<2007年12月16日>

救えなかった命が、毎日のように、脳裏に浮かぶ。

その時の事情で、どうしても救う事が出来なかった犬が、心を離れない。

いつも限界を超えた中で犬たちを家族にしてきたが、それが出来なかった時があるのだ。

その子の目を、忘れる事が出来ない。

その瞳を想い出す時、いつも懺悔の念で一杯になる。

何があろうと、どんな状況であろうと、助けなければならなかったのだ。

限界を超えた生活の中で破滅の音を聴く毎日であろうとも、何とかしなければならなかったのだ。

我々も苦しい。しかしその子は、さらに切迫した運命の中にいたのだ。

眠れなくなる夜がある。涙が溢れてくる。

ただただ謝り、そして祈る。

今は、ただ一心に祈るしかない。それしか出来ないのだ。

その子の瞳を、この胸に刻む。

この魂の一番深いところに、その純心の瞳を、永遠に刻むのだ。

我々家族も試練を受けてきた。

世間から誤解され批難の標的にされたこともある。

言葉に出来ないほどの悲しみも味わった。

個人の限界を超えた事をやろうとすれば、大きな壁が立ち塞がるのだ。

鎖で繋がれたままに餓死寸前だった犬たちがいた。

周辺の人間は見て見ぬ振りだった。そういう世間なのだ。

人にはいろいろ悩みがあるかも知れないが、逼迫した悩みもあるかも知れないが、

だとしても、目の前の「飢えて死にゆく命」を見て見ぬ振りする事が出来ると言うのか?

私はその3頭を保護し、家族にした。

生活はとっくに崖っぷちだったが、その子たちの運命はさらに切迫していたのだ。

私の生活は、世間からは「???」と思われていた。

我々の事情は一切無視され、「山の中で犬を集めて楽しんでいる」と思われていた。

だがそんな事はどうでもいいことだった。

あの「瞳」を想えば、命の悲劇を想えば、そんな事はどうでもいいことだ。

私は世間に絶望し、破滅を覚悟で突き進んだ。

明日にいちるの望みを託して、限界を承知で精一杯行動した。

しかしそれでもなお、救えなかった子のことは、一生忘れない。

その子たちと我々はいつも一緒だ。

祈りの中で、みんな一緒にいるのだ。

私のブログ、狼の山の魂は、「レクイエム」として書いている。

家族の紹介でも、自分日記でも、自分自慢でもない。

あの瞳への、渾身のレクイエムだ。

**** WOLFTEMPLE ****