<2008年1月18日>
人は簡単に「捕鯨」と言う。
「鯨を食って何が悪い!!」と言う。
議論といえば、いつも「捕る捕らない」の次元の話で終わる。
捕鯨肯定派は「食う権利」の意識を根深く持っているから、聞く耳を持たない。
「食いたいから殺す、そのどこが悪いんだ!!」と思っている。
鯨だけではなく、他の動物に対しても同様にその権利意識を持っている。
その動物がどれほど苦しんで殺されようとも一向にお構い無しだ。食えればいいのだ。
だから「殺す殺さない」のひと言で済ます心理になれるのだ。
もしあなたが、どうしても「食べられる立場」になってしまった時、
それが地獄の痛みと苦しみを伴う処刑だとしたら、耐えられますか??
せめてもの「やすらかな死」を願いませんか??
その状況においては、「どのように殺されるのか」は極めて重大問題ではないですか??
それともあなたはいかなる痛みにも耐えられる人ですか??
それともあなたは、それが自分でなければ、とことん無関心でいられる人なのですか??
それともあなたは、「異種の命」に対して未だに偏見を持っている人なのですか??
動物の苦しみを想う心を、「感情論だ!!」とひと言で退けようとする人なのですか??
あなたにとって、「共生」とは何なのですか??
あなたは自分の健康・自分の延命のためだけに「環境」を考えている人なのですか??
その意識はこれまでの人間の意識そのままであり、
そうであれば共生など永遠に不可能なのだと、内心では知っている人なのですか??
それともあなたは本心では「共生なんてどうでもいいこと!」と思っている人ですか??
それとも共生の根幹が「異種の命への理解」なのだということを知らない人なのですか??
「味が落ちるから」というただそれだけの理由で、安楽死させない処刑方法。
「栄養が増すから」という妄想で、延々と殴り続けて極限の痛みを与える処刑方法。
人間は一旦平気になると、際限なく欲望をエスカレートさせるのだ。
それを食わなければ飢えて死ぬ訳でもないのに、
一旦「権利」の意識を持つと、手段を選ばずに権利をエスカレートさせるのだ。
銛が、鯨の身体を突き破る。
深く深く突き刺さる。
目の前が真っ赤に染まる衝撃だ。
鯨は、死に物狂いで逃れようとする。
だが銛は、さらに深くに侵入を続ける。
銛が容赦なく内部の筋肉を引きちぎっていく。
身体内部のその破壊が、延々と続く。
鯨にとっては、果てしなく続く拷問だ。
やがて、力尽きて衰弱した鯨は船に引っ張られていく。
莫大な水の抵抗があるから、「銛の拷問」はまだ続いている。
絶叫を上げながら船に引かれていく血まみれの鯨を、家族が必死に助けようとする。
悲鳴を上げてのたうつ母鯨の元を決して離れずに最後の最後まで励ます子鯨の姿がある。
だが、銛は外れない。どんなことをしても。
船上に引き上げられて、生きながらの解体が始まる。
生きながら、身体を切断されていくのだ。
周囲の海に、泣き叫ぶ家族の声がこだまする。
世間では「イルカの癒し」をアピールしている。
イルカの知能の高さや彼らの精神性を評価し、イルカのファンは非常に多い。
だったら、分かっているはずではないか。
海の動物たちに「心」があることを。歴然と、心があることを。
それが分かっていながら「拷問処刑」に無関心でいられるとは、驚きだ。
世間では、教師が生徒を平手で叩いただけで大問題になる。
例えその生徒が異常なイジメの常習者であっても異常に暴力的であっても大問題にされる。
いかなる状況に於いてでも、手加減した平手叩きさえもが「暴力」と認定されるのだ。
それほどに暴力に過敏なのに、動物に対する暴力には一切無関心なのだ。不思議だ。
「捕る捕らない、殺す殺さない」の話ではない。それとは別の次元の話だ。
せめて、せめて処刑の方法を考えて欲しい。
人間は科学を誇る。知能を誇る。
だったらせめて、「やすらかな死」を考えて欲しい。
それが今の段階での、せめてもの願いだ。
**** WOLFTEMPLE ****
人は簡単に「捕鯨」と言う。
「鯨を食って何が悪い!!」と言う。
議論といえば、いつも「捕る捕らない」の次元の話で終わる。
捕鯨肯定派は「食う権利」の意識を根深く持っているから、聞く耳を持たない。
「食いたいから殺す、そのどこが悪いんだ!!」と思っている。
鯨だけではなく、他の動物に対しても同様にその権利意識を持っている。
その動物がどれほど苦しんで殺されようとも一向にお構い無しだ。食えればいいのだ。
だから「殺す殺さない」のひと言で済ます心理になれるのだ。
もしあなたが、どうしても「食べられる立場」になってしまった時、
それが地獄の痛みと苦しみを伴う処刑だとしたら、耐えられますか??
