<2007年11月26日>
狼のファンは多いようです。
しかし狼を理解しようとする人は少ないようです。
一時期「狼犬」の愛好家が一杯いましたが、不幸な狼犬も一杯いました。
愛好家は狼犬に「精悍さ」を求めながらも、犬と同様の「従順さ」を求めました。
つまり自分本位の身勝手な要求を狼犬に押し付けました。
そして「狼族の強大なエネルギー」が自分に不都合になると、
勘違いな「しつけ」を妄信し、強制します。
そして「しつけ」が思い通りにいけば支配者気分になり、
思い通りにいかなければ飼育放棄(或いは虐待)します。
これはつまり、人間特有の発想スタイルです。
狼犬に対してだけでなく、犬に対しても他の動物に対しても同様の発想です。
日本だけでなく海外でも同様ですが、
狼犬に狼のカッコよさと犬の従順性を同時に求め、自己満足に浸る愛好家が多いのです。
本来、狼のエネルギーは莫大です。到底「散歩」程度で発散できるレベルではありません。
一日中山野を走り回っても、まだまだ運動し足りないくらいの体力なのです。
まずそのことを知らねばならないのに、知ろうともしない人が多いのです。
相手にひたすら我慢させ、自分のスタイルに押し込めようとするのです。
相手の事情を無視して要求ばかりして、自分の代償は拒否するのです。
これは人間の「大自然に対してのスタンス」と同様です。根源は一緒なのです。
これでは「共生」と掛け離れています。一方的な「飼育」です。
「業者」(動物商・ブリーダー)は宣伝文句を並べ立てて購買意欲をそそります。
狼犬の本質、狼犬の尊厳など、最初から無視されています。
そうしてどんどん不幸な狼犬が生まれたのです。
狼犬を思い通りに扱えないと、薬殺する飼主もいたようです。
或いは一生、狭いオリの中で監禁する飼主がいます。
或いは強引な手段で、力で服従させようとする飼主もいます。
本来、犬も狼犬も、親である主人を立ててくれます。
自分を譲り、自分の力を抑え、主人を立ててくれるのです。
それに気づかずに「自分の腕力で服従させた」と思い込んでいる飼主が一杯います。
「俺のほうが強い」と思い込んでいる飼主が多いのです。
そして彼らの支配者意識はエスカレートし、どんどん徹底服従を強要します。
人間のこのような傾向性が、動物たちの純情を裏切ってきました。
人間は動物たちの心境を無視し、「絶対服従が当たり前」と思い込んできたのです。
私は狼の「ボス」になろうと思ったことなどありません。
そんな発想はおこがましいことだし、私にボスの資格などありません。
私は狼の途方も無い精神力を知っているし、彼らの壮絶な覚悟を知っています。
例え一週間食べずとも、彼らはその飢え切った身体で極寒の吹雪の峰峰を越えて狩猟します。
その気力の凄さを想えば、「自分がボスだ」などと言えるはずがないのです。
私は親として愛し、親としての導きを努力しただけです。それが精一杯でした。
しかし狼は私を親として立ててくれました。
自分の力を抑え、私を敬慕してくれたのです。
彼の真情が伝わるから、私はいつも彼に感謝しました。
心の底から愛し、そして感謝したのです。
彼が若い頃、そのあり余るエネルギーに対応するのは至難の業でした。
眠る時間を削って運動に出かけました。全身全霊で共に運動しました。
毎日、私は身体に寒気が走るほどに疲労しました。
体力だけでなく、常に一瞬一瞬の集中力が要求されたのです。
成長期の頃には遊びの烈しさもケタ違いでした。
入念に頑丈に作った狼舎の中の寝小屋も一瞬で破壊されました。
どんな強力な大型犬でも壊せないような小屋を一瞬で破壊するのです。
そのたびに、さらに頑丈に作りました。何度も作りました。
でも、そんなことは微々たることでした。
彼の純情を想えば、そんなことはどうでもいいことだったのです。
私と共に暮らす中で、彼はいろんな点で充分に我慢してくれました。
それが痛いほど分かるから、自分の労力など惜しんではいられないのです。
彼も、そして私も、互いに未知の領域を目指しました。
種としての本来のライフスタイルとは異なる世界を歩んだのです。
そして互いに学びました。
我々は種を超えた愛を知り、終りなき絆を知ったのです。
天使のような純真も微笑みも、辺りを凍りつかせる気迫も闘魂も、
禅境の深静の姿も、嵐のような烈しい躍動も、その全てが「狼」です。
その全てを了解し、私は彼を愛しました。
