<2007年12月26日>

「外国から狼を移入し、日本の生態系の秩序を回復させる」という構想があるらしい。

どこかの任意団体が、それを考えているらしい。

一体、狼を何だと思っているのだろうか?

そもそも、研究者たちは生態系を「システム」としか見ていないので、

そこに棲み、それを支える命たちのことを「数」で把握するだけだ。

それぞれの「個」に対する愛など、学術研究の前には邪魔になるだけのようだ。

だが、「システム」を知っただけでは、共生の入り口に立っただけだ。

そこからは「共生心」が根幹として求められるのだ。

共生心とは、愛であり、リスペクトであり、湧き上がる本心だ。

湧き上がる本当の本心で異種の命に敬意を持った時、共生への扉が開くのだ。

狼を「生態系の回復の道具」に使うのならば、そのプロジェクトの意義はゼロだ。

そもそも、その魂胆が不純なのだ。人間得意の「利用主義」そのものだ。

狼は行動半径が極めて大きい。「アッ」という間に数十キロを移動する。

狼の肉体を維持していくためには大量の食糧(獲物)が必要となる。

狼は強力な狩猟獣だから、その肉体は特別構造であり、求める栄養量が大きいのだ。

キツネが肉体を維持していくのとは訳が違うのだ。

それらを考えただけでも、日本は狭すぎる。

何しろ、明治時代に既に日本は狭くなりすぎて、人間の手で日本狼が絶滅させられたのだ。

雄大といわれる北海道でさえ、エゾ狼が絶滅させられたのだ。

現代は、明治から較べればケタ違いに山が人間に侵されている。比較にならないレベルだ。

狼が少しでも深山から降りれば、人里は大騒ぎするだろう。

日本国民の全員が狼に「愛と理解」を持ってくれれば騒ぎとはならないだろうが、

熊や猪が出ただけで人々は「敵意むき出し」になるのだから、狼ともなれば推して知るべしだ。

「狼は犬と変わらない動物」だと思っている人が多いようだが、

実際の狼の迫力は実に独特の凄味に溢れているのだ。

だからもし狼が里に降りてきたら、間違いなく人々は騒ぎ、敵意の塊りになるだろう。

人間は怖れると即、「駆除、排他、迫害」へと突き進むのだ。

以前、広大なアメリカ・イエローストーン地域にカナダの狼が移入されたが、

想像通り、狼を敵視する住民が現われ、その意識が広がっていったようだ。

特に牧場などは、狼の存在を忌み嫌っているらしい。

それは当然といえば当然だ。

そこに、非常に簡単に手に入る「ごちそう」が待っているのだ。

狼にしてみれば、牧場はレストランなのだ。

そんなことは、火を見るよりも明らかだ。考えなくても分かることだ。

狼が住民から目の敵にされることは、最初から分かり切っていることなのだ。

もはや、狼が生きられるエリアなど、この地球上のごくごく一部分なのだ。

人々が考える以上に、狼の住める地域は限られているのだ。

それなのに、この狭い日本に狼を移入しようなどと考える学者がいようとは!!

おそらくその団体は、迫害される狼が多少いようとも、何てことないのだろう。

おそらく起こるであろう狼の犠牲に、心を痛めることなど無いのだろう。

あの広大なモンゴルでさえ、狼狩りが頻繁に実施されている。

狼を見つけると、車でとことん、延々と追い込むそうだ。

あの耐久の王者の肺が焼き切れるまで、最後の力の一滴を使い果たすまで、追い続けるのだ。

子狼は、袋に入れられて、殴り殺されるそうだ。

子供といえども、そう簡単には死なない。

延々と袋の外から殴られて、身体の全ての骨を折られて、地獄の痛みの中で死ぬのだ。

狼はそうやって、世界中で迫害されている。

大自然の中で生きる民も、狼を理解している訳ではないのだ。

人間は、自分以外の種の尊厳を認めようとはしない。それは世界共通の特徴だ。

**** WOLFTEMPLE ****