せめてもの「やすらかな死」を願いませんか??
その状況においては、「どのように殺されるのか」は極めて重大問題ではないですか??
それともあなたはいかなる痛みにも耐えられる人ですか??
それともあなたは、それが自分でなければ、とことん無関心でいられる人なのですか??
それともあなたは、「異種の命」に対して未だに偏見を持っている人なのですか??
動物の苦しみを想う心を、「感情論だ!!」とひと言で退けようとする人なのですか??
あなたにとって、「共生」とは何なのですか??
あなたは自分の健康・自分の延命のためだけに「環境」を考えている人なのですか??
その意識はこれまでの人間の意識そのままであり、
そうであれば共生など永遠に不可能なのだと、内心では知っている人なのですか??
それともあなたは本心では「共生なんてどうでもいいこと!」と思っている人ですか??
それとも共生の根幹が「異種の命への理解」なのだということを知らない人なのですか??
「味が落ちるから」というただそれだけの理由で、安楽死させない処刑方法。
「栄養が増すから」という妄想で、延々と殴り続けて極限の痛みを与える処刑方法。
人間は一旦平気になると、際限なく欲望をエスカレートさせるのだ。
それを食わなければ飢えて死ぬ訳でもないのに、
一旦「権利」の意識を持つと、手段を選ばずに権利をエスカレートさせるのだ。
銛が、鯨の身体を突き破る。
深く深く突き刺さる。
目の前が真っ赤に染まる衝撃だ。
鯨は、死に物狂いで逃れようとする。
だが銛は、さらに深くに侵入を続ける。
銛が容赦なく内部の筋肉を引きちぎっていく。
身体内部のその破壊が、延々と続く。
鯨にとっては、果てしなく続く拷問だ。
やがて、力尽きて衰弱した鯨は船に引っ張られていく。
莫大な水の抵抗があるから、「銛の拷問」はまだ続いている。
絶叫を上げながら船に引かれていく血まみれの鯨を、家族が必死に助けようとする。
悲鳴を上げてのたうつ母鯨の元を決して離れずに最後の最後まで励ます子鯨の姿がある。
だが、銛は外れない。どんなことをしても。
船上に引き上げられて、生きながらの解体が始まる。
生きながら、身体を切断されていくのだ。
周囲の海に、泣き叫ぶ家族の声がこだまする。
世間では「イルカの癒し」をアピールしている。
イルカの知能の高さや彼らの精神性を評価し、イルカのファンは非常に多い。
だったら、分かっているはずではないか。
海の動物たちに「心」があることを。歴然と、心があることを。
それが分かっていながら「拷問処刑」に無関心でいられるとは、驚きだ。
世間では、教師が生徒を平手で叩いただけで大問題になる。
例えその生徒が異常なイジメの常習者であっても異常に暴力的であっても大問題にされる。
いかなる状況に於いてでも、手加減した平手叩きさえもが「暴力」と認定されるのだ。
それほどに暴力に過敏なのに、動物に対する暴力には一切無関心なのだ。不思議だ。
「捕る捕らない、殺す殺さない」の話ではない。それとは別の次元の話だ。
せめて、せめて処刑の方法を考えて欲しい。
人間は科学を誇る。知能を誇る。
だったらせめて、「やすらかな死」を考えて欲しい。
それが今の段階での、せめてもの願いだ。
**** WOLFTEMPLE ****