<2007年11月24日>

10年前、アメリカンネイティブ(インディアン)の人が私に歌を書いてくれました。

私と狼の世界を歌に綴ってくれたのです。

その人は野生世界の体験に満ち、そして大変な博学でした。

この歌の狼の姿は比喩とか抽象ではなく、まさに野生の狼そのものです。

ネイティブ独特の言葉で、ウルフワールドを存分に表現しています。

その歌を紹介します。



◆「狼からtakiへの歌」◆ <by american native 1997>


見よ、森の木立から、森の木洩れ日の中から俺、お前の前に現われる。

雪原を疾る俺、音も無く森を抜ける俺、星影に佇む俺、最も暗い風の背後にも姿を隠す俺、

見よ、お前の前に現われる。

お前に姿を見せなくともよいのだ。

お前が一生俺を探しても、一本の毛も見せないままで終わることも出来るのだ。

しかし見よ、森の木立の中から俺、お前の前に現われる。


俺、二本足の者の気配が嫌いだ。

二本足は森を敵として入るからだ。

二本足の汗の匂い、二本足の作り出した鉄の匂いが嫌いだ。

俺の魂を包み込んでいる毛皮の毛一本一本が逆立つのだ。

お前も二本足の男だ。

俺、お前を殺せる。

今まで俺はお前よりずっと強く、大きく、そう、お前より美しい者を殺した。

お前、そのことを一瞬でも忘れてはならない。


お前、俺を探していた。

何が望みだ。俺の知恵なのか?

あの凍てついた地獄を生き延びる力なのか?

幾日も幾日も食べずに走り続ける力なのか?

二本足が置く「鉄のアゴ」からどう逃げるかを知りたいのか?

どうやって自分の足を咬み切って逃げるかを知りたいのか?

我我には痛みがあるのか、無いのか、それを知りたいのか?

それとも俺の心が望みなのか?心が欲しいのか?


俺、お前を試す。

お前がしくじらない限り、殺しはしない。

「しくじり」は許されていないのだ。

我我にもまた、許されていないように。

吹雪の中、峰峰を越える時、

そして何よりも狩りの時、

しくじりは許されていないのだ。

俺はお前を常に試す。

影たちの消える夕暮れから朝まで、

そして朝からまた影たちが消えるまで。

我我が試されているように。

我我が鹿たちに試されているように。

我我が風たちに試されているように。

そのように、俺はお前を試す。一瞬一瞬に。

俺、お前の肉体を試す。

お前の両足は水に漬かった木のように重くなる。

お前の歩みは乱れ、疲れ果ててお前は立ち尽くす。

お前の命が賭かっても、

もう一歩も踏み出せないほどにお前は疲労する。

お前のその太い両腕が、まるでしおれた草の葉のように萎える。

お前のその厚い背中が痛みで曲がる。

お前はあまりの苦しみに叫ぶ。

そしてお前の心は、

陽の中に置かれた濡れた鹿皮のように縮み上がる。

俺、お前の力を試す。

俺、お前の心、お前の愛を試す。

お前の愛は夜空のように無限なのか?

それとももう、水気の無い木の実なのか?

しかしその試練の中、少しずつ我我の世界を見せよう。

お前次第だ。

足跡だけで誰が通ったか分かるようになる。

足跡の主が健康かどうか、

女か、男か、

いくつの冬を越えた者なのか、

追ってよいのか、追ってはいけないのか、

殺してよいのか、殺してはいけないのか、

それも分かるようになる。


俺は怖れられている。

お前にも怖れられている。

その俺がお前の前に現われている。

その俺、お前に微笑んでいる。

白い牙で、琥珀の目で。


俺、お前と歩む。

森の中、雪原、川の岸辺、蚊を避けるための風の峰、紫の小花が咲く草原、

お前と、唯一無二の仲間として歩む。

俺、お前への想いを歌う。

俺、俺のやり方でお前を愛す。


**** WOLFTEMPLE ****