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<2007年12月12日>

動物の心は、人間の想像とは相当に異なります。

人間の思考や人間の価値観で彼らの心を分析しようと思っても無理です。

人間特有の偏見や人間特有の固定観念を外さなければ彼らの心を知ることは出来ません。

動物に対する人間の思い込みは実に根深く、

人間は無意識の内に動物を「偏見の目」で見ています。

長く動物と暮らしてきた人でさえ、そのスタイルのままなのです。

人間の価値観は特殊です。

動物たちの価値観とは別世界です。

その特殊な価値観と人間特有の「優越意識・支配者意識」が、

動物の心を知る目を奪ってしまうのです。

例えば「おやつが欲しいから、」「エサが欲しいから、」という見方は人間の驕りです。

未だに、動物たちを「生存本能だけで生きる畜生」と見ている人が殆どなのです。

人間が何故そんな発想しか出来ないのか、不思議でなりません。

人間の発想は、神秘現象よりもはるかに不思議です。

「動物との対話」については前の記事に書きましたが、対話は「術」ではありません。

交信術ではなく、すべては「心」次第です。心がすべてです。

一切の固定観念を振り払ったニュートラルな心で臨むのです。

注意すべき点は相手に対して「自分の思考スタイル」を当てはめてしまうことです。

無意識の内に「きっと、こうに違いない」と思い込んでしまうことです。

異種の命と対話するときは、これは非常に注意すべき点なのです。

動物の心を知るには、限りなく「純粋心境」で臨まなくてはなりません。

この状態を「習慣」にしなくてはなりません。

つまり「動物との対話」とは、「自分の心のコントロール」なのです。

犬の「しつけ・訓練」の場合、多くの人は犬に対して一方的に求め、強制します。

しかしこれは誤りです。まず、「自分の心の状態」なのです。

まず、自分の心の雑念を振り払い、偏見や固定観念を捨てた心境に入るのです。

難しいと思われるかも知れません。

しかしこれ無しには真の対話や教導は成立しないことを、知ってもらいたいのです。

その心境に入るためには禅的な時間を持つ必要もあります。

禅宗の禅を言っている訳ではありません。自在なスタイルの深静境に入るのです。

心の波を鎮め、あらゆる固定観念から解放されるのです。

一日5分でいいです。どんな場所で、どんな状況でもいいです。

深静境に入る習慣を身につけると、「心の目・心の耳」が研ぎ澄まされます。

その「心眼心耳」で対話します。心で見て、心で聴くのです。

観念的な話ではありません。実際的な話です。実際の手段なのです。

そのとき、動物たちの心の世界が見えてきます。

素晴らしい世界です。人間界では見ることの難しい、素晴らしく純粋な心の世界です。

彼らの繊細さ、彼らの頑張り、彼らの忍耐、彼らの勇気、そして彼らの愛の深さが分かるのです。

彼らは「おやつ」欲しさに芸をやるのではありません。

彼らはエサをもらえるから飼主を慕うのではありません。

彼らの心は、人間の考えるような浅薄な次元ではありません。

彼らは、命の使命を知り、偉大な調和を知る、大自然の申し子です。

**** WOLFTEMPLE ****