<2007年12月25日>

書かずにはいられない。

この映画のことを、書かずにはいられない。

1956年制作のアメリカ映画「黒い牡牛」のことを。

私は幼い頃に、この映画を観た。

泣いたことを憶えている。

この「黒い牡牛」を、私はずっと忘れなかった。

「チコと鮫」と共に、私の中で永遠の「ベストシネマ」だ。

メキシコの貧しい農家の少年が愛育していた「黒い子牛」が、

闘牛候補として何者かに奪われてしまう。

少年は不屈の勇気でその子牛を探し求める。

あきらめたりは、しない。

なにものにも変え難い、少年の家族だったのだ。

愛しい家族を、なんであきらめたり出来ようか!!

少年は大統領にまで直訴して、やっと子牛の所在を突き止める。

なんと、子牛は成長して闘牛となり、今まさに生死の境に立たされていた!

「黒い牡牛」は、観るものに感動を与える勇敢さで、闘牛士の剣を捌いていた。

子牛もまた、不屈の勇気で運命に立ち向かっていたのだ。

観客たちから、「インダルト!!」の声が上がる。

それは「恩赦」を意味する。

「その勇者を、生かしてあげてくれ!」という、観客からの嘆願だ。

真の勇者に対する、尊敬の「特赦」だ。

だが、黒い牡牛には、もう立つ力も残っていなかった。

渾身の闘いで、最後の一滴の力まで使い果たしてしまったのだ。

そこに、やっと少年がたどり着く。

少年は牡牛の名を叫びながら柵を乗り越え、闘牛場へ降り立つ。

疲れ果ててうずくまっているその黒い牡牛を少年が抱き締める。

そのクライマックスを、45年経った今でも忘れはしない。

少年と牛の純愛を、少年と牛の勇気の物語を、忘れることなどできはしない。

「インテリ」を気取る評論家は、訳の分からないコメントを添える。

人間社会の政治的主義主張を織り込んだ映画だと解説する屁理屈評論もあった。

そんな解説はいらない。一切不要だ。

黒い牡牛は、「種を超えた愛に賭けた、真の勇気の物語」だ!!

**** WOLFTEMPLE ****