<2008年1月21日>

私の家族は犬たちだ。

たくさんの犬たちが家族だ。

彼らを導き、群れを守っていくのは大変だ。

全てが刻々と変化していくから、毎日、新たな世界だ。

それぞれが変化していくから、全体の調和も次々と新たになる。

毎日が「未踏の世界」なのだ。

彼らの心は、刻々と変化している。刻々と成長している。

彼らの心の成長を見るとき、いつも、感動が胸に押し寄せる。

「芸」などしなくとも、何のメダルも無くとも、彼らの心の成長こそが我が喜びだ。

私は「芸」には興味が無い。

犬にとっては意味不明な反復練習の繰り返しで「芸」を憶えさせることに、

私は昔から激しい違和感を感じてきた。

日本のトレイニングマニアは欧米のトレイナーの真似をしたがる人が多い。

私は参考までに海外のビデオを数多く見てきたが、嫌悪感を覚えることも多かった。

愛情深さを感じるトレーナーもいたが、支配者意識を濃密に潜ませたトレーナーも多かった。

延々と機械的な反復練習をさせる光景に、怒りを覚えることも多かった。

私も武道の修行の際には延々と反復練習を続けた過去があるが、

それは意味ある反復稽古だと納得していた。

しかしドッグトレイニングには、未だに「支配的訓練」の気配を強く感じるのだ。

(※これは犬に限らない。他の動物調教の場合も同様だ。)

心の成長は、芸を憶えることではない。訓練が入ることではない。

犬たちが自らに成長していくのだ。

もちろん、共に暮らす上での「教導」は存在する。

母犬が子犬を教導するように、それと同様に教導していく。

母犬がそうであるように、時に厳しく、時にやさしく、時に烈しく、時におだやかに、

時に叱咤のなかで、時に許しのなかで、そうやって約束を教えていく。共に生きるために。

もちろんその間にも彼らの心は成長していくが、その時だけではない。

彼らの心は、ずっとずっと成長していくのだ。

「犬の心の成長??」と思う人も多いかもしれない。

そもそも、犬の心の存在を実感できない人が未だに多いらしいのだ。

「えっ?犬に心があるの?」というような記事を見ると本当にがっかりする。

「えっ?あると思うけど。。どうなのかな?」という人も意外に多い。がっかりする。

あれほど表現豊かなのに、あれほど語りかけているのに、犬の心を感じないという。

残念でたまらない。哀しくなる。

いや、「意外」ではない。世間の現実を考えてみれば意外ではないのだ。

これほどに「捨て犬」が多いではないか!!

もし犬の心を実感していれば、普通なら、どう考えても捨てる事など出来ないはずなのだ!!

犬の心は無限に深い。

犬の心は無限に深い感性に満ちている。

生まれたその時からそうだ。死の瞬間までそうだ。

その心が、成長していく。

いろんなことを見て、いろんなことを感じて、いろんなことを経験して、いろんなことを知って、

そうやって刻々と成長していくのだ。

いろんな子がいる。さまざまな個性がある。

だがそれぞれに、それぞれの形で、成長していくのだ。

私はその姿をじっと見る。毎日、じっと見る。いつも、感慨無量だ。

子犬の頃、若犬の頃、壮犬の頃、そして老犬の今、心は休むことなく成長を果たしてきたのだ。

私も、彼らに学んできた。

言葉にできないほどに大きな何かを学んできた。

ありがとう、我が子たち。ありがとう、純情たち。

心は、無限だ。心は、無限に深い。

心の成長は、偉大な意味を持っている。

**** WOLFTEMPLE ****