<2007年11月27日>

私は「動物との対話」を実践してきました。

そして彼らの真意、彼らの実像を知りました。

しかし彼らの心を知れば知るほど、

人間界での彼らの悲劇に、彼らの叫びに、耐え難い毎日になりました。

毎夜のように彼らの苦しみの姿が夢に現われます。

夢の中であっても、彼らの心境がダイレクトに伝わってきます。

もはや「しかたのないこと」では済まされなくなりました。

そして私は一人で保護活動してきました。

私の場合は「里親探し」ではありません。全ての子を家族にしました。

何故なら、動物に対する人間の心変わりと非情さを、この目で見てきたからです。

例え里親が見つかっても、幸せになれる確率は極めて低いのです。

(※成犬であれば殆どの場合、里親も見つかりません。)

その子が結局保健所行きになったとしたら、そこには「やすらかな死」さえもありません。

「安楽死」と言いますが、実際は苦しみもがいて死ぬのです。

(※あまりに処分の頭数が多すぎて、予算的に安楽死さえも許されないのでしょうか?)

だから私はみんなを家族にしました。

どの子を残し、どの子を出すなど、「選ぶ」ことなど出来ませんでした。

どの子もみんな平等に家族だったのです。家族を誓い合ったのです。

(※外国に「闘犬」として売られる寸前だった狼犬もいます。)

私の生活はいつも限界線上でした。いつも崖の淵でした。

そして頭数が増えるにつれ、私の身はがんじがらめになりました。

仕事と世話の両立がどんどん困難になっていきました。

朝4時半から7時まで世話をして、それから仕事に出かけて夜の7時に帰宅して、

それからまた10時半まで世話をする毎日でしたが、とにかく時間が足りませんでした。

大家族ですと実にいろんなことが起きます。仕事にも影響します。

だから仕事もどんどん制約されていきました。

時間も無く、金も限界状態で、それでも家族たちを守りました。

自分は3日4日の絶食は頻繁でしたが、犬たちには腹一杯食べさせました。

あまりの空腹と疲労で、深夜に雪の上で倒れ込んでいた時、

いっせいに犬たちが立ち上がり、私を励ましてくれた日もありました。

「お父さん!!」と心の中で叫ぶ彼らの声を、その時はっきりと聴きました。

涙が溢れました。彼らの純真に、慟哭しました。

私は世間では孤独な立場でした。

私の真情は遂に理解してもらえませんでした。

そして我々は厳しい試練を受けました。

胸が張り裂けるほどの悲しみを味わいました。

その時、私は心の底から祈りました。

犬たちのことを、全身全霊で祈りました。

祈りを捧げていると、彼らの「想い」が私の心の中に入ってきました。

ありありと伝わってくるのです。

私ははっきりと、「想念の実在」を感じました。

(※野生の狼が一切の声無しに無言で5km離れた仲間と交信した研究報告もあります。)

興味本位の話をしている訳ではありません。

私にとっては切実な現実問題だったのです。

祈りの交信が、何としてでも必要だったのです。

祈りに依存するという意味ではありません。

全力を尽くした果てに、その上で祈りの力が必要だったのです。

ある日、アメリカンネイティブの人が教えてくれた「華厳」(kegon)の二字が心に浮かびました。

私は「華厳仏教」の資料を探し求め、貪るように読みました。

不思議な感動が湧き起こりました。読みながら泣きました。

そこには「野性対話道」とオーバーラップする「絶対平等の愛の世界」が説かれていたのです。

**** WOLFTEMPLE ****