめてもの、百歩譲った話だ。

これだけ延々と動物たちを搾取してきたのだ。

これほど延々と動物たちを苦しめてきたのだ。

そのテクノロジーを彼らのささやかな安息のために使うことぐらい当然の話だ。

殺す殺さないの話ではない。せめてもの、ささやかな安息を与えて欲しいのだ。

贅沢など願っている訳ではないのだ。ささやかな話を言っているのだ。

これだけ譲歩した願いであっても、それでも相変わらず聞く耳を持たなかったら、

人間には永遠に共生など不可能だろう。

人間は地球上で唯一の「不調和者」で終わるのだ。

**** WOLFTEMPLE ****