
現在午前3時。4時から犬たちの朝の世話を開始する。
7時半には仕事に出掛けるので、この時間でないと間に合わない。
私の仕事は肉体労働(土方)だが、帰宅後も世話があるので17時間寒気に晒される。
この日課は疲労困憊だが、身体はいたって健康だ。これは犬たちのお陰だ。
彼らと共に生きることによって「身体力」が高まるのだ。
我が家の16歳の「ハン(攀)」も、元気だ。
大型犬としては異例に長寿だと言える。
大型犬の寿命は短い。物凄いスピードで「生」を駆け抜けていくのだ。
(※特に「骨量」のある大型犬は老衰が早い。)
極大型のエスキモー犬のライとオーランは、13歳でこの世を去った。
狼犬のロウは12歳でこの世を去った。
彼らも実に長寿だった。
みな、獣医の世話になることもなく、天命を全うした。
彼らは他界の寸前まで命を燃やす。
そして寿命の尽きる何日か前から「禅定」に入る。
その時には、もう「仏」が迎えに来ている。
彼らはそれを知っている。
彼らは、仏と共にいるのだ。
自らの寿命を覚悟する彼らのその崇高な姿に、胸を打たれる。
ただただ、彼らを尊敬する。
彼らはもはや、静かにこの世での生を終わろうとしている。
もはや私の出る幕ではないのだ。
悲しくない訳が無い。
我が子の死に際に、悲しくない訳が無い。
叫びたいほど、悲しいのだ。
しかし、これは定めなのだ。大自然の調和の中の摂理なのだ。
彼らはそれを知っている。
だから毅然と、堂々と、己の全てで死と対峙している。
全霊で生と対峙し、全霊で死と対峙するのだ。
ハンも、自らの天命を知っている。
知っていながら、「今」を生きている。
最後の最後まで、今を生きるのだ。
もう、彼の元には仏が寄り添っている。
ハンを見守っている。
最期まで今を生きるハンを見守っているのだ。
15年前、野良犬だったハンを家族に迎えた。
壮犬の頃、彼は物凄い犬だった。
彼は驚異的な運動感覚、運動能力の持ち主だった。
おそらくマスチフ系とハウンド系の、奇跡的な偶然の配合の結晶だと感じる。
私は幾多の犬種のトレイニングを実践してきたが、その経験から見てもハンの能力は特異だ。
そして彼は、途方も無い純情の持ち主だ。
彼は若い頃、どこまでも私を追いかけてきた。
私が仕事に出発した後、2mのフェンス犬舎を乗り越えて、或いは鎖を引きちぎって、
私の仕事場まで来てしまうのだった。
普段は実に忍耐強い子なのだが、「私」の事となると抑えが効かなくなるのだ。
ハンを乗せて車で買い物に行った時、私が車を降りてしばらくしたら、
彼は車の窓ガラスを割って外に飛び出してきた。
冬だったし、私は万一を考えて、
ほんの5mmか1cm位しか窓は開けていなかったのだが、
彼は木っ端微塵に割って出て来てしまったのだ。
そしてまた、彼は「我が家」を守る意識が凄かった。
彼にとってこの我が家は「聖域」なのだ。
私の留守中、我々が以前にいた森の近くの別荘の改築に来た数人の職人を、
ハンが追い返してしまったこともある。
彼は「聖域を侵される」と判断し、犬舎を脱出して職人たちに猛烈な「警告」を与えたのだ。
帰宅した私は「騒動」を知り、謝罪に出向いた。
(※余談だが、それが縁で、その後数年間、私はその建築会社で働く事になった。)
実にいろんな事があった。ハンには本当に苦労させられた。
だが私はハンが可愛くて可愛くてしかたなかった。
私には彼の純情がひしひしと伝わるのだ。
野良犬だった彼が、やっと「我が家」と出逢った。
やっと家に辿り着いたのだ。
彼は心の底から、この家を、この私を、愛しているのだ。
彼のやり方は荒っぽいところもあるけれど、それが彼の精一杯の愛情表現なのだ。
愛の表現は、それぞれに違うのだ。
5年前、ある日突然、彼は「ピクリ」とも動けなくなった。
鼻先から足から尾先まで、ピクリとも動かないのだ。
獣医に精密検査してもらったが、原因は全く不明だった。
それから2ヶ月間、寝たきりの彼を車に乗せて仕事に行った。
一日5回、彼を抱き上げて排泄させるのだ。
彼は大型だから、とても重かった。
だが、そんなことは何てことなかった。
最愛の我が子なのだ。
果てしなく私を愛してくれているハンなのだ。
2ヶ月後、彼は僅かに動けるようになった。
そして徐々にリハビリし、その後3ヶ月ほどで走れるようになった。
その頃すでに彼は11歳だったから、もう往年の力の面影は無くなったが、
動けるようになってくれた事がとてもとてもうれしかった。
それにしても、実に不思議だった。
本当に或る日突然、あの「躍動の化身」が、完全全身麻痺になってしまったのだ。
しかしあの時期、我々は毎日毎日、24時間一緒だった。
ハンの、「お父さん、ありがとう」という言葉が、確かに聴こえた。
ハンが野良犬の時、どれほど辛かっただろう。
おそらく、まだ成長期だった。
あの頑丈な骨格の体格だから、身体は成長のための栄養を求めて悲鳴を上げていただろう。
いつもいつも空腹と闘っていたのだ。
(※彼が居た付近の住民の話によると「生き倒れ」の状態の時があったそうだ。)
私の家族になってから、彼の身体は急速に栄養を吸収し、本来の肉体へと回復していった。
そして山の中で存分に躍動した。
彼は私と共に生き、私と共に命を燃やし、私と共に試練に耐え、私と共に成長した。
彼の魂は、もちろん、今なお成長を続けている。
ハンに限らず、犬たちには「隠居」などないのだ。
彼らの精神、彼らの魂は、肉体が衰え、老境に入ってからも、さらに進化を遂げるのだ。
野性界には、「のんびりと老後を楽しむ」という概念など無いのである。
肉体が老いた時こそ、精神の深化が始まるとも言えるのだ。
この森の冬は厳しい。零下20度の世界だ。
彼は元来は短毛だが、アンダーコート(下毛)が著しく発達した。
だから、へたに部屋に入れたりすると暑がってしまう。
そして彼の「冬モード」の耐寒体調を崩してしまう事にもなりかねないので、
今の時点ではまだ森の犬舎にいる。
(※寝小屋の中は、木の葉と毛布で防寒してあるので大丈夫だ。)
彼は人間なら100歳くらいかも知れない。
しかし、彼の気力は輝いている。
私はまだ52歳だ。
ハンに較べれば、まだまだ若い。まだまだ、突き進むのだ。
ハンから学んだスピリットで!! SPIRIT OF THE WILD !!!
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