<2007年11月18日>

いよいよ冷え込んできました。

3日ほど前の夜中に零下10度近くまで下がりましたが、

明日の朝未明もそのくらいまで下がりそうです。

身体はまだ完全な冬モードに入っていないので、寒く感じます。

12月の後半頃からは寒気に慣れてしまうので寒さは苦にならないのですが、

毎年のいつも今頃が寒く感じるのです。

雪が降り積もってしまえば、気持ちは「雪世界モード」に切り替わります。

白一色の世界になってしまえば「土」が、はるか遠い記憶になってしまいます。

土の茶色や木々の緑色が、何かとても遠い昔の思い出のような感覚になるのです。

つまりここは冬が長いのです。来年の5月まで、土とお別れなのです。

犬たちとの雪中の運動はハードです。地面と較べると数倍のエネルギーを使います。

これは犬にとっては素晴らしい運動になります。

一歩一歩が「ジャンプ」になり、つまりジャンプの連続なのです。

そして白銀の森になれば「明るい」ので助かります。

月夜の晩ならライト無しでも犬たちの世話が出来るのです。

雪の森での世話は大変ですが、この明るさだけは救いです。

逆に今の時期は真っ暗な中で世話をすることが多く、気が重くなります。

明るい日中に世話が出来れば気は楽ですが、仕事があるのでそれは出来ません。

20頭の大家族なので5時間以上かかるのですが、暗闇だと余計に集中力を使います。


私はブリーダーでもコレクターでもありませんが、

深い事情があって、この多くの犬たちと家族になりました。

昔から、「一銭の金にもならないのに、一体何をしているの??」と言われてきました。

あらゆる人から言われてきました。困難や試練は果てしなく続きました。

しかし、深い事情があるのです。犬たちと約束したのです。家族の誓いを立てたのです。

だから私は彼らと家族です。「終りなき絆」の家族です。

犬たちは私の真意を知っています。そして私と共に、一緒にこの道を歩んでいます。

私が書いてきたいろんな文章は、私の主観で書いたものではありません。

これまでの全ての家族たちが私に伝えてくれたメッセージを、言葉に換えているだけなのです。

言葉で表現するのは本当に難しいのですが、出来得る限りに精一杯表現してきました。

もしかして人間から見ると違和感のある内容かもしれませんが、私はそのまま書きます。

彼らからの伝言を、人間の言葉で、そのまま書いているのです。


彼らは、その純粋心境で、私に念波を送ってくれます。

途切れることなく、ずっとです。

言葉で入ってくる訳ではありません。

「ニュアンス」で入ってくるのです。

それをいちいち言葉には変換しません。

変換しないで理解していくのです。

「交感の流れ」ですから変換しているヒマは無いのです。

瞬間瞬間に、感応していくのです。

「言葉に綴る」というのは、例えばその夜に、

その交感の全体を、瞑想の中で辿って、言葉に置き換えるのです。

20頭もいると、大変です。全体に向けて集中するのです。

一頭だけに感覚の照準を合わせる訳にはいかないのです。

常に全体の気配をキャッチしながら、同時に、一頭一頭の念波をキャッチしていくのです。

多頭数の群れになると、一頭二頭の場合とは全く異なる展開になります。別世界です。

一瞬一瞬に次から次と、実にさまざまな現象が起こります。

犬の動きは驚くほど素速いので、一瞬たりとも気を抜くことは許されません。

常に「気配と流れ」を感知し、アクシデントを未然に防いでいくのです。

長い年月に亘りこのような生活を経てきたので私は無意識のうちに集中できますが、

それでも非常なエネルギーを使います。当然です。真剣なのです。

犬たちは一頭で私と触れ合う時には別犬のように穏やかになります。

群れでいる時には実にさまざまな「事情」が発生するので、いろんな意味で別犬になるのです。

(※どちらが良いとか悪いとかの問題ではありません。「局面の違い、事情の違い」です。)

一頭の時には、ゆったりと心の対話ができます。

彼らは殆ど私の言葉のニュアンスが分かりますが、もはや言葉も最小限になります。

沈黙の中で共感し合う「言葉を超えた対話の世界」に入るのです。

荘厳な時間です。彼らも、この聖なる時間を心から味わっているのです。

「レクリエーション」で遊ぶだけが触れ合いではありません。

深静境の中での交感も、重大な触れ合いなのです。

本当は、もっともっとこの時間をとりたいのですが、何せ時間が足りません。

だから冬以外、みんなと一緒に森で寝ます。みんなの真ん中で、土の上で眠ります。

**** WOLFTEMPLE ****