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<2007年12月17日>

現在午前3時。4時から犬たちの朝の世話を開始する。

7時半には仕事に出掛けるので、この時間でないと間に合わない。

私の仕事は肉体労働(土方)だが、帰宅後も世話があるので17時間寒気に晒される。

この日課は疲労困憊だが、身体はいたって健康だ。これは犬たちのお陰だ。

彼らと共に生きることによって「身体力」が高まるのだ。

我が家の16歳の「ハン(攀)」も、元気だ。

大型犬としては異例に長寿だと言える。

大型犬の寿命は短い。物凄いスピードで「生」を駆け抜けていくのだ。

(※特に「骨量」のある大型犬は老衰が早い。)

極大型のエスキモー犬のライとオーランは、13歳でこの世を去った。

狼犬のロウは12歳でこの世を去った。

彼らも実に長寿だった。

みな、獣医の世話になることもなく、天命を全うした。

彼らは他界の寸前まで命を燃やす。

そして寿命の尽きる何日か前から「禅定」に入る。

その時には、もう「仏」が迎えに来ている。

彼らはそれを知っている。

彼らは、仏と共にいるのだ。

自らの寿命を覚悟する彼らのその崇高な姿に、胸を打たれる。

ただただ、彼らを尊敬する。

彼らはもはや、静かにこの世での生を終わろうとしている。

もはや私の出る幕ではないのだ。

悲しくない訳が無い。

我が子の死に際に、悲しくない訳が無い。

叫びたいほど、悲しいのだ。

しかし、これは定めなのだ。大自然の調和の中の摂理なのだ。

彼らはそれを知っている。

だから毅然と、堂々と、己の全てで死と対峙している。

全霊で生と対峙し、全霊で死と対峙するのだ。

ハンも、自らの天命を知っている。

知っていながら、「今」を生きている。

最後の最後まで、今を生きるのだ。

もう、彼の元には仏が寄り添っている。

ハンを見守っている。

最期まで今を生きるハンを見守っているのだ。

15年前、野良犬だったハンを家族に迎えた。

壮犬の頃、彼は物凄い犬だった。

彼は驚異的な運動感覚、運動能力の持ち主だった。

おそらくマスチフ系とハウンド系の、奇跡的な偶然の配合の結晶だと感じる。

私は幾多の犬種のトレイニングを実践してきたが、その経験から見てもハンの能力は特異だ。

そして彼は、途方も無い純情の持ち主だ。

彼は若い頃、どこまでも私を追いかけてきた。

私が仕事に出発した後、2mのフェンス犬舎を乗り越えて、或いは鎖を引きちぎって、

私の仕事場まで来てしまうのだった。

普段は実に忍耐強い子なのだが、「私」の事となると抑えが効かなくなるのだ。

ハンを乗せて車で買い物に行った時、私が車を降りてしばらくしたら、

彼は車の窓ガラスを割って外に飛び出してきた。

冬だったし、私は万一を考えて、

ほんの5mmか1cm位しか窓は開けていなかったのだが、

彼は木っ端微塵に割って出て来てしまったのだ。

そしてまた、彼は「我が家」を守る意識が凄かった。

彼にとってこの我が家は「聖域」なのだ。

私の留守中、我々が以前にいた森の近くの別荘の改築に来た数人の職人を、

ハンが追い返してしまったこともある。

彼は「聖域を侵される」と判断し、犬舎を脱出して職人たちに猛烈な「警告」を与えたのだ。

帰宅した私は「騒動」を知り、謝罪に出向いた。

(※余談だが、それが縁で、その後数年間、私はその建築会社で働く事になった。)

実にいろんな事があった。ハンには本当に苦労させられた。

だが私はハンが可愛くて可愛くてしかたなかった。

私には彼の純情がひしひしと伝わるのだ。

野良犬だった彼が、やっと「我が家」と出逢った。

やっと家に辿り着いたのだ。

彼は心の底から、この家を、この私を、愛しているのだ。

彼のやり方は荒っぽいところもあるけれど、それが彼の精一杯の愛情表現なのだ。

愛の表現は、それぞれに違うのだ。

5年前、ある日突然、彼は「ピクリ」とも動けなくなった。

鼻先から足から尾先まで、ピクリとも動かないのだ。

獣医に精密検査してもらったが、原因は全く不明だった。

それから2ヶ月間、寝たきりの彼を車に乗せて仕事に行った。

一日5回、彼を抱き上げて排泄させるのだ。

彼は大型だから、とても重かった。

だが、そんなことは何てことなかった。

最愛の我が子なのだ。

果てしなく私を愛してくれているハンなのだ。

2ヶ月後、彼は僅かに動けるようになった。

そして徐々にリハビリし、その後3ヶ月ほどで走れるようになった。

その頃すでに彼は11歳だったから、もう往年の力の面影は無くなったが、

動けるようになってくれた事がとてもとてもうれしかった。

それにしても、実に不思議だった。

本当に或る日突然、あの「躍動の化身」が、完全全身麻痺になってしまったのだ。

しかしあの時期、我々は毎日毎日、24時間一緒だった。

ハンの、「お父さん、ありがとう」という言葉が、確かに聴こえた。

ハンが野良犬の時、どれほど辛かっただろう。

おそらく、まだ成長期だった。

あの頑丈な骨格の体格だから、身体は成長のための栄養を求めて悲鳴を上げていただろう。

いつもいつも空腹と闘っていたのだ。

(※彼が居た付近の住民の話によると「生き倒れ」の状態の時があったそうだ。)

私の家族になってから、彼の身体は急速に栄養を吸収し、本来の肉体へと回復していった。

そして山の中で存分に躍動した。

彼は私と共に生き、私と共に命を燃やし、私と共に試練に耐え、私と共に成長した。

彼の魂は、もちろん、今なお成長を続けている。

ハンに限らず、犬たちには「隠居」などないのだ。

彼らの精神、彼らの魂は、肉体が衰え、老境に入ってからも、さらに進化を遂げるのだ。

野性界には、「のんびりと老後を楽しむ」という概念など無いのである。

肉体が老いた時こそ、精神の深化が始まるとも言えるのだ。

この森の冬は厳しい。零下20度の世界だ。

彼は元来は短毛だが、アンダーコート(下毛)が著しく発達した。

だから、へたに部屋に入れたりすると暑がってしまう。

そして彼の「冬モード」の耐寒体調を崩してしまう事にもなりかねないので、

今の時点ではまだ森の犬舎にいる。

(※寝小屋の中は、木の葉と毛布で防寒してあるので大丈夫だ。)

彼は人間なら100歳くらいかも知れない。

しかし、彼の気力は輝いている。

私はまだ52歳だ。

ハンに較べれば、まだまだ若い。まだまだ、突き進むのだ。

ハンから学んだスピリットで!! SPIRIT OF THE WILD !!!

**** WOLFTEMPLE ****