**** WOLFTEMPLE ****
狼のファンは多いようです。
しかし狼を理解しようとする人は少ないようです。
一時期「狼犬」の愛好家が一杯いましたが、不幸な狼犬も一杯いました。
愛好家は狼犬に「精悍さ」を求めながらも、犬と同様の「従順さ」を求めました。
つまり自分本位の身勝手な要求を狼犬に押し付けました。
そして「狼族の強大なエネルギー」が自分に不都合になると、
勘違いな「しつけ」を妄信し、強制します。
そして「しつけ」が思い通りにいけば支配者気分になり、
思い通りにいかなければ飼育放棄(或いは虐待)します。
これはつまり、人間特有の発想スタイルです。
狼犬に対してだけでなく、犬に対しても他の動物に対しても同様の発想です。
日本だけでなく海外でも同様ですが、
狼犬に狼のカッコよさと犬の従順性を同時に求め、自己満足に浸る愛好家が多いのです。
本来、狼のエネルギーは莫大です。到底「散歩」程度で発散できるレベルではありません。
一日中山野を走り回っても、まだまだ運動し足りないくらいの体力なのです。
まずそのことを知らねばならないのに、知ろうともしない人が多いのです。
相手にひたすら我慢させ、自分のスタイルに押し込めようとするのです。
相手の事情を無視して要求ばかりして、自分の代償は拒否するのです。
これは人間の「大自然に対してのスタンス」と同様です。根源は一緒なのです。
これでは「共生」と掛け離れています。一方的な「飼育」です。
「業者」(動物商・ブリーダー)は宣伝文句を並べ立てて購買意欲をそそります。
狼犬の本質、狼犬の尊厳など、最初から無視されています。
そうしてどんどん不幸な狼犬が生まれたのです。
狼犬を思い通りに扱えないと、薬殺する飼主もいたようです。
或いは一生、狭いオリの中で監禁する飼主がいます。
或いは強引な手段で、力で服従させようとする飼主もいます。
本来、犬も狼犬も、親である主人を立ててくれます。
自分を譲り、自分の力を抑え、主人を立ててくれるのです。
それに気づかずに「自分の腕力で服従させた」と思い込んでいる飼主が一杯います。
「俺のほうが強い」と思い込んでいる飼主が多いのです。
そして彼らの支配者意識はエスカレートし、どんどん徹底服従を強要します。
人間のこのような傾向性が、動物たちの純情を裏切ってきました。
人間は動物たちの心境を無視し、「絶対服従が当たり前」と思い込んできたのです。
私は狼の「ボス」になろうと思ったことなどありません。
そんな発想はおこがましいことだし、私にボスの資格などありません。
私は狼の途方も無い精神力を知っているし、彼らの壮絶な覚悟を知っています。
例え一週間食べずとも、彼らはその飢え切った身体で極寒の吹雪の峰峰を越えて狩猟します。
その気力の凄さを想えば、「自分がボスだ」などと言えるはずがないのです。
私は親として愛し、親としての導きを努力しただけです。それが精一杯でした。
しかし狼は私を親として立ててくれました。
自分の力を抑え、私を敬慕してくれたのです。
彼の真情が伝わるから、私はいつも彼に感謝しました。
心の底から愛し、そして感謝したのです。
彼が若い頃、そのあり余るエネルギーに対応するのは至難の業でした。
眠る時間を削って運動に出かけました。全身全霊で共に運動しました。
毎日、私は身体に寒気が走るほどに疲労しました。
体力だけでなく、常に一瞬一瞬の集中力が要求されたのです。
成長期の頃には遊びの烈しさもケタ違いでした。
入念に頑丈に作った狼舎の中の寝小屋も一瞬で破壊されました。
どんな強力な大型犬でも壊せないような小屋を一瞬で破壊するのです。
そのたびに、さらに頑丈に作りました。何度も作りました。
でも、そんなことは微々たることでした。
彼の純情を想えば、そんなことはどうでもいいことだったのです。
私と共に暮らす中で、彼はいろんな点で充分に我慢してくれました。
それが痛いほど分かるから、自分の労力など惜しんではいられないのです。
彼も、そして私も、互いに未知の領域を目指しました。
種としての本来のライフスタイルとは異なる世界を歩んだのです。
そして互いに学びました。
我々は種を超えた愛を知り、終りなき絆を知ったのです。
天使のような純真も微笑みも、辺りを凍りつかせる気迫も闘魂も、
禅境の深静の姿も、嵐のような烈しい躍動も、その全てが「狼」です。
その全てを了解し、私は彼を愛しました。
**** WOLFTEMPLE ****