<2007年11月28日>

華厳のハイライトはいくつもありますが、その全てが相関しています。

(「無限の関係性の中での存在」「平等の尊厳」「個性の発揮」など。)

全ての存在は無限の関係性の中で生まれ、無限の関係性の中で生き、

無限の関係性の中で死に、無限の関係性の中に刻まれます。

無限の関係性の世界だから、全ては刻一刻と変化します。

次々と姿を変えて、次々と生きていくのです。

「空・kuu」とは「虚しさ」ではなく「無限の関係性で成り立つ世界」を言います。

途方も無いダイナミックな世界です。

途方も無い平等の、途方も無い尊厳の世界です。

途方も無いスピードの、途方も無い躍動の、途方も無い深静の世界です。

(「空・無我・無常」は誤解されがちですが、虚無虚妄の意味ではありません。)

そして「空」の核心は「大悲」です。「大悲の空」です。

大悲は「無限の愛」です。

無限に深い、無限に平等の、果てなき愛です。

華厳はつまり「偉大な愛の世界」です。

寂滅境でありながら、そこには凄まじい大悲の鐘が鳴り響いています。

時間と空間の概念を超えた寂滅の内側に、凄まじい大悲の光が輝いています。

「大悲空」の世界を実感した時、「忘我」となります。

我を忘れ、我から発生する迷いや悩みや雑念が鎮まります。

判断が明らかとなり、果敢に決断できます。

その決断によって例え己が不利になろうとも、後悔は起こりません。

そして我を忘れ、他者の境涯に越境します。

もはや他者は他者でなくなり、同体となります。

他者の心境、他者の苦しみ、他者の悲しみを、己のものとして感応します。

自分でありながら他者であり、自分でありながら全てであり、

ここに生きながら世界を生き、今に生きながら永遠を生きます。

理屈ではなく、思考ではなく、「湧き上がる本心」です。

湧き上がる本心で実感した時、行動は定まります。

「心」が、行動を、現象を、生み出していきます。

心が全ての母体です。全ては心次第です。

「祈り」は、心そのものです。

心が、祈りの力を生みます。

心の全てで、一心に他者を祈る時、その祈りは真実です。

それは「空」の祈りであり、忘我の祈りであり、大悲の祈りです。


華厳は「最初に説かれた最後の法門」と呼ばれています。

釈尊の悟りの世界をそのままダイレクトに説いた教典とされています。

日本では殆ど知られていませんが、

海外の宇宙物理学やエコロジー学の領域で注目を浴び始めた様子です。

また精神心理学や新医学思想にも影響を与えている気配がします。

華厳は人間界限定の教典ではありません。

全ての命たちへの讃歌であり、導きであり、レクイエムです。

華厳の概念は「世間で言うところの宗教」とは異なります。

「ご利益」「依存」「妄信」「排他」などの概念がありません。

華厳は人間の偏狭な思考を超えた無限にダイナミックな大悲教典なのです。

華厳は「一即一切」「念劫融即」「一切従心転」の世界です。

大自然は、華厳ワールドです。